もりのくまさん

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 熊と出会った時、死んだふりをしろとよく言われる。けれど、実際にそんな状況になった場合、いったい何人が冷静に死体を演じられるだろう。  僕はそんなことを考えながら、今まさに死体を演じていた。顔色はどうしようもないほど悪いし、おあつらえ向きに額の真ん中に派手な出血跡があるし、辺りに荷物が散乱している。そして、富士の樹海並とまでは言えなくても、なかなか陰気くさい森の中に、僕は身じろぎもせず寝転がっているのだ。これで呼吸さえ上手く隠すことができたら、完璧なんだけど……。  まぁでも、相手は所詮、多少図体が大きいとはいえ動物だ。こっちが呼吸しているかどうか確かめようとするほど、頭が回るとは思えない。多分、問題ないだろう。  後は、救助隊が来てくれるのを信じて待つだけだ。幸い、この山は国定公園に指定されているから、山道がある程度は整備されている。救助に手間取ることはないだろう。家族が捜索願を出してくれていたら、早ければ夜明けには助けに来てくれるはずだ。  文明の利器、携帯電話が使えたら、こんなまどろっこしいことはしなくてすむんだけど、山の中じゃあ電波は届かない。よしんば届いたとしても、話し声を聞いた熊がやって来たら、せっかくここまで立派に死体を演じている意味がなくなってしまう。  なんて、くだらないことを考えている時、遠くから足音が近付いて来るのに気付いた。複数の頼もしい足音が、僕の方へ向かっている。救助隊だ!  ここです! ここにいます! そう叫んで彼らを呼ぼうとしたが、思った以上に疲労が溜まっていたのか、上手く声が出ない。まいったな、本当に死体みたいじゃないか。 「成人男性発見。応援願います」  救助隊員らしき人の声が聞こえる。せめて目を開けようと、瞼に思い切り力を込めてみた。だが、朝焼けの空が見えるだけで、輪郭をもつものはなにも見えなかった。 「呼吸、脈拍、ともにありません」  ……え? 今、なんて。 「この頭の傷は……、熊に襲われましたね。もう……」  ……もう? なにを言ってるんだ? この人達は。  気が狂いそうな沈黙が、落ちる。誰か……、誰か、冗談だと言ってくれ。こんな馬鹿なことがあってたまるか!  僕が本当に、死体だったなんて。  
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