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第7話 入れ替わった二人
「茶会に招待されたんだ!助けてくれよ、ローシャ!」
親友が助けを求めて駆け込んでくる時、いいことがあったことなんてまったくもってなかったけれど、毎回そう分かっていながらローシャはリオンが招待されたという茶会に同伴する事になった。
「茶会なんて適当に愛想を振り撒いて笑っておけばいいだけだろう?」
「俺がそういうの苦手なの知っているだろう?」
「大体、こういうのは女性を誘うものだ」
「そんなに気軽に誘える女性がいたらローシャを誘ったりしないさ」
情けない正論なのに何故こうも堂々としているのだろうか。
ローシャは謎の自信に満ちた答えを出した親友を見て頭を痛めた。
リオンの家の馬車の中、二人はやいのやいの言い合いながら道を進んでいく。
「それで、今回は何の茶会なんだ?」
ローシャが窓枠に肘を置き顎に手を置いて溜息混じりに訊ねる。
何も言われないまま正装に着替えさせられて連れ込まれたのだ。
「……見合いの茶会なんだ」
「なんでそんなものに男の僕を招待するんだ!」
ローシャはさすがに怒ったが、リオンがほとほと困った顔をして救いを求めてくると無碍には出来ない。
「いい加減婚約者を作れって父様に言われたけれど、俺にはまだそんな気はないし見合いの席で男の親友を連れてくれば相手も呆れるかなと思って……」
呆れたのはローシャもだ。
深い溜息を吐くと、もうリオンの見合い相手の屋敷に辿り着いてしまった。
ローシャは何事もなく事が済むよう祈った。
しかしそれはまったくの無駄だったが。
馬車を降りて屋敷の応接間に通される途中、屋敷の使用人は表に出さないながらもローシャの存在を疑問に思った。
それはそうだろう。
仕えるお嬢様の見合い相手が正装した男同伴で来たのだ。
ローシャは、自分ならろくでもない奴が来たなと思うな、と思った。
応接間に通されしばらくすると、綺麗に着飾った少女が入ってきた。
「初めまして、ロザリンドと申します」
ロザリンドがカーテシーをすると、ローシャとリオンも自己紹介をした。
そこでローシャは口を開いた。
「さて、貴方はロザリンド嬢ではありませんね?」
ローシャの言葉にロザリンドを名乗る少女もリオンも驚いた。
「ローシャ、彼女は自分でロザリンドだって自己紹介してるんだぜ?第一、見合いで他人が出てきてどうするんだ?」
その見合いに友人を連れてくる神経をしている男に言われたくはないとローシャは思ったが、彼女はロザリンドではないのだ。
「とても似てはいますが、以前パーティーでお見掛けしたロザリンド嬢とは少々雰囲気が違うようでしたので」
ローシャが告げると、再び扉が勢いよく開いてロザリンドと名乗った少女とよく似た少女が現れた。
「さすがですわ!」
少女が現れるとロザリンドを名乗る少女は恭しく頭を下げた。
「失礼致しましたわ。わたくしがロザリンドと申します。こちらはナターシャ。わたくしの家のメイド見習いをしておりますの。わたくしと似ているでしょう?時々わたくしの身代わりになっていただいて遊んでおりますの」
その言葉にローシャもリオンも瞬きをした。
「招待客相手に遊ぼうという意趣は良くありませんよ、ロザリンド嬢」
「あら?わたくしのお見合いの相手というのは貴方ではないの?」
ロザリンドは扇子を広げて口元を隠しながらローシャを見る。
口元は隠しながらも不躾な瞳にロザリンドとは気が合いそうもないな、とローシャは思った。
「ええ、先程からこちらで呆然と棒立ちしている僕の親友が貴方の見合い相手のリオンと申します。僕は付き添いの友人ですよ」
にこりとローシャが微笑めばロザリンドは楽し気に笑った。
「お見合いにご友人を連れてくるなんて!おかしなお方ですこと!」
扇子で口元を隠しながら笑うロザリンドにローシャも笑う。
「まったくです」
「そ、そんなにおかしかったか?」
リオンがようやく我を取り戻して訊ねる。
「いいえ!おかげで面白い方とお知り合いになれましたわ。ありがとうございます。わたくしもまだお見合いなんてする気はありませんでしたの。どうかしら?もしよろしければ三人でお茶会をするのは」
ローシャとリオンは顔を見合わせた。
