環を解く

2/7
前へ
/7ページ
次へ
 私の一日は義父の青あざに始まる。  午前四時頃になると、決まって肉を床に打ち付ける音が聞こえてくる。目頭に溜まった一縷の涙を瞬かせて枕を濡らすと、今度は義母の駆け寄る音。そうして、私がまたひとつ瞬く間に差し伸べた義母の温かな手を叩かれる。 「近寄るな」の怒声。義父の剣幕と憎しみを込めた瞳に俯き、小さな背中がさらに丸くなること。 義母はいつまでこれを繰り返すのだろうと、私は同じ姿で眠る夫と息子を眺めながら早二年の月日が流れた。  *  夫と結婚したのは五年前になる。妙に自信のある人で、事ある毎にドジを踏む。それでも屈託のない笑顔が素敵で、君のことになるとどうも自信がなくなると言うものだから、その紅潮した頬に赤らめ顔で返事をした。  ダイヤがひとつ嵌められた、シンプルな結婚指輪だった。婚約指輪はそれよりもシンプルなソリティアリングを。その違和感を連れて、私たちは夫婦になった。息子が生まれてからも、仲の良さは欠けることがなく顕在していた。  湯気を立たせれば夫と息子の無邪気な声が会話を誘う。おはようと返せばおはよう、と。いってらっしゃいと手を振ればこちらに向き直っていってきますと言葉をくれる、そんな絵に描いた生活に心酔する最中のことだ__夫から「話がある」と切り出されたのは。  夫の傍に褐色に耽ける湯気を立たせ、自分のにはインスタントな安い苦味にクリープの濃霧を立たせた。イヤイヤ期のピークを迎えた息子の声がリビングにこびりつく浅春の夜。大変な時期にごめんと口に出した夫に、もう湯気の正体の話などは出来なくなるのだと悟った記憶がある。  父さんが認知症になった。  そのひと言に、私はなんて返しただろう。甘い濃霧の隅へ追いやられた半端な苦味に縋るごとく、適当な相槌をやったに違いないことだけは憶えている。  まだまだ手のかかる息子がいちばんに思い浮かび、次に自身の幼い記憶がバグのように生じた。夫はすっかり伏せた私の瞳に懇願してきた。  急なお願いなのは分かっている、それでも義母一人にすべてを負担させることは出来ない、一緒に住まわせて緊急時に対応出来るようにしたい。  夫の言いたいことは敢えて口に出されなくても容易に想像できるものだった。きっと顔に見合わない返事をしただろう。二つ返事の言質を取った夫の、複雑ながらも素直に喜んでいた瞳と心底安堵した「ありがとう」は私の呪いとなった。  義父のことが嫌いだったわけではない。義母のことも、ましてや嫌いだなんて思ったことは一度たりともない。  今あるこの生活が崩壊するのが目に見えていたから? __いや、それもない。すべてを否定出来るわけではないが、きっと奥底で別のなにかが義父母との共同生活を拒んでいた。  最悪な未来を想像していた。  それはおそらく、母の仕業だった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加