08.予想外の言葉

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08.予想外の言葉

 透は和子と子どもたちに向かって打ち明けた。近いうちに喫茶店を開きたいのだと。今はそのための準備をしているのだと。 「喫茶店?」  和子は予想外の言葉に、そのまま言葉を失う。そんな和子に透は言葉を続ける。 「今の仕事を辞めて店を開くんだ。なんていうかな、このまま今の会社で働き続けることに疑問を感じたんだ、ありきたりだけど。喫茶店は夢なんだよ。一度しかない人生だから夢を取ろうって」  真剣なまなざしで語る透。その言葉に嘘はなさそうだった。仕事終わりや日曜日に家庭を放り出して遊び歩いているとか、浮気を誤魔化しているとか、そんな雰囲気は微塵も感じなかった。 「良い物件があるんだよ。近くに大学もあるし、それでいて市電の通る大通りから大学の方に一本入ったところだから家賃も手頃な」  透は仕事用の書類や本の立つ戸棚から書類封筒を取り出す。 「この店の周囲には会社もたくさんあるから、人通りだって昼間でもそこそこある。今の会社の知識を活かして、この物件の家賃と客単価、それに人通りの数なんかを計算してみたんだ」  そんな透の言葉をさえぎって和子が疑問を口にする。 「喫茶店ならそういう数字だけじゃなくて、肝心の調理ができなきゃ。あなたは昔から料理はうまかったけど、お店を開いてコーヒーとか料理を出すならちゃんとしたものを……」  和子の疑問を待ってましたとばかりに透はこたえる。 「うん。だから、今はコーヒーを淹れ方を教えてもらってる。師匠がいるんだ。軽食の作り方も習ってる。サンドウィッチとかナポリタンとか、喫茶店にあるメニューをひととおり。それだけじゃなくて、衛生管理の方法なんかもね」  考えてみれば独身時代から透は料理が得意だった。結婚する前には透の料理を振る舞われたことだって何度もあるし、結婚したあとも透は休日になると台所に立った。子どもが生まれてからは仕事も忙しくなり、そんな機会も失われていったが。 「それでいつも帰りは遅いし、日曜日は出かけてたの?」  そんな疑問を口にした和子に、透は深くうなずいた。 「だから、和子さえ良ければ来年の春の開業に向けて、本格的に準備したいと思ってる。物件を借りたり、保健所の許可も必要だし」  透はじっと和子の目を見つめる。やっぱり真剣なまなざしで期待するように。すると、和子は透の目をしっかりと見据えた。 「私は反対です」  はっきりとした強い口調だった。
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