3-8

1/1
前へ
/91ページ
次へ

3-8

 俺が人波に戸惑っていると、枝川さんが立ち止まって声をかけてきた。 「そっちは歩きづらいか。こっちを通ろう」 「あ……、すみません」  急に肩を抱かれて、右のほうへ移動した。多くの人とすれ違っているのに、枝川さんと移動すると、ぶつからずに済んだ。向こうから避けている。 (どういう違いかな……。背は高いけど、蔵之介君みたいに大柄じゃないのに……)  久弥の恋人は大柄だ。向こうから避けることが多い。ぼんやりと考えていると、肩を引かれて、ズルズルと端の方へ移動した。今度は早足になり、サササと、横断歩道を渡り終えた。さらにビックリした。 (スイスイ渡ったんだけど……。背が高いからかな?避けられるのかな?) 「佐伯君、戻ってこーい!」 「え?わあああ!」  気がつくと、至近距離に枝川さんの顔があった。悲鳴に近い声をあげてしまった。ボーっとしていたから悪いのに。  俺の悪い癖だ。考えごとをしている時には、周りが見えなくなっている。人の会話も聞いていないし、気がつくと、ルートを外れて歩いていることもある。 「すみませんでした……」 「なにが?」 「考え事をしてると、人の話を聞いていないんです」 (こんな事を言われても困るよね……)  そもそも聞いていないと宣言されたも同然だ。感じ悪いことだ。 「そうだろうね」 「え?」 「話は店に着いてからにしよう。寒いだろう?」 「え?あの……、その……、なんで手を?」 「震えているからだ。右手だけでもマシだろう」 「あの……」  右手を取られて、枝川さんのコートのポケットに突っ込まれた。ますます距離が近づいたことで、心拍数があがった。この人の言動は予測不能だ。  また歩き始めたときに、久弥からの話を思い出した。お気楽に変更してもらえという話だ。 「あの。今日は寒いから、温かいものが食べたいです」 「どの料理も温かいぞ?冷やし中華もそうめんも、メニューにはない」 「そういう意味じゃないです。兄から、お気楽っていう店を勧められました。温まるからいいぞーって」 「俺が選んだ店は半個室だから危ないと言われたのか?」 「え?」 「当たりか。下心を見破られたか」     笑いながら俺の顔を覗き込んできた。この距離感も理解不能だ。  どう言い返したところで、言いくるめるだろう。あえて抵抗しないでおこう。枝川さんの出方次第で、答えを返していけばいい。まともに取り合わない方がいい。いくらお世話になったとはいえ、こういう扱いは引っかかる。 (対等に見ろっていうのは間違いだ。それでも振り回されるのは疲れる……。ご飯を食べた後は帰ったらいいし。もう会わないでいいや……)  だからこそ波風を立てないでおきたい。下手に突っ込んでいくと、ドツボにはまる。話して学んだことだ。 「あれ?言い返してこないのか?」 「本当のことだからです」  質問には短く答える方がいい。突っ込んでくる人への対処策だと思う。食事中も同じようにすればいい。都合が悪くなったと、さっきの店で断る方法もあった。あれほど言い合いをした以上、負けた気になる。 (でもなあ。モヤモヤしてる。嫌なのに?深く考えないようにしよう……)  そのうち飽きるだろう。特に面白い話題のない自分だ。枝川さんのような人には退屈だろう。久弥だったら面白いから、いくらでも話したいだろう。
/91ページ

最初のコメントを投稿しよう!

117人が本棚に入れています
本棚に追加