つよがり

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つよがり

三軒茶屋のマンションから職場の青山まで20分弱で着く。 改札を出て階段を上がりきると冬の冷たい風が頬を吹きつける。 通勤ラッシュで乱れたマフラーを巻き直し数メートル。 駅前の雑居ビルの一階にわたし北川深月の働く書店がある。 今日のシフトは遅番だ。 もう店は開いて店内にはお客様がいる。 レジ裏の休憩室に入りロッカーを開け、店名入りのエプロンと名札をつけ、 業務連絡のノートに目を通し、確認済のサインをする。 持ち場へ向かおうとしてちょうどお客様が途切れた。 レジにいる後輩に出勤の挨拶をする。 「おはようございます」 定期購読の商品を整理してくれていた広尾さんは肩をビクリとさせた。 まるで親に悪戯がばれた子供のような態度だ。 「ごめん。驚かせてしまった?」 「いえ、そうではなく…」 困惑を滲ませた瞳が気まずそうに揺れる。 思わず隠そうとしたはずの、週刊誌の表紙は、 わたしの方へ向けられていて、それを読み、 広尾さんの態度に納得がいく。 その週刊誌を、わたしに見せたくなかったのね…。 でも書店で働いていてそれは無理だよと内心つっこむ。 人気俳優と今をときめくアイドル女優の熱愛記事。 男の方はわたしの恋人、秋月昴。 少し前までこの書店で周防光一という名で働いていたバイトだ。 アイドル女優の方は、うーん。よく知らないや。 以前わたしと昴がつきあっているとスタッフに知られてしまった。 ケンカップル疑惑があったせいで「やっと!?」みたいな反応で祝福され、 こういうところ社内恋愛って面倒だなと思いつつ、わたしは言う。 「…気を遣わせてごめんね。気にしなくていいよ」 たぶんこの会話は、周囲のスタッフも聞き耳を立てている。 広尾さんのわたしへの態度がぎこちないのは間違いなくこの記事だ。 「大丈夫。慣れてるから」 「!」 さらっと言ったつもりが、広尾さんは金魚みたいに口をパクパクさせて、 「そ、そんなに… 女好きなんですか!? 周防さん!!」 「違う! そこじゃないから!!」 しまった…誤解を招く言い方だった。 嘘の熱愛記事だと誤解は解けたものの…昴は女好きじゃない。 あれで結構人見知りだし、大学の頃から寄ってこられては逃げていた。 不器用で、シャイで甘い言葉なんてまあ聞けない。 でも言葉がほしいタイミングでちゃんと気持ちを伝えて安心させてくれる。 そういう人だと知っているからわたしは昴を信じている。 慣れてるっていうのは…そういう真実か嘘かもわからないことが、 面白おかしく切り取られたりして記事になること、だよね…。 わたしも子役だったし、親も友達も業界の人だし? 幼なじみのユキにもなるべく二人きりで会わないようにしてる。 (だって勝手にユキの彼女にされちゃ、たまらないもの) そう、だからそういうものだってくらいの気持ちでわたしは気にしてない。 でも気にしてないのは、……わたしだけだったようだ。
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