1.初夜

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1.初夜

 祝福の鐘が鳴り、あたしはバージンロードを歩いていく。  純白のドレスはドス黒い企みを隠す偽装のベールで、深紅の絨毯は流された血のせせらぎだなんて、集まった客の誰も知らない。  いたぶり尽くしたあたしの体は、あの子の仇に違いない男へと引き渡され、紙吹雪が舞い、ブライダルブーケが宙を舞う。  広川知美・二十六歳と、高瀬翔馬・二十七歳の結婚式――。  今日があの子の三回忌だなんて、みんな忘れている。  二次会が終わり初夜の部屋へと誘われ、この日まで我慢を強いられた高瀬翔馬はあたしの唇をむさぼり、乳房をつかみ、ベッドに押し倒す。無遠慮にスカートをたくし上げ、ショーツを下しかけた手首をあたしはつかんだ。 「待って。シャワーくらい浴びてよ」  突き放された男は目をしばたかせ、ごまかし笑いを浮かべた。 「一緒に入る?」 「いやよ。あたし、一人で入りたい」  高瀬は何事かぶつぶつ言いながら、一人でシャワーを浴びに行く。やがてバスタオルを腰に巻いて戻ってくるが、抱きしめようとする腕をすり抜け、今度はあたしがバスルームに入った。 (ごめんね。でも、これは復讐を遂げるためのプロセスなんだ……)  あたしはあの子に言い訳をして、これから汚される体を丹念に洗い、覚悟を決めた。 (市場に並ぶマグロみたいに時間をやり過ごせばいい)  シャワールームを出てバスタオルを胸に巻き、髪を乾かす。テレビの音声に交じって、高瀬の鼻歌が耳に届いた。 (浮かれやがって……)  たとえ鼻歌だろうと、あの男が楽しそうにするだけで怒りがこみ上げる。化粧ポーチのコンドームを握りしめ、あたしはベッドルームへ行った。  高瀬はニヤニヤと笑いながらあたしの腕をつかみ、抱き寄せた。胸に巻いたバスタオルをはぎ取り、節くれだった手があたしの尻を愛撫する。それだけで男の欲望はいきり立ち、その突端が腹に当たった。両手をついて男から逃れると、これ幸いとばかりに高瀬はあたしの裸体を鑑賞した。 「キレイだよ」  そう言ってベッドに押し倒し、圧倒的な力であたしを押さえつけ、乳首を吸った。右手が乳房を、左手が股間をまさぐる。悔しいけれど蜜が溢れ、あたしの体は勝手に男を受け入れようとした。 「待って――」  あたしはコンドームの袋を男に渡す。 「これ、使って――」  一瞬、男の表情に不満が浮かんだ。それでも初めて抱くあたしの機嫌を損ねまいと配慮したようで、袋を受け取る。この男がコンドームを嫌がる話は、あの子から聞いていた。もちろん、妊娠を避けるためだが、それよりも嫌がらせなんだよ。  諦めてゴムを装着した男は、仕切り直しであたしの体に舌を這わせ、両脚を押し広げた。敏感な蕾を舌先で苛められ、あたしの体は否が応でも仰け反ってしまう。それを悦びの表現と誤解したのか、痛いほど天を衝く乳首に男はしゃぶりつく。やがて欲望の先端が泉をかきわけ、ついにあたしは貫かれた。この体は弓のようにしなり、さらに突き出された乳首を男の指がはさんだ。  全身を駆け巡る無情の反応が、声となって漏れてしまう。  奪われそうな理性を繋ぎ止めようと、あたしは、あの子のことを考えた。     *  あのとき、確かにあの子はあたしの元へ帰ってきた。  それは六月の雨の日で、インターホンのモニターに映ったあの子はずぶ濡れだった。なのに、帰ってきてくれた事実が嬉しくて、あたしの心は躍った。  バスタオルを広げ、髪を、そして、痩せた体を夢中で拭いてやった。濡れた服を脱がせ、浴槽に湯を貯め、二人で入った。 「トモちゃん、ごめんね――」  あの子の柔らかな頬に、涙がつたった。 「いいんだよ、もう、気にしないで」  あの子が女性としての喜びを求めたからといって、あたしには何ひとつ文句はない。高校の同級生が、そういう関係になることは時々あって、卒業後に別れて男と付き合い、結婚することは珍しくない。  高校卒業後、あたしとあの子は総海製作所に就職した。そこは太平洋に面した総海市というところで、地方「都市」というには寂れた街であり、そこに君臨する大企業が総海製作所だ。総海製作所は、一般家電から工業用機械まで幅広く手がける総合メーカーだ。  中学二年の頃から母の再婚相手に性的虐待を受けてきたあたしは、家出同然に工場の女子寮へ逃げ込んだ。