コーダは君に会いに来た

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コーダは君に会いに来た

 その日、私は荒れていた。  ものすごく、それはもうものすごく荒れていた。 「あんのクッソお局……ぐちぐちぐちぐちうっせーんだよ、タコ!」  ぶつぶつと呟きながら、公園のベンチにどっかり座る。本当はさっさと家に帰らなければいけないところだったが、今はそれさえ億劫だった。  仕事が終わった金曜日。本来なら、それなりに楽しい時間であるはずだ。土曜日には録り溜めしたドラマを見ようとか、久しぶりにネッ友とオンライン飲み会でもするかとか、そういうことでも考えていたはず。  そう、少なくとも今日の仕事の終わり間際までは、私もそういうウキウキとした気分だったのだ。  よりにもよって定時ギリギリに、お局からどっさり仕事を頼まれるまでは。 『あたし、パートだから残業するなって言われてるのー。園部(そのべ)さあん、お願いできない?』 『……は?』  前々から相性の悪い人物ではあったのだ。十二時から十六時半という短時間しか職場に来ないパート。ゆえに責任が重い仕事は任せられず、それでいてもう十年以上この会社に勤めているという厄介なポジションのおばさん。  それでも彼女がいないと手が足らない雑事も多いし、ポジション的にはベテランにもなるので来る時はそれなりに頼られているし、いなくなられたら困るということで課長も強くは言えない人物である。実際、まったく戦力ならないというわけではないのだ――ただ。  非常に、そう非常にええかっこしい、なのである。  自分を良く見せるために、己の就業時間ではどう考えても終わらない仕事をどんどん引き受けていくのだ。その挙句、こなしきれなくて残りを他の正社員に任せてさっさと帰る。己が立場上、残業を禁止されているのをいいことに。  今回もそうだ。私、園部弓留(そのべゆみる)は自分のノルマをきっちりこなしていた。早めに帰って、今日こそはリアルタイムでドラマを見ようと考えていたのである。この様子ならちゃんと残業せずに十七時の定時で帰ることができそう、と十六時半に時計を見た矢先だったのである。  何故、そんな定時間際にどっさりと雑務を投げつけてくるのか。  何故、己の力量でこなしきれない仕事を安請け合いするのか。自分で断らないのか。  そのくせ彼女はいつも翌日、仕事を頼んできた男性社員らに“ちゃんとやっておいたわよー”とさも自分で全部こなしたような顔をしてお礼を受け取るのだ。その大半を、無関係の正社員がやっていたとしても。 ――しかも決まって、私みたいな年下の女性正社員にばっかり投げつけてきやがる!  今日だけは譲れなかった。私は引きつった顔で“それはちょっと”と言ったのである。 『その、私も自分の仕事があるので、できないです。終わらなかったら、その旨を正直に課長に報告しては?』  遠まわしに“終わらせられない仕事を受けたお前が悪いだろ”と告げれば。彼女はあからさまに眉を下げて、“ねえ課長ぉ!”と猫なで声で管理職を呼ぶのだ。  ちなみにこのお局、五十二歳既婚者。それなりに美人で男性相手には非常に愛想がよく面倒見がいいキャラを通しているので男たちからのウケは悪くなく――。 『あたし、そろそろ定時だから帰らないといけないんですけどお、他の人から頼まれた仕事が残っててぇ。でも、園部さんはやってくれないって言うんですよお』  なんて卑怯な女だろう。このままでは、私が完全に悪者だ。しかも、みんなに聞こえるように大声で訴えるのがなんともずる賢い。  結局課長にも頼まれてしまい、私は残業をして帰る羽目になったのだった。当然、リアルタイムで推しドラマを見るという淡い夢は叶わなかったのである。
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