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それから夫は毎日、私の病院に通った。
といっても今の時代、入院なんてほとんどさせてもらえなくて4日ほどしかいなかったけれど。
自宅へ帰ると、身の回りの世話のほとんどを夫がした。
とはいっても、介護が必要なほど弱っちゃいない。
抗がん剤と筋力の低下によって、前のようにてきぱき動けないというだけだ。
トイレも風呂もひとりで入れるし、ご飯もつくれる。
ひとりでも生活していける。
けれど自分が10かかることを、夫の手助けによって半分の力でやり過ごせる。楽は楽だった。
思えばこれも、『相手の財布は見ない』という暗黙のルールのおかげかもしれない。
片方に寄りかかりすぎていないぶん、夫はこの年代にしてはめずらしく、家の事も何から何までまんべんなくこなすことができた。
薬で朦朧とした頭で、悪くはなかったのかな、と思った。
手術は成功に終わり、3年が経った。
抗がん剤治療もようやく終わりを迎えて、2ヶ月に1回の定期検診と半年に一度のがん検診に行くだけになった。
身体はもとには戻らなかった。
抗がん剤治療によって筋肉は衰え、体力が以前にも増してなくなった。
あれほどダイエットに励んでも太いままだった足とお尻は、一瞬にして骨のようになった。
もう死ねばよかったな、そう思った事もある。
けれど夫はずっと隣にいた。
隣にいて、ずっと尽くしていた。
正直どうでもよかった。
自分の病気のことで頭がいっぱいで、また同じ屋根の下で暮らしていることも、自分以外の女と連絡を取りあっているかもしれないことも、すべてどうでもよかった。
それどころか、もし自分の癌が再発してこの世を去った時、誰か傍にいてくれる人ならいいか、とさえ思った。
べつに深い意味があるわけではなく、40年共に過ごしたせいでできた情の残りかすのようなものだった。
そんな思いとは裏腹に、手術から3年もすると、筋肉は少しずつ戻り、体力も戻ってきた。
あれほど痛かった膝も、ひと口ふた口で放り出していた食欲も、だんだん昔の勢いをとりもどした。
毛質はちょっと変わってしまったけれど。
「もういいわ」
あるとき、私は夫に言った。
「私に毎日付きっきりということは、どうやらもう向こうの女には捨てられたのね。いいえ。たとえまだ女と連絡を取りあっていたとしても、もう赦すことにする」
夫が私を裏切ったことにはかわりない。
だが、他に女が居ようが、ずっと傍にいてくれたことにはかわりないのだ。
パートナーとして老い先短い人生を営むことにしよう。
夫は長く私を見つめたあと、「ありがとう」とつぶやくように言った。
まるで他人ごとのような口調だったが、それ以上は気にならなかった。
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