後編

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後編

 宇佐美は居酒屋のカウンター席で一人スマホをいじりながら項垂れていた。自分のしたことに今更ながら恥ずかしさやら後悔やらが押し寄せてきて、考えるたびにため息が漏れた。  スマホの画面にはゲイ向けのマッチングアプリが表示されているが、写真の列をスクロールしても目が画面の上を滑るだけでなんの情報も入ってこない。クリスマスを一人で過ごす寂しさを埋める相手は見つかりそうになかった。  スマホを操作する手を止めると再び会社でのことを思い出し、宇佐美は恥ずかしさを誤魔化すためにまだ半分以上残っているビールを一気に飲み干した。しかし酔えば酔うほど巽のことを考えてしまう。  宇佐美は長いこと巽に片思いをしていた。きっかけは一目惚れ。それからは巽のことを知れば知るほど惹かれていくのを止められなかった。  巽が参加する飲み会には極力参加したり、休憩のときには迷惑にならないように気をつけながら話しかけるなど地道な努力を続けた結果、巽は親しい後輩として宇佐美を可愛がってくれるようになった。  宇佐美はその関係に十分満足していた。何故なら巽はストレートの彼女持ちだったからだ。  高望みをして関係を壊すぐらいなら、忙しい職場の潤いとして巽を愛でていたかった。  そんな巽が結婚秒読みの彼女と別れたと聞いたときはとても驚いた宇佐美だった。そして諦めていたはずの心に少し欲がでてしまった。  長く付き合った彼女と別れたら人肌寂しくなるかも知れない。そこに自分が滑り込むこともできるのではないか。  弱っているところにつけ込むのはどうなのかと自分でも思わなくはなかったが、そんなことがどうでもよく感じられるぐらい宇佐美は浮かれていた。  クリスマスプレゼントを用意したのもそんな浮かれた気持ちからだった。最初は日頃のお礼の気持ち程度のものを考えていた宇佐美だったが、プレゼントを考えるうちにどんどん楽しくなり、気づけデパートに足を運んでいた。  しかし宇佐美は今朝になって急に冷静になってしまった。クリスマスとはいえ突然後輩から高価なプレゼントを貰ったら巽は引いてしまうかもしれない。そもそもどうやって巽にプレゼントを渡すのかも考えてなかった。  結局は直接渡す勇気がなくて差し入れと称して巽のデスクに置いてきてしまった。巽は袋の中のプレゼントに気づいただろうか……。  宇佐美は自分の要領の悪さに再び深くため息をついた。すると隣の席の椅子が突然引かれ、ドカッと男が腰を下ろした。宇佐美はその遠慮のなさに不快感を感じて隣に視線を向けたが、隣に座った人物の顔を見て思わず目を瞠った。 「お疲れ」 「えっ! あっ、おっ……お疲れ様です」 「グラス空じゃん。追加は?」 「えと……じゃあビールで……」  突然やって来た巽はおしぼりを持ってきた店員に「ビールを二つ」と頼むと斜めに座り宇佐美の顔を見つめて来た。巽の視線を受け、宇佐美は自分の顔が熱くなるのを感じた。 「顔赤いけど大丈夫か? 結構飲んだ?」 「いや、そんな……まだ大丈夫です……」 「なぁ、田中達と呑みに行ったんじゃないの?」 「それは……」  宇佐美は自分がついた嘘を思い出して思わず俯いた。他の同僚達と呑みに行った事にしてこの店の名前を伝えたのは、もしも巽の仕事が予定よりも早く終わったら来てくれるかもしれないと期待したからだった。  宇佐美が答えに詰まっていると、店員が元気よく冷えたビールを運んできた。 「まぁいいけどさ。はい、乾杯」 「あっ、乾杯……」  巽は宇佐美とグラスを合わせるとビールをゴクゴクと気持ち良く飲んでいく。ワイシャツの襟から上下する喉仏が見えて宇佐美は思わず目を逸らした。  巽が何を考えているかわからず宇佐美は緊張していた。しばらく二人の間に沈黙が落ちる。  宇佐美が隣を見れずにビールの泡を見つめていると、巽が「これ」と言って机の上に何かを置いた。 「あっ……」 「俺にくれるの?」  そこには宇佐美が買ったプレゼントが置いてあった。 「すみません、迷惑ですよね!」と宇佐美が咄嗟にプレゼントに手を伸ばして箱を掴むと、巽の手が上から重なった。 「俺の?」  そう言って顔を覗き込んでくる巽に宇佐美はおずおずと頷いた。 「ありがとう、嬉しいよ」  巽は宇佐美の手をゆっくりプレゼントから外させると、そのまま宇佐美の手を返してその上にプレゼントを置いた。 「つけて」 「……はい」  宇佐美は言われるがまま巽が身につけているネクタイピンを外し、震える手で自分のプレゼントに付け替えた。 「似合う?」  どこか自慢げな顔で宇佐美に尋ねる巽が可愛くて、胸が苦しくなった宇佐美はトイレに逃げようと「すいません」と勢いよく立ち上がった。しかしその瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。立ち上がったはずが気づいたら椅子に座っていて巽が心配そうに顔を覗き込んでいた。  遠くなりかける意識の中で巽が「気持ち悪い?」とか「タクシー呼んでもらったから」と言っているのが聞こえたが、グラグラしている頭では返事をすることができなかった。  