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 トイレを済ませて出てくると、男性がどこかに電話をしていた。忙しそうだ。一人で会場に行った方がいいだろう。しかし自分がどこに居るのかが分からない。迷子になるのはまずい。電話が終わるのを待とうと思った。 「早瀬代理に控え室へと伝えてくれ。先に入ってもらって。後から行く……」 「……」  すると、男性が電話を終えた。そして、俺のそばに来て、笑った。 「佐伯君、おまたせ。気にしなくていい。何度も運営をやっているから慣れているんだよ。人が多くて面食らった?」 「平気です。大学も人数が多いから……」 「O大の情報理工学部だったね。僕も同じ大学の出身だ」 「そうなんですね。どの学部でしたか?」 「経済学部、国際政治経済学科。皆石教授にはイジメられたよ。数学科の先生」 「あの教授かー。評判悪いです」 「君は大丈夫か?」 「俺は可愛がられています」 (ハイハイって、素直だから……) 「佐伯君は優秀なんだね。あの先生は真面目な子には優しい」 「ううん!もっと真面目な子がいるんだ。学生は屁理屈ばかりで、実践できないって言うんです。ショックを受けてる子が居たんだ」 「あの教授こそ、屁理屈ばかりだ」 「そうだねー。はははは」 「やっと笑ってくれたか」 「だって面白いもん。あ……すみませんでした!」 (失敗した。調子に乗った……。タメ口だった……)  男性は気を悪くした風もなく、ゲラゲラと豪快に笑い飛ばした。こういう大らかな人が好きだ。久弥のような人だと思った。 「畏まらなくてもいい。君と話すのが面白い。今日の帰りに、一階のカフェでお茶を飲まないか?もちろん奢るよ」 「いえ、そういうわけには……」 「この3日間は、参加者同士の連絡先の交換が禁止だ。知っているだろう?」 「はい。募集要項にそう書かれていました」 「つまり君と連絡先を交換できるのは、日程終了後だ。”また今度” にするとね。その”今度” が訪れない。終わったら、一階のカフェで待っていてくれないか?」 「悪いので……」 「どういう点が?」 「え?」 「もちろん無理強いはしない。ナンパでもない。話していて楽しいから誘ってる。……だめ?」 (俺も楽しいけど。失敗したくないし……)  この会社に入りたいからだ。調子に乗って何かやらかす心配がある。普段の俺なら二つ返事で誘いに乗る。しかし、今回は断ろうと決めた。 「そうすると、参加者だって言う線が引けなくなります」 「そうか……。そう言われると正論だ。俺の方が年下みたいだね」 「そんなことないです!」 「反省した。ごめんね」  男性が恥ずかしそうにしている。会ったばかりの学生に声を掛けて、断られたからだろう。気軽に声をかけたつもりだったのだろう。フランクな人なのだと思う。こういう人懐っこい人は好きだ。そこで、どうして誘いを断ったのかを説明することにした。 「俺の欠点だからです。甘え癖があって、調子に乗るんです」 「そうなのか。俺も同じだ。この年で悩んでいる。なかなか直らなくて……」 「そうなんだ?働いていて大変じゃない?」 「そうだよ。周りは大人だから、俺みたいな奴は少ない。話を聞いてもらえる人が欲しい。ちゃんと線を引いて、周りにも迷惑を掛けないようにする。君と話すのが楽しい。大学時代を思い出すようだ。……だめ?」  男性が困っている。やっぱり恥ずかしいのだろう。そこで俺はOKすることにした。このままだときまずいだろう。 「うん。俺でよかったら!」 「ありがとう。声をかけて掛けてよかった」 「……」 (喜んでくれた。よかったな……) 「17時に終わった後、一階のシャルロットキッチンで待っていて。好きなものを頼んでいい。チキンサンドはボリュームがあるから避けてくれ。晩ご飯が入らなくなるから」 「はははは。そんなに食べないよ。名前を聞いてもいい?」 「枝川幸也(えががわこうや)。28歳。営業企画部マーケティング推進室でチーフをしている。いわゆる係長だ。上司と部下の板挟み。臆病者(チキン)だからチキンサンド」 「はははは」 「エレベーターが来たよ。はい乗って」 「はい!」 (面白い人だな……)  エレベーターに乗り込んで、8階の会場へ向かった。
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