カンジョウ、ぐるぐる。

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「悠、起きて。乗り過ごしたらもう電車ないんだから」  梓に起こされて、慌てて電車を降りる。僕たちの家の最寄り駅。今日は航と綾野さんに梓を紹介した。会話に花が咲いて随分と遅くなってしまった。  鞄の中には婚姻届。証人欄には航と綾野さんがサインしてくれた。明日、提出しに行く予定だ。僕らは明日、夫婦になる。  梓の顔をじっと見る。日焼けした肌。短い髪。夢の中で僕が想像していた十九歳の梓とは随分と違うが、梓だ。  嫌な夢だった。いやにリアルな夢だった。梓が死ぬ夢。フランスで死んだ梓の姿が帰られてしまう夢。新婚旅行でフランスに行く予定なのに、縁起が悪い。 「悠、ありがとう」  梓の一言で疑念がわく。あれは夢ではなかったのだろうか? 記憶をたどる。しかし、梓との記憶はどれも独りよがりなものばかりだ。髪の短い“生きている”梓と髪の長い“幽霊の”梓、どちらと過ごした記憶が正しいのか僕は確証が持てなかった。  僕は心の底から過去を恥じた。そのどちらの記憶が本当にせよ、僕が梓と向き合ってこなかったのは事実だ。 「婚姻届出したら、帰りに上野動物園に行こうか」  だから僕は、これからは梓と向き合って生きていく。梓をちゃんと見て、梓を幸せにするために結婚するのだ。  僕らは改札に向かう。定年間際と見られる駅員が仕事をしている。深夜の駅構内に似つかわしくない幼い少女が、駅員に寄り添っていた。顔を見ようとして、僕は思わず振り返る。そこにはもう誰もいなかった。 「パンダ、楽しみだね」  梓が笑った。 「そうだね」  はっとして僕は答えた。気にすることはない。僕が見るべきは、“僕らの別の幸せの形”ではなく“目の前の梓と作り上げる幸せ”なのだ。  あの時とは違うパンダが僕らを待っている。変わっていく。世界も、僕も、梓も。でも大丈夫、怖がることは何もない。僕には妻がいる。
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