婚約破棄の裏側

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婚約破棄の裏側

「俺はルーティナ・フィンセント公爵令嬢との婚約を破棄する」  卒業パーティーで突然起きた婚約破棄。私はごくんと唾を飲み込む。ビクビクしてはいけない。  だって私は悪女としてこの場に立たなくてはいけないんだ。 「……理由を聞いても宜しいでしょうか?」 「無論、貴様は聖女エスティルの私物を壊し紛失させた。また、花壇の手入れをしているところに上から水をかけ、さらに数日前にはエスティルを暴漢に襲わせようとした」 「そ、そんな。証拠はあるのですか?」  ルーティナ様の震える声。ハロルド様が私を手招きしたのでそちらへ向かう。数日前、暴漢に襲われた時に挫いた足が痛むけれど、得意げに顔を上げ、痩せ細ってもなお豊かな胸を張って堂々と歩くよう努めた。 「エスティルの証言だ。それで充分だろう!」  皆の視線が集中するのが怖くて、思わずハロルド殿下に近づく。 「ハロルド殿下、これで全て終わるのですね?」 「そうだ。何も心配いらない」  ハロルド殿下は優しく囁き、ドレスの影で手を握ってくれた。それでも不安でお守りだと貰ったエメラルドの宝石に触れる。  度重なる無謀な聖魔力の使用で、ふらつく私をハロルド殿下が支えてくれた。「大丈夫です」と呟くと、「ここで寄り添っているところを見せつける方が、のちのち都合が良い」と言われてしまう。それなら私も少しは役に立たなければと、悪役っぽくピンクブロンドの髪をかき揚げ、悠然と微笑んだ。 「証拠もないのに納得などできません。私はそのようなことしておりませんわ」  わざとらしく震えるルーティナ様に、会場の皆が同情の目を向ける。淑女の鑑と言われる彼女は、生徒からの信頼も厚い。 「貴様の言うことなど信用できぬわ」  私の付け焼き刃悪女とは違い、ハロルド殿下は堂々とされていた。  証言者として前に出てきたアイリスの強張った顔に罪悪感を覚える。こんなことに巻き込んでしまって申し訳ないと、唇を「ごめんなさい」と動かせば、瞳を左右に動かして小さく笑ってくれた。 「おい! どうした。俺の前で話したことを話すだけでよいのだぞ!?」  わざと威圧的な態度を取るハロルド殿下に対し、アイリスも打ち合わせ通り身を縮める。それを見かね制するようにルーティナ様が間に入った。 「ハロルド殿下。恐れながら私に彼女達と話をさせて貰えませんでしょうか?」  ルーティナ様がアイリスに歩み寄る。 「アイリスさん。怯えないで本当のことを話してください。あなた、私が彼女のノートを池に落としたのを見たと言うのは本当?」 「……いいえ。私はそのようなこと見てはおりませんわ」  震えながら答えるアイリスをルーティナはじっと見据え、にこりと微笑み視線で先を促す。 「わ、私は。エスティルに頼まれてそう証言するように頼まれたのです!」  二週間前。ハロルド殿下はルーティナ様の悪事を卒業パーティで暴露する予定だと、嘘の情報を流した。そして同時に婚約破棄して私と結婚すると宣言することも。  その話が巡り巡ってルーティナ様の耳に入り、アイリスを買収しようとしたのが一週間前。  事前に予想していたことで、アイリスには報酬を受け取るように伝えていた。だから、ここでアイリスが証言を覆すのは全て私達のシナリオ通りなのだ。 「そういえば、エスティルはいつもノートを借りていたな」 「しょっちゅう授業を休んでいるのに、成績が常に上位だし」 「それってカンニングってことか?」 「いや、男性教師と二人でいるところを何度も見たぞ」  一部で始まった会話は、次第に会場中に波紋を起こし、収拾がつかないほどの声に代わっていく。話しているのは全て王妃の息がかかった高官の息子達だと、ハロルド殿下が小声で教えてくれた。 「だいたい、ルーティナ様がそんなことをされるはずないだろう」 「私、ずぶ濡れになったエスティルがハロルド殿下に泣きつく姿を見たわ」 「俺も見た! 