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なんでこんなことになったん。さっきまで、耳がおかしくなるくらい、爆笑がいくつもいくつも連鎖して起こっていた。でも乙葉は笑えなかった。
乙葉の両隣りの席、千夏も望海も舞台に向かってさかんに拍手している。ばちばちばち。待ってよ、おかしくない?
夏の体育館はむんと暑苦しいのに、誰も席を立たない。スポットライトの真ん中では、クラスメイトのふたりが立っている。観客席の拍手は、パフォーマンスが終わっても鳴りやまず、乙葉はしかたなく手を叩く。ぱち、ぱち、ぱち。
おかしくない?
乙葉は思い出す。女バレの部室で、泣いていた心愛先輩のことを。心愛先輩が二年生に取り囲まれ、「ファイト」とか「がんばれ」とか励まされていたあの日のことを。
「あたし、男バレの一年、江内が好きなの」
心愛先輩がそう打ち明けたとき、乙葉の胸の中でいろんな感情がぐるぐる渦巻いた。
実は乙葉も、江内のことはいいなとちょっとだけ思っていたことがあった。江内はバレー部の中ではそんなにうまいほうじゃないけど、失敗したとき謝る顔がなんか、かわいいって。
でも、江内と同中の子に話すと、すごく嫌な顔をするのが気になって、その芽は育ちはしなかった。彼女なんかいるわけないって、とその子は嫌な感じでいったのだ。ちょっと、ひいた。
そして心愛先輩が好きと宣言したということは、もう誰も自分も好きといえなくなったということだ。もちろん、気になってただけで、好きになったわけじゃない。でもなんだか。誰ももう、江内を好きになれないと決まったのは、なんだか。
それに、乙葉は思う。心愛先輩って背が高いから、江内とおなじくらいか、もしかして先輩の方が高いかも? それって、ダサくない?
どれもこれもかたまってない、未分化な、きもちにもなっていないものが、乙葉の胸でぐるぐるぐるぐる。
「心愛、かわいいからぜったい江内とうまくいくって」
「お似合いだよ」
先輩たちは口々にいう。バレー部に二年生は八人、その全員が集まっていた。その前で、一年生は十二人、ずらりと整列している。
「江内、女子とふたりで文化祭の出し物に出るんだって。つきあうのかな」
心愛先輩が不安げな顔でそういうと、ばにら先輩が「一年二組のクラスの子らしいよ」という。ばにら先輩はずっと心愛先輩と腕を組んで、励ましている。
千夏が「えーっ」と大声を上げた。
「バレー部、わたしたち三人しかいないし、誰も江内とそんなことしません」
ねえ、と千夏が乙葉たちにふりむく。二組にいる部員は、乙葉、千夏、望海だけだ。
「女バレじゃないみたい。一般ピーポー」ばにら先輩が答える。
「ひどい」と、心愛先輩が顔を両手でおおう。女バレに断りもなく、男バレに近づくなんてずうずうしい、それは納得できた。
「1年生、どうにかしてあげてよ」と鳩都先輩。鳩都先輩は、次の部長だ。早くも命令口調が板についている。「心愛かわいそうだよね」
「もちろんです!」望海が勢いこんだ。
「心愛先輩と江内の間に割りこむなんて、許せません」千夏も握りこぶしを振り上げた。他のクラスの1年生は何もいえなくて、不満気だ。
乙葉は完全に出遅れてしまい焦る。何かいわなくては、乙葉は両手で握りこぶしを作った。
「思い知らせてやりますよ!」
乙葉のことばに上級生たちは満足げにうなづいた。
たまたま三組の部員のお姉さんが生徒会の書記で、そのコネで、生徒会に提出された参加届を見ることができた。紙の上で江内の名と並んでいたのは、「上倉梓亜」だった。
「上倉って誰?」望海が頭をかしげる。
「前の方の席に座ってる、陰キャやん」千夏がいう。「友だちもいないみたいな。やっぱ男癖が悪くて、女友達できんがんない」
「それな」
「江内とおな中じゃないみたいだよ」
「そんなんになんで江内と? 接点なくね?」
「やっぱ男を見ると、すぐに近づくタイプなんない。おとなしい女に限って、陰じゃそういうの、あるあるだよね」
「それな!」
乙葉はすこし気が楽になった。そんな女子なら、何をされてもしょうがない。上倉は、心愛先輩を安心させるため、やっつけなくちゃいけない敵なのだ。
その、上倉が舞台の上でスポットライトを浴びている。夏休み中の花火大会の前に、心愛先輩が江内に告って、めでたくつきあうことになって、それでもう文化祭には出番なしになったと思いこんでいた。女子がふたり出てきても、おなじクラスの女子だとはすぐには気がつかず、こんな子いたっけっていぶかしく思ったほどだ。
上倉はふてぶてしいといっていいくらい堂々と、観客全員の視線を浴びている。ぱっちりしているのに、いくらか切れ長な目が蠱惑的で、吸いこまれそうだ。ぼさぼさ髪のときは隠れていた、目鼻立ちのバランスはAIで作成したみたいだし、頭が小さく手足が長いせいか、すらっとして舞台映えしている。教室ではダサい長さだったはずのスカート丈が、なぜか急にかっこよくなってる。
上倉のとなりでぼーっとしている女子もクラスメイトだ。名前はわからない。教室の隅っこでうじゃうじゃしている子たちの一人だ。鼻先まで伸ばしていた前髪がなくなって、黒目がちな瞳が現れた。おどおどしたしぐさは生まれたての小鹿みたいで、小柄な体型とあいまって、なんだか手を差し伸べたくなる。
ふたりは深々とお辞儀をし、鳴りやまない拍手を背に舞台袖に引っこんだ。
千夏が「すごかったね、ものまね、二木先生そっくりだった」といい、望海は「ふたりともかわいくない?」という。
乙葉はぞっとした。千夏も望海も、自分たちがしたことを覚えていないのだろうか。あのふたりはクラスの出し物のゴミ係で、そう仕向けたのは自分たちだったのに。
そこから舞台では次々と演者が現れたけれど、もう乙葉の目には入らなかった。
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