このロザリンドという少女の方が余程おかしい少女だと思う。
普通、見合い相手との茶会ならともかくその連れ合いを含めて茶会をしようなんて思わないだろう。
だが、このままとんぼ返りではリオンが両親から何と言われるか分からない。
しばらく時間を潰してご破談になったということにして帰ろうとアイコンタクトで決めたローシャとリオンは揃って答えた。
「喜んで、レディ」
茶会は穏やかに過ごせた。
ロザリンドに扮したナターシャがロザリンドの側にいて給仕をするので不思議な気分になるのだが、慣れてくるとロザリンドとナターシャの区別もついてくる。
「おかわりはいかがでしょう?」
ローシャの空になったティーカップにナターシャがすかさず訊ねる。
「ありがとう。お願いするよ」
「かしこまりました」
左手を主軸に静かに淹れられる紅茶とその所作、ロザリンドの言動に付き合う度量と賢さにローシャは感嘆した。
「失礼ですが、どちらの家からの行儀見習いなのですか?あまりに美しい所作なのでそれなりの家とお見受けしますが」
「そんな、しがない子爵家の出でございます」
「そうですか。僕達と同い年くらいにも関わらず素晴らしいですね」
ローシャの褒め言葉にナターシャは頬を赤くする。
ロザリンドはそれが面白くなくて、ふとナターシャを困らせてやろうと思いつきをした。
「そうですわ!せっかくでしたらこのまま一晩お泊まりになってはいかがでしょう?」
ローシャは内心最悪だと悪態をついたしリオンは思わず表情が顔に出そうになった。
「急に会って間もない我々が泊まっては不都合があるでしょう。我々はこれでお暇致しますよ」
ローシャが丁寧に断ろうとするもロザリンドは止まらない。
「いいえ!もっとローシャ様とリオン様のご活躍をお聞きしたいですもの。大丈夫ですわ。客室なら幾らでもありますもの。そうと決まったらナターシャ。お父様とお母様にご報告して」
ロザリンドは嬉々として提案してくるが、ロザリンド以外の人物は困惑している。
「ロザリンドお嬢様、それはさすがにお二方にご迷惑が掛かるのではないでしょうか?」
ナターシャが嗜めようとするとロザリンドは扇子でナターシャの頬を叩いた。
「わたくしに口答えなんて、いつからそんなに偉くなったのかしら。いいからさっさとご報告に参りなさい」
ナターシャは打たれた頬を抑えながら「はい」と短く返事をして応接間から出て行った。
「ロザリンド嬢、さすがにやりすぎでは?」
「そうだぜ!です!叩くほどの事をナターシャ嬢がしたとは思えない!」
「うちのことはうちの問題ですわ。それより、早馬で今晩はうちに泊まるとご両家にご連絡させていただきますわね」
いつの間にか茶会だけから一泊泊まることになっていてロザリンドの強引さに嫌悪感を抱きながら、このまま帰宅するとナターシャがどう扱われるか心配になり了承した。
ローシャとリオンがナターシャを庇うのが余計に面白くなくて、ナターシャへの悪戯を画策するロザリンドは聞く耳を持たずに扇子で釣り上がる口元を隠してその時を待った。
夕食会はロザリンドの自慢話で終始行われた。
ロザリンドの両親もどちらかが娘の引き取り手にならないかと下世話に値踏みする態度を崩さず、ローシャとリオンにとっては苦痛の夕食会となった。
ナターシャはその場には居なかった。
それがなんとなく不安になったが、ローシャには他家への口出しを出来るほど高位の存在ではなかった。
夕食会から解放されて隣同士の客室に宛てがわれた二人はリオンの客室に集まり本日の愚痴を言い合った。
マナー違反とは分かっていても、さすがにこの家の者達とは相反する。
「俺は、絶対帰ったらこの見合いをやめてもらうよう父様に進言するぜ。あの子がお嫁さんなんて冗談じゃない」
「失礼だとは思うが、僕も同意だね。それに、彼女とリオンが婚約したら僕と顔を合わせる機会も多くなる。絶対阻止してくれよ」
「任せておけ!」
普段のリオンの任せておけは絶対任せられないが、ローシャはこの時ばかりは信用した。
翌日の朝食は昨夜に比べて驚くほど静かだった。
ローシャは、両親の側で黙々と左手で食べる少女を左利きのナターシャだと思っていた。
ロザリンド嬢がナターシャ嬢に入れ替わっていることは、ご両親は気付いているのだろうか?
