見知らぬ妻へ

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 サラリーマンとして働いていると、自分が企業の歯車であることを自覚させられる。多少理不尽なことを言われても、従わなければ閑職に追いやられる。守るべき家族がいるわけではない俺にとっては、しがみついている理由は面倒である、ということだけだ。  今日も夜遅くのオフィスで一人残って仕事をしているが、特に誰からも感謝されることもない。代わり映えのしない生活だが、それを望んでいるのは自分自身なのだ。  自宅も、会社から徒歩十五分程度のところを選んだ。全国展開型の賃貸アパートで、住んでいるのはほとんどが一人暮らしばかり。  買い物袋を提げて三階の角部屋まで歩くと、ひとつため息をついてから、ポケットから鍵を取り出した。  ドアを開けた瞬間、すぐに違和感に気づいた。部屋の明かりがついているのだ。たまに朝出かける時に消し忘れてしまうことがあるので、今回もそれだと最初は思った。  続いて、食欲をかき立てる香ばしい香りが鼻をくすぐった。好物のカレーの匂いだ。  ここ最近、自宅でカレーを食べた覚えなどないし、そもそも自炊をする時間などない。隣の家からのものかと思ったが、隣人は先月引っ越したばかり。つまり、匂いの元は自分の部屋の中にあることになる。  もしかすると母親が来ているのかと思った。ただ、実家を離れて十年になるが、一度だってそんなことはなかったし、そもそもこの家の場所すら教えていない。
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