あの子も同じ寮に入り、二人でアパートを借りれば自己負担が大して変わらないことに気がついた。  入社して一年後、あたしたちは工場の近くにあるアパートを借りて引っ越した。あたしはテレビの製作ライン、あの子は工作機械の製作ラインだ。単調だけど楽しい毎日だった。一生、あたしはあの子と暮らしていくのだと思った。  ところが、二十二歳となったある日、異変が起きた。東京の大学を卒業し、研修生として工場に派遣された高瀬翔馬という男が、あの子の前に現れた。こっそりと顔を見に行くと、どこか軽薄そうなお調子者といった雰囲気だった。 (あんな男が、あの子を幸せにするとは思えない――)  しかし、あの子を気に入った高瀬は猛烈にアタックしたらしい。次第に、あの子の気持ちが傾いていく。高瀬自身も総海市の出身で、同郷で話が合ったのだろう。ついに、あの子はあたしに別れを告げ、出て行った。  でも、いつかあの子は帰ってくるという、予感めいたものはあったんだ。  だから、どうしてもアパートは守り続けたかった。だけど、一人だけの給料で維持していくのは苦しくて、あたしは工場を辞めてスナックのホステスになった。  相良正人というアルバイトの学生に惚れられて童貞を捧げたいと懇願され、酔った勢いで部屋に連れて帰り、そのまま抱かれ、その男が転がり込んで暫く一緒に暮らし、ふいに立ち去っても、あたしはそのアパートに住み続けた。  スナックには、総海製作所の社員が多く訪れた。高瀬翔馬も時々顔を見せた。あたしとあの子がそういう関係だったことも知らない高瀬は、店に来るとあたしを隣に座らせた。肩を抱き、膝に乗せた手を内側に滑らせ、デュエットを唄った。  そして二年経ち、六月の雨の日、ついにあの子は帰ってきた。あたしはママに電話をして、風邪をひいたらしいと嘘をつき、休みをとった。 「トモちゃん、あたし汚れちゃったけど、キスしてくれる?」 「ちっとも汚れてなんかいないよ」  本心からそう返し、あたしはあの子にキスした。その唇は記憶のままで、真綿のように柔らかく、あたしの意識は雲の上をスキップした。  あの子の服を乾かしながら、あたしたちは久しぶりにベッドで愛し合った。互いの手と口と体で、何度も、いつまでも、エクスタシーを堪能した。ようやく疲れたあの子はあたしの乳房に甘え、こう呟いた。 「あの人が怖い――」  あの子の惨殺死体が発見されたのは、それから一週間後のことだった。 早くここに帰ってこいと、なぜ、言わなかったのか――。あたしは気が狂うほど後悔し、あの子が残した言葉を警察に伝えた。どれほど真剣に受け止められたのか、それはわからない。結果的に、高瀬が逮捕されることはなかった。犯行時刻に、高瀬は親戚の家で酒を飲んでいたというアリバイがあった。  高瀬のアリバイを証言したのは親戚の男で、高瀬をスナックにつれてきた常連だった。元は総海製作所の社員で、五十五歳で退職した。一緒に遊びに来る元同僚は、六十歳の定年まで働くという。なぜ、彼は五十五歳で退職したのか――。  観察しているうちに、ある事実に気が付いた。自分がリクエストしたカラオケの曲を、しばしば忘れるのだ。 (若年性アルツハイマーではないのか?)  ある日、その男がトイレに行った隙に、一緒に遊びに来た元同僚に疑問をぶつけてみた。 「ちょっと気がついたのだけど……」  薄手のドレスの胸を押し当て、耳元で囁くあたしの言葉に、男の口は軽かった。 「高瀬さんの記憶力って、ちょっとヤバくないですか?」 「あ、気がついちゃった? 実はそうなんだよ。気の毒だけど、ほら、若年性アルツハイマーってやつ、あれみたいでさ、仕事でミスが目立つようになったもんだから、定年前に会社を辞めたんだ」  その事実を警察は知った上で高瀬翔馬のアリバイを認めたのだろうか――。そうかもしれないし、そうでないのかもしれない。もし、そうでないのなら、高瀬翔馬を再捜査するかもしれないが、承知の上だとすれば、そうはならない。  敢えて警察に申し出るか、どうするか――。  迷っているとき、偶然にも高瀬翔馬本人が店に現れた。あの子が死んで間がないというのに、高瀬は何食わぬ顔であたしを隣に座らせ、肩を抱き、膝に置いた手を内側に滑らせた。 (この男の懐に飛び込めば、もっと何かがわかるかもしれない――)  そんな企みが芽生え、あたしはその考えに取り憑かれた。ある夜、何でその話になったのか覚えていないが、ランチの話題になった。