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02.温まった味噌汁
和子がふたりの寝室を出て、そっと襖を閉める。テレビ台に置いた時計は九時半をまわっていた。そのとき、玄関の扉の鍵が開く音が響く。夫の透が疲れた表情で帰ってきた。
「おかえりなさい」
和子自身、自分の言葉にちょっとした怒りが込められているのを感じた。透も和子の静かな怒りを感じ取ったのだろう。
「ごめんな、最近ずっと忙しくてさ」
透はスーツを脱ぎ、夕食の載った食卓を見つめる。
「ううん。お仕事だから仕方ないじゃない」
そう言いながらもやっぱり和子の言葉には静かな怒りが潜む。でも、透からはお酒の匂いは一切しない。だから、本当に仕事なのかもしれないとも思い直す。お酒はそれなりに好きな人だからだ。
「夕食は?」
「今からお味噌汁温めるから」
「悪いな。子どもたちはもう寝た?」
「たったいま寝かしつけたばかり」
透はお茶の間と隣の寝室との間の襖をそっと小さく開き、子どもたちの寝顔を眺める。それからふたたび襖をそっと閉める。
「ねえ、学が今度の日曜日にお父さんと遊びたいって」
食卓の椅子に着いたばかりの透は顔を曇らせる。
「日曜日か……。そうだなあ、子どもたちとも最近遊んでないから、悪いなと思ってるんだけど……」
和子は透の言葉に引っかかるものを感じる。
「またお仕事?」
温まった味噌汁をお椀につぎながらたずねる。
「実はそうなんだ。悪いとは思ってるけど」
二人の会話はそこで途切れた。昭和49年の春が終わろうとしていた。
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