次に気づいた時はタクシーの中だった。隣に座る巽に寄りかかるように座っている事に気づいて慌てて体を起こすと、宇佐美が起きた事に気づいた巽は「まだかかるから寝てな」と宇佐美の頭を再び自身の肩に戻した。  申し訳ない気持ちは車内の暖かさと隣から伝わる体温の心地よさの中で溶けていく。宇佐美はウトウトしながら巽が手を握ってくれている事に気づき、そのことが嬉しくて手を握り返したところで再び意識を手放した。 「宇佐美、起きられるか?」  巽の優しい声に気づいて宇佐美は目を覚ました。  タクシーは知らないマンションの前に停車していて、開いた扉の外から宇佐美の荷物を持った巽が覗いている。 「すみません、大丈夫です」  宇佐美は寝起きで鈍る頭をなんとか覚醒させながらタクシーの外に降り立った。 「もう少しで着くから頑張ってな」  巽は宇佐美の手を引きながらマンションのオートロックを開けて中に入っていく。エレベーターに乗り込むときには宇佐美もここがどこなのか察しがついていた。  エレベーターを降りると巽は再び宇佐美の手を引きながら狭い廊下を進み、一番奥の部屋の前で立ち止まった。  慣れた手つきで解錠して宇佐美を中へと促してくれる。  玄関で靴を脱ぐと宇佐美は再び巽に手を引かれながら部屋の奥へと歩いてゆく。LDKを通りそのまま寝室に連れて行かれ、宇佐美の心臓は戸惑いと期待で痛いほど高鳴っていた。  しかし巽は宇佐美をベッドに座らせると寝室のタンスからスウェットの上下を取り出して宇佐美に渡した。部屋を出て、少しして戻ってきた巽の手にはグラスに入った水があった。 「今日は風呂はなしな。はい、水飲んで」 「ありがとうございます……」  宇佐美はグラスを受け取り水を飲む。あれ? っと宇佐美が拍子抜けしていると、巽は「まだ酔ってる?」と心配そうに聞いてきた。 「いえ、すみません。だいぶ落ち着きました」  グラスを巽に返しながら宇佐美は落ち着かない気持ちで巽の様子を伺うが、巽は宇佐美の返事を聞いて安心した様子をみせるだけだった。 「それは良かった。スーツ、シワになるからスウェットに着替えて今日はもう寝な」 「ありがとうございます……」  いい雰囲気だと思ったのは自分だけだったのだろうか。少し……いや、だいぶ残念に思いながら宇佐美はもたもたとスーツを脱いだ。一人浮かれていただけに気持ちが急速に萎んでいく。まだ完全に冷め切ってはいない酔いと失望感でシャツのボタンを外すやる気がでない。ボタンを三つ外したところで宇佐美はため息をついて手をとめた。 「どうした?」  グラスを片付けに行っていた巽がいつの間にか戻ってきて、宇佐美の目の前に立っていた。宇佐美は心の内を悟られないように俯き気味に「少し疲れて……」と返した。うじうじしている自分に嫌気がさす。  巽を困らせるわけにはいかないのでちゃんと着替えようと思い直したとき、胸元に手が伸びてきて宇佐美はギョッとして顔を上げた。 「しかたないなぁ」  そう言いながら宇佐美のボタンを外していく巽に宇佐美は驚きのあまり固まってしまう。  全てのボタンが外されたところで「はい、バンザイ」と言われるがままインナーごとシャツを脱がされた。外気に触れる肌が心許ない。 「ほら」とスウェットの上を巽から渡され、宇佐美が戸惑いながらスウェットを頭から被ると、今度はスラックスのベルトに触れられて宇佐美は慌てて体を捻った。 「巽さん! 下は自分でやります!」 「いいから楽にしてな」  巽は抵抗する宇佐美を難なくベッドに倒すと手際よくスラックスを足から引き抜いた。宇佐美は恥ずかしさに股間を手で隠しながら体を捻ってた。 「……宇佐美」 「すみません! でも悪いのは巽さんですよ! 好きな人にベッドでこんなことされたらこうなります!」  胸が苦しくて吐き出した言葉は湿り気を帯びていた。この状況なのに宇佐美の股間だけは期待で膨らんでいて、巽に見られたと思うと空回りしている自分に恥ずかしさが込み上げる。  もう帰りたい……と思ったとき、ベッドがギシッと音を立て、巽が上に覆い被さってきた。 「宇佐美。なんで泣いてるの?」 「……泣いてないです」  泣いてないと言うと逆に涙が溢れてくる。宇佐美が溢れた涙を拭おうと自分の顔に手を伸ばすと、その手を巽に取られ目元にチュッと音を立ててキスをされた。 「えっ……」 「宇佐美、笑って? 笑ってるお前が好きだよ」 「……笑ってない俺は好きじゃないんですか?」  思わず拗ねた口調になる宇佐美に巽はふふっと笑いながら宇佐美の頬に伝う涙を拭ってくれる。 「さぁ……、笑ってないお前を初めて見たから。これからもっと宇佐美のこと教えてよ」  宇佐美が恐る恐る巽を伺い見ると、幸せそうな巽の顔があった。 「宇佐美からのプレゼント嬉しかったよ。俺もお前に何かあげたいんだけど、何が欲しい? なんでもあげるよ」 「じゃあ……」  宇佐美は少し考えてから「巽さんが欲しいです」と呟いた。巽は「全部宇佐美にあげるよ」と言いながら宇佐美の唇に甘いキスを落とした。
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