工場の食堂がおいしくない、としきりに高瀬は文句を言った。 「じゃあ、あたしがお弁当を作ってあげるよ」  付き合っていた女が殺されて間もないというのに、その一言で、おそらく高瀬翔馬は落ちた。毎朝、あたしは弁当を作り、高瀬の待つバス停に届けた。スナックのあばずれたホステスだなんて微塵も感じさせない清楚で純真な娘に化けて。冷凍食品は一切使わない、全て手作りの弁当を渡されて、会社でからかわれると嬉しそうに高瀬は笑った。 「いってらっしゃい」  朝の爽やかな笑顔で手を振ってバスを見送り、振り返ったあたしは大あくびする。クリスマスイブ、ダイヤの指輪を見せられ、あたしはプロポーズされた。     *  高瀬は激しく腰を動かし、あたしの乳房が上下に揺さぶられる。体の奥にエクスタシーの萌芽が生まれ、次第に膨らんでくる。 (あの子も、こんなふうにされていたのだろうか……)  ふと、自分の体にあの子が憑依しているような気分になった。 (イヤだ、いきたくない!)  あたしはシーツを握りしめ、懸命に耐えた。 (この男じゃない……あたしが愛したのは、あの子だけだ……)  なのに、肌の内側は容赦なく熱いもので埋められていき、もうこれ以上は耐えきれない臨界点に達する直前、男の体が離れた。 「やっぱ、ゴムをつけていると感じないんだ」  見れば、まだ出していないのに男の股間はぐったりとしている。 「取るよ……」 「ダメだよ、あたし、まだ子供は欲しくないんだから」 「外に出すから」  男はコンドームを取った。 「大きくしてくれる?」  あたしが触れると、瞬く間に息を吹き返してくる。 「フェラ、してよ」  このまま挿入されて中に出されるよりマシだ。 「寝て」  男はベッドに仰向けになる。あたしはその欲望を両手で支え、舌を駆使した。アパートに転がり込んだ男に仕込まれた技だ。よほど感じるのだろう。男は目を閉じ、薄ら笑いを浮かべて快楽の海に漂った。それはいっそう太く、逞しくなり、脈を打つ。やがて熱い液体が存分に放たれ、あたしは呑み込んだ。  そして、男はあたしの腕を引いてベッドに倒した。三十分ほども男の指に奏でられ、溢れ出た蜜にまみれて、あたしはいかされた。     *  バスルームへ逃げ込んだあたしは、その時間の全てを洗い流した。パジャマを着てベッドルームに戻ると、裸のまま毛布をかぶった男は、天井を見ながらこう告げた。 「オレ、マンション買うよ。稲毛海岸の新築3LDK、80㎡を35年ローンで」  高瀬の職場は海浜幕張駅近くのビルに入っている。稲毛海岸は京葉線で二駅だ。 「あれ? 感想は?」  喜ばないあたしに拍子抜けしたらしい。 「ローン、大変だね」  迷惑だと言わんばかりの反応に、男は背中を向けた。 「トモちゃんって、なんか、感動が薄い子だよね」 「そうかなあ」 「新婚旅行も行きたくないって言うし……」 「だって、何時間も飛行機に乗るなんて疲れるじゃん」 「新幹線で温泉行くのも拒否したよね」 「電車も同じよ。要するに、何時間もじっとしているのが嫌なの」 「それじゃあ、一生、どこへも行けないよ」 「あたしは、家でのんびりしているのが好きなんだって」 「あれ、キャンプが好きって言ってなかった?」  結婚前は、適当に高瀬の言葉に合わせてアウトドアが好きだと答えたこともある。嘘ではない。あの子とキャンプへ行き、釣りをしてテントに泊まったのは大切な思い出だ。しかし、この男と二人で行くつもりなど、さらさらなかった。 「興味はあるけど、やっぱり面倒くさいな」 「じゃあ、夏休みは?」 「暑いんだから、クーラーの効いた家で過ごせばいいじゃん」  男は暫く黙った。 「やっぱり、マンション買おう」 「え?」 「トモちゃんが、そんなに家が好きなら、そこに贅沢するよ」  それでも嬉しさなんて微塵も感じなかった。 「いつ引っ越すの?」 「来月には引き渡しのはずだよ」 「へえ、すぐなんだね」  どうやら売れ残りの部屋らしい。 「もう建っているよ。明日、見に行こうか?」 「いいよ」  男は、もう一度、あたしに襲いかかってきた。あっという間にパジャマのズボンを下され、コンドームをしないまま背後から貫かれる。いつの間にかあたしの体はあの子になって、犯される屈辱が悦びの歌となりオーガズムの崖を転がり落ちた。 (つづく)
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