ここで指摘してナターシャ嬢がロザリンド嬢の振りをして悠々と席について朝食を共にしている事に罰せられないか、ローシャは不安に思った。
とりあえず、ロザリンドのご両親から離れたらナターシャと話をしようと決めてローシャはデザートまで美味しく戴いた。
「ナターシャ嬢、少しお話が」
「あら?もうお気付きになられたんですの?」
ナターシャがロザリンドのように楽し気にして口元を扇子で隠して微笑んだ。
「詰まらないですわね」
ロザリンドのようにそう言うと、ローシャとリオンを置いて廊下を曲がり、その態度にローシャとリオンは顔を見合わせて肩を竦めた。
「きゃあ!」
するとすぐにナターシャの小さな悲鳴が聞こえた。
慌てて廊下を曲がるとナターシャがしゃがみ込んでいた。
「ナターシャ嬢、大丈夫ですか?」
ローシャとリオンも屈んで目線を合わせる。
「ええ……わたくしがまた不作法したものですから…わたくしが悪いのです」
その言葉からロザリンド嬢がまたナターシャ嬢を叩いたのだと察した。
一言ロザリンド嬢に言いたくなって立ち上がるローシャにナターシャは咄嗟に右手でローシャの腕を掴んだ。
「このまま、ここで落ち着くまで側に居てくださいます?」
座り込んだナターシャが上目遣いでローシャを見詰めた。
「それで貴方の気が晴れるのでしたら……と、言いたいところですが、貴方はナターシャ嬢ではなくてロザリンド嬢ですね」
その言葉にリオンとロザリンドが瞬く。
「どういうことだよ、ローシャ」
リオンがローシャに訊ねる。
「先程の朝食を共にしたナターシャ嬢は左利きでしたが、それはナターシャ嬢がロザリンド嬢に扮したと思わせるための演技でしょう。それにロザリンド嬢は昨日の茶会や夕食会を見ても右手でナイフやスプーンを使っていた。つまりは右利きだったはず。なのに先程のこちらのナターシャ嬢が咄嗟に掴んだ手は右手だった。左手と右手を使える、ロザリンド嬢は一晩で両利きになったんだ」
ローシャにそう言われてもリオンは夕食会で他人がどの手を使って食事をしているかなんて観察はしていない。
とりあえずローシャの言うことに頷き、続きを促す。
「ロザリンド嬢が一晩で右利きから左利きになったっていうなら、つまりはどういうことなんだ?」
「二人が入れ替わったんだ」
「ロザリンド嬢とナターシャ嬢がか?そんなことをして何の得があるんだ?」
「お得意の悪戯ではありませんか?」
ローシャがナターシャに扮したロザリンドを見遣るとロザリンドは早々にバレて心底詰まらなそうにした。
「ロザリンド嬢の悪戯に加担させられたのは屋敷のお嬢様とメイドという圧倒的な身分差もあるが、昨日も見せたナターシャ嬢の優しさと気弱さからだろうね」
「だからって、そんな……。ナターシャ嬢が可哀想だろう?」
「ロザリンド嬢が他人の事に興味があるとは思えないけれどね」
あの不躾な瞳に扇子に隠された口元を想像するに易い。
「さあ、ナターシャ嬢を迎えに行こう」
ローシャは溜息を盛大に吐いて首を鳴らした。
「この悪趣味な悪戯を終わらせるためにね」
そしてしゃがみ込んだまま不貞腐れているロザリンドにナターシャの居場所を訊ねた。
「さて、ロザリンド嬢。些か悪戯が過ぎますよ。ナターシャ嬢はどちらに?」
「さすがはローシャ様ですわ。アーサー警部も一目を置かれているとか。その頭脳は素晴らしいものですわね」
何故アーサー警部とローシャの関係が知られているのか不思議に思ったが、そういえばこの家は警察に太いパイプがあった。
アーサー警部がローシャと懇意にしていると知られていても不思議はないかもしれない。
「お褒めに預かり光栄です。ロザリンド嬢。それで?ナターシャ嬢はどちらへ」