校舎の裏側でひっそりと抱き合って、びしょ濡れのエスティルを殿下が慰めていた」  そのうち、他の生徒も交じってくる。  これが群衆心理というものかしら。  自作自演なのでは、という証言が飛び出す中、バンと大きく扉を開けるれ、カエサル殿下とフィンセント公爵が入ってこられた。 「殿下、これはどういうことなのですか」  騎士としても名を馳せたフィンセント公爵は今もなお劣らぬ体格でハロルドに詰め寄った。 「我が娘が聖女を虐げたと仰るのですか」 「そうだ。そして俺はルーティナとの婚約を破棄し、エスティルと結婚をする!」 「ご自分が何を仰っているのかお分かりですか」 「もちろんだ。学園での紛失騒ぎはともかくエスティルを暴漢に襲わせたことは明白。犯人は間も無く捕まるだろう、そうすればルーティナが犯罪に加担したことは明らかなる」  髪を振り乱すハロルド殿下に対し、カエサル殿下が冷静にその前に立つ。 「兄上、それも全てエスティルの自作自演。犯人は既に捕まえ全てを白状させ、既に縛首に処した」  ルーティナ様があからさまにホッとされた。暴漢については本当に心当たりがなかったのだから、何があったのかと不安だったのでしょう。  ――この茶番劇の黒幕は王妃様だ。  彼女は、亡くなってもなお国王の愛を独り占めする前王妃を憎み、息子カエサル殿下を次期国王にすべく画策を始めた。  ハロルド殿下の悪評を流し、信用できる部下を次々と違う部署に移動させ、そして毒を盛った。どんどん孤立していくハロルド殿下をよそ目に、王妃は着実にカエサル殿下の基盤を築いた。  そして、その派閥に取り込んだのがフィンセント公爵。ハロルド殿下の婚約者の父が寝返ったことで、彼女の計画は完璧となった。  あとはハロルド殿下を王太子の座から引きずり落とす決定打を作れば、と思っていたところに耳に入ったのがハロルド殿下が、私を溺愛しているとの噂。    さっそく詳細を調べた王妃様はルーティナ様の所業を知り驚くも、すぐにフィンセント公爵に証言者の買収を命じたらしい。あちら側に非があっては計画が成り立たたないものね。  でも、それだけではまだ決定打にならないと考え起こしたのが暴漢騒ぎだ。  あえて未遂で済まし、私達にルーティナ様の企みだと思わせ大勢の前で犯罪者扱いさせたところで、犯人が捕まったとカエサル殿下が乗り込む。愚かな兄と優れた弟を対比させどちらが次期国王に相応しいか周りに印象づけるとともに、ハロルド殿下を失墜させる計画だ。   「ここまでは、ダルさんの仰る通りですね」 「ああ、ダルの話では暴漢は王妃が知り合いに頼んでさせたことらしい。しかし縛り首にするとは、徹底して証拠を残さない気だな」 「ダル様はハロルド殿下のお母様の護衛騎士と仰っていましたが、どうしてそこまで詳しく調べることができたのですか?」 「ただの騎士ではないということだ。世の中にはいろんな仕事があるが、エスティルはそこまで気にしなくてよい。ほら、カエサルが懐に手をやった」  カエサル殿下は書状を突き出す。そしハロルド殿下を王族の名から除籍し、カエサル殿下を王太子とすることが国王の名において決まったことを告げられた。    拍手が沸き起こる会場をカエサル殿下が颯爽と進みルーティナ様の手を取る。 「ルーティナ、あなたこそ国母に相応しい方。そしてそんなあなたに私はずっと恋をしていた。どうか、私と結婚して欲しい」 「……カエサル様」 「今すぐに気持ちを変えるのは難しいだろう。だか、必ず幸せにする」  涙ぐむルーティナ様がカエサル殿下の手を取るのを見届けると、私達は会場を後にし扉の前で待機していた衛兵に歩み寄った。 ※※  国外追放となった私達は、辻馬車を乗り継ぎ隣国の山間の小さな村へと辿り着いた。 「随分長い移動だったが、大丈夫か?」 「はい。馬車の中でもぐっすり寝ましたし。私、どこでも寝れるのが特技なんです」  ふふっと笑えば、寝不足のハロルド様が羨ましそうに笑った。 