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あの後、夫の腕に抱かれたのは私ではなく息子の方だった。両肩を揺らされて現実を見ろと叫ぶ、だがこの両眼で何を見ればいいのだろうとただ立ち尽くして壊れた私に愛を向けてくれる者はいなかった。
擦り付けられたのは責任感を上手い具合に細かく切り刻んだ偽りの愛だけで、あの日のショックから義父はその後数日でこの世を去った。正直、羨ましいとさえ思った。
血反吐を撒き散らす如く一筆箋に滲む霞む字で義母への無償の愛と、罪悪感からか私にたった一枚だけ「ごめんなさい」の文字をはためかせて身勝手に灯火を消した。最後の最後まで私を若い頃の義母だと思い込み、身の毛がよだつほどの気持ち悪い眼を私に預けて逝った。義母も義母で「あなたが私になってくれてよかった」と、「鐘子さんがいなければすぐに後を追っていただろうから、これでよかった」のだと上っ面な愛を死んだ両手に重ねていた。
四十年間のくだらない結婚生活はこんな醜女の、愛を受け取る資格もないような人間に根こそぎ掻っ攫っていかれたというのに。ゾッとした。
あの日「いい子」に取り憑かれた私を正真正銘無償の愛で握ってくれた父はもういない。私の傍にいるのは馬鹿の一つ覚えのように義父の色違いである白五本を生ける義母と、義父がいなくなったことで繕う必要のなくなったかつての私を甘やかす、責任感の愛をあの日以降押し付ける夫だけだ。
母に、会いたい。
環を解く。離婚届と置手紙を用意して、鈍く光るちっぽけな鎖を指先から。すべては母をなぞるように、一言一句丁寧に書く。母は今頃本当の愛を掴めているだろうか。私にも頂戴。欲しいの、もっと、愛が。
『ごめんなさい』。
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