「ああ、ナターシャなら馬小屋よ」
「……一晩もですか?」
「ええ。ナターシャの存在がバレて悪戯が露見したらつまらないじゃない」
ロザリンドは悪びれることなく言ったが、ローシャは慌てて馬小屋へと走った。
「待てよ、ローシャ!」
その後をリオンも追い掛ける。
二人が使用人に訊ねて馬小屋へ駆け付けるとナターシャはメイド服のみのまま寒さに凍えており、手足を震わせ寒さから身を守るかのように蹲って藁に身を隠していた。
「ナターシャ嬢!大丈夫ですか?……息はしているな」
朦朧としているナターシャに着ていたジャケットを被せるとリオンも慌てて自身のジャケットをナターシャに被せた。
「リオン、ナターシャ嬢を屋敷に運んでやってくれ」
「もちろんだ!」
ローシャが言い終わる前にリオンはナターシャを抱き抱えて屋敷に向かって走って行った。
暖炉の前で温かい紅茶を少しずつ飲んでようやく人心地ついたナターシャは泣き出した。
ロザリンドの両親もさすがにこの件については娘の悪戯に度が過ぎていると怒り、ロザリンドを叱責し、甘やかされて育ってきた一人娘のロザリンドは初めて両親から怒られて泣き出してしまった。
「ロザリンド嬢。これは人の生死がかかったものです。とても悪戯ではすみませんよ」
ローシャはナターシャの背を撫でて落ち着かせながらロザリンドを糾弾した。
しかしロザリンドは泣きながらも悪びれもせずに詰まらそうに呟いた。
「ローシャ様も賢いばかりでやかましいのですわね」
ロザリンドが苛立ちを隠さずに眉を顰める。
「ナターシャ、貴方はクビよ」
ナターシャがようやく暖まった体から顔を真っ青にさせた。
ロザリンドの両親は娘の不出来さを心から反省し、矯正を心に決めた。
「ならばうちで引き取りましょう」
ローシャが間髪入れずにナターシャを庇うようにロザリンドに申し出た。
「そんな役立たずがご入用でしたらどうぞご勝手に」
「ええ、勝手にさせていただきます。ご両親も、それでよろしいでしょうか?」
「ああ…。ここにいるより君の家に雇われる方が彼女の幸せになりそうだ。本当に申し訳なかった」
両親が頭を下げる姿を見て、ロザリンドは初めて衝撃を受けた。
ロザリンドはロザリンドを至上と思っていたのにメイド風情のことで頭を下げさせてしまうなんて。
ロザリンドはようやくことの重要さがじわじわと分かってきた。
「それでは、これで失礼致します」
「失礼致します」
ローシャに倣ってリオンも礼をしてロザリンドの屋敷を後にした。
馬車の中でナターシャは謝罪とお礼ばかりだった。
「あ、ありがとうございます!ローシャ様!リオン様!」
ナターシャは何度も頭を下げたがローシャとリオンが止めた。
「君が気にすることじゃないよ。勝手に働き口を決めてしまってすまないね。もし、他の所がよければ紹介状を書くが……」
ローシャが言い終わる前にナターシャが首を横に懸命に振りながら否定する。
「そんな!私はローシャ様の元でお仕えしたいです!お願いします!ローシャ様のお屋敷に置いてください!」
その様子にローシャが微笑んだ。
「分かった。両親とメイド長には僕から話を通しておこう。無理をせず、辛いことがあったらいつでも僕に言うといい。まあ、ロザリンド嬢程ひどいところではないと思うがね」
軽くウィンクをしたローシャにナターシャは頬を染めた。
リオンはなんとなく面白くないと思ったが、そんな事を言うとローシャに子供扱いされる気がして黙っておいた。
その後、ローシャの屋敷に新人メイドが一人加わり、誰よりも献身的にローシャに仕える姿に他のメイドは微笑ましく見守っていた。
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