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記者会見。
記者会見の場に一人の男が現れた。いつもは散らかっている真っ白い髪を、今日は後ろで纏めている。彼は記者会見の主役にして、先日妻を失ったばかりの夫だ。長年、夫婦漫才を繰り広げて来たコンビであり、また実際の夫婦でもある。長い髪の散らかった夫がボケ、金縁眼鏡をかけたスマートな妻がツッコミで、何十年も舞台やテレビに立ち続けてきた。その妻が亡くなった今、夫は何を語るのか。心境は如何なるものか。記者達が見守る中、彼は静かに、穏やかに、マイクへ向かい語り出した。
「まずは本日、このような場を設けていただき、厚く御礼申し上げます。妻が亡くなったことで、僕一人だけがこんなに注目を集められているわけで、いやぁどうにも慣れんもんですな」
一旦言葉を区切った。会場の空気はまだ固い。対して夫は明るい声で再び喋り始めた。
「まあ僕の奥さんはご存知の通り、先日亡くなったわけですが。えらい話を土産に残していかはったので、今日はそのお話をさせてもらいます」
張り詰めた空気に僅かな動揺が混じる。どんな話が始まるのか。普通は涙を零して別れを惜しむところだが、彼は芸人だ。笑いを取りにくるかも知れない。その時、自分達記者は笑ってもいいのか。そんな迷いが滲んでいた。
「あの人は最期の一週間、病室で寝たきりの状態でした。僕がお見舞いに行っても、もう起き上がるのもしんどい言うて横になったままぽつぽつ言葉を交わしました。逆に口だけは動かせるんですわ。流石、喋りで五十年間食うてきただけあるな。そう褒めると、あんたはこれから口が筋肉痛になるで、なにせ私の分まで喋らなあかんのやから、と。こう返されました」
微妙に面白くないな、と記者達に別の動揺が走る。やはり妻ありきの芸人だからか。夫婦漫才なのだから、二人いなければ破壊力が落ちるのは当然だ。しかし夫は飄々と先を続ける。
「まあまあ、そんな文字通りの憎まれ口も亡くなる直前にはもう、よう動かんようになりまして。お医者さんの先生も、いよいよあきまへん、最期にお別れをして下さい、と僕らを二人きりにしたわけです。最期だそうや、言い残したことはあるか、と尋ねたところ、掠れた声で妻はこう言いました。あんたと夫婦漫才をやらなんだら、何度離婚していたかわからない、と。コンビを組んで芸人やって、夫婦漫才で五十年間飯食うて。おかげで此処まで添い遂げられた。そう言わはったんです。せやから僕が、ほんならコンビで良かったなぁ言うたら、アホ、とツッコまれました。離婚したい思うとんのにコンビやから別れられない私の気持ちも考えろ、と。ちょっと考えて、あぁ確かに、と手を打ったらそれでがっくり来たんでしょう。亡くなってしまいました」
会場に笑いが起きる。先ほどより空気は柔らかくなった。
「いやぁ、妻には悪いことをしました。まさか僕のぼんやりがとどめになってしまうとは。せやから天国に行って再会したら、ごめんなって真っ先に言わなあかんと思うたんです。だけど困ったことに多分再会は難しいんですわ。片方が天国に行っても、もう片方はまず間違いなく地獄行きでしょうから。どっちがどっちなのかは、皆さんのご想像にお任せします」
そうして夫は三度頷いた。会場にまたしても笑いが起きた。
「まあそんなわけで、最期の最期まで芸に生きた奥さんでした。ホンマに尊敬してやまない方です。相方として、夫として、人として、僕は彼女を追い掛けて、始終助けられ続けて、この年まで生きて来られました。夫婦漫才師が妻を失ってしもうたので、今後どうするかはこれからのんびり考えていきたいと思います。でもあんまりのんびりしているとお迎えが先に来てしまうので、それまでには結論を出すつもりです。ほんでもしばらくは今日のエピソードをこすって凌ごうかと思うております。だから記事にはあんまり詳細な内容を書かんといて下さい。どっかで僕が話そうとした時、それ聞いたことあるで、と止められると食い扶持が無くなるので。あ、これで死ぬまでやり過ごそうと思っていたのがバレてしまいましたな。これ以上、会見しとるとまた余計なことを口走りそうや。口の筋肉も確かに疲れてきましたし、今日はこの辺で終わりにさせていただきます。本日は、僕の大切な奥さんにして、相方のために皆様お集まりいただき、誠にありがとうございました」
夫が深々と頭を下げる。一斉にシャッターが切られた。フラッシュの中、彼は笑みを浮かべて退室した。
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