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3-8
俺が人波に戸惑っていると、枝川さんが立ち止まって声をかけてきた。
「そっちは歩きづらいか。こっちを通ろう」
「あ……、すみません」
急に肩を抱かれて、右のほうへ移動した。多くの人とすれ違っているのに、枝川さんと移動すると、ぶつからずに済んだ。向こうから避けている。
(どういう違いかな……。背は高いけど、蔵之介君みたいに大柄じゃないのに……)
久弥の恋人は大柄だ。向こうから避けることが多い。ぼんやりと考えていると、肩を引かれて、ズルズルと端の方へ移動した。今度は早足になり、サササと、横断歩道を渡り終えた。さらにビックリした。
(スイスイ渡ったんだけど……。背が高いからかな?避けられるのかな?)
「佐伯君、戻ってこーい!」
「え?わあああ!」
気がつくと、至近距離に枝川さんの顔があった。悲鳴に近い声をあげてしまった。ボーっとしていたから悪いのに。
俺の悪い癖だ。考えごとをしている時には、周りが見えなくなっている。人の会話も聞いていないし、気がつくと、ルートを外れて歩いていることもある。
「すみませんでした……」
「なにが?」
「考え事をしてると、人の話を聞いていないんです」
(こんな事を言われても困るよね……)
そもそも聞いていないと宣言されたも同然だ。感じ悪いことだ。
「そうだろうね」
「え?」
「話は店に着いてからにしよう。寒いだろう?」
「え?あの……、その……、なんで手を?」
「震えているからだ。右手だけでもマシだろう」
「あの……」
右手を取られて、枝川さんのコートのポケットに突っ込まれた。ますます距離が近づいたことで、心拍数があがった。この人の言動は予測不能だ。
また歩き始めたときに、久弥からの話を思い出した。お気楽に変更してもらえという話だ。
「あの。今日は寒いから、温かいものが食べたいです」
「どの料理も温かいぞ?冷やし中華もそうめんも、メニューにはない」
「そういう意味じゃないです。兄から、お気楽っていう店を勧められました。温まるからいいぞーって」
「俺が選んだ店は半個室だから危ないと言われたのか?」
「え?」
「当たりか。下心を見破られたか」
笑いながら俺の顔を覗き込んできた。この距離感も理解不能だ。
どう言い返したところで、言いくるめるだろう。あえて抵抗しないでおこう。枝川さんの出方次第で、答えを返していけばいい。まともに取り合わない方がいい。いくらお世話になったとはいえ、こういう扱いは引っかかる。
(対等に見ろっていうのは間違いだ。それでも振り回されるのは疲れる……。ご飯を食べた後は帰ったらいいし。もう会わないでいいや……)
だからこそ波風を立てないでおきたい。下手に突っ込んでいくと、ドツボにはまる。話して学んだことだ。
「あれ?言い返してこないのか?」
「本当のことだからです」
質問には短く答える方がいい。突っ込んでくる人への対処策だと思う。食事中も同じようにすればいい。都合が悪くなったと、さっきの店で断る方法もあった。あれほど言い合いをした以上、負けた気になる。
(でもなあ。モヤモヤしてる。嫌なのに?深く考えないようにしよう……)
そのうち飽きるだろう。特に面白い話題のない自分だ。枝川さんのような人には退屈だろう。久弥だったら面白いから、いくらでも話したいだろう。
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