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下弦の月
その気配に気付いた源次郎がタクシーのボンネットから身を離そうとすると、井浦はその動きを手を挙げて制止した。月明かりに眼鏡が影を作り、井浦の表情を見て取る事は出来ない。
「何をしているんですか?」
暗がりに浮かび上がる姿は華奢で、か細い声からその人物が若い女性である事を示唆した。面立ちは判別出来ないが胸までの長さの細い三つ編みを垂らし、白っぽいシャツにオーバーオール、足元は長靴を履いていた。
「あぁ、すんません。ちょっと煙草を吸わせて頂いていました」
「吸い殻は」
「あぁ、大丈夫です。片付けましたから」
胸元から携帯灰皿を取り出して見せた。
鈍く光を弾く。
「火の取り扱いには注意して下さい」
「あぁ、はい」
「あと、この農場は私有地になりますから、これ以上の立ち入りはご遠慮下さい」
「あんた、いや。あなたは此処のスタッフですか」
「それが何か」
「名前は?」
「あなたに名乗る必要がありますか?」
「確かに」
「では、お願いします」
「へいへい」
女性は踵を返すと今来た暗闇へと姿を消した。
井浦は腕を組みながら、低いエンジン音に身体を預ける源次郎の元へと戻った。源次郎はおもむろにトランクを開けると何やらガサゴソと取り出している。
「しまじろー、何やってんだ。早くドア開けろ」
「ちょっと待っていて下さい」
源次郎は後部座席のドアを開け、乗り込もうとする井浦を引き止めて足元に新聞紙を2枚重ねた。
「新聞紙?」
「あぁ、ウサギのうんこを付けた客は乗せません」
「チッ」
パタンと外側からドアを閉めると運転席に座った源次郎はウィンカーを左に上げヘッドライトを点けた。
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