「これからは俺もそうならなくてはな。ここからダルの待つ家まで徒歩で二時間らしい。一休みするか?」 「私は平気ですが殿下はどうですか?」 「もう殿下ではない」 「ではハロルド様」 「様もいらない」  そう言う顔に今までの煌びやかさはない。数日間の牢暮らしのせいで無精ひげが目立つのに、本人はさっぱりした顔をしている。 「カエサル様はどこまでご存知だったのでしょうか」 「恐らく何も知らない。母親のために国のために愚鈍な兄を蹴落とすのが正しいと思っていたのだろう」 「ルーティナ様のことは?」 「恐らく本心だろう。兄の婚約者に懸想するのは褒められたことではないが」  ルーティナ様はどうだったのでしょう。  聞けばお父様から王太子妃になるよう、小さい時から言い聞かされ育ったとか。   「ルーティナ様は幸せなのでしょうか」 「何を幸せと感じるかは人それぞれだ。王太子妃の地位を得たのだから満足はしているだろうし、カエサルも彼女を大事にする。不幸にはならないと思う」 「意地悪をされましたが、父親からの期待を背負い追い詰められていたのだと思うと同情もします」 「エスティルは優しいな。あの二人がどのようにして国を治めるかは分からないが、カエサルが優秀なのも汚れ仕事をしてくれる人物がいるのも事実だし、ルーティナが淑女として尊敬されているのも事実だ」 「母の所業を知らないのも、私を虐めたのも事実ですが、全ては一面に過ぎませんものね」  人は複雑なもので、見る角度が変われば映る姿も変わる。そう言えば、ハロルドは肩をすくめた。 「では、俺はエスティルの目にどう映っているのだろう。愚鈍な男でないことを願うよ」 「そのように思ってはいません。優しく賢い方だと。あと、時折私の胸元を見るのも気づいていますよ?」 「うっ、それは」 「人にはいろんな一面がありますものね」  ふふふっと笑う私を見て、ハロルドは決まり悪そうに頬を掻く。実はこうやってハロルドを揶揄うのが好きなのは、私の内緒の一面だ。  ハロルドは両腕をぐんと空に向けあげ、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。 「あぁ、気持ちが良い」 「全て失ったのにですか?」 「欲したものは何もなかった。ここには、新鮮な空気に毒の盛られていない食事がある」   嬉しそうに笑う無邪気な笑顔は初めて見るもの。  生まれ変わった、という言葉がぴったりだ。  これからダルが用意してくれた家で、慣れない農作業をして暮らすことになる。王族として暮らしてきたハロルドにそんな生活ができるのかと心配すると、毒が混入されているのが分かってからはダルと一緒に王宮の隅で野菜を育てていたという。意外と逞しい。  これからは広い農地もあるから、作れる野菜の種類も増えると意気込んでいる。 「エスティルはどうするんだ」 「まずは、ハロルドの作ったお野菜をたっぷり食べて体調を整えます」 「おう、食え食え」 「で、薬を作ろうと思います。治療魔法を応用すれば、良い薬が作れると学びました」  本当は診療所を開きたいのだけれど、聖魔力を使うと噂が噂を呼ぶ。  隣国とはいえ、私達に気づく人がいるかも知れない。それなら、薬を街の薬局に卸すのがよいと思った。 「では、野菜だけでなく薬草も作るか」 「手伝います。生活が安定するまでは一緒に住むのですから、手伝わせてください。それから、私、料理も掃除も縫い物も、草むしりだってできるんですよ!」  わざと胸を張れば、そこ視線を向けたあと困ったように笑われた。 「ハロルド、私は何も失っていないんです」 「貴族でも聖女でも無くなったのにか」 「はい。どれも必要ないものですから。失くしたんじゃなく捨てたんです。これから先は自分が大切だと思ったものを大事にして暮らします」  ハロルドを真似て私も伸びをした。気持ちいい。 「そうか、捨てたか。いいな、その考えは。ところでその大事にしたいものとはなんだ」 「……いきなりそう言われましても。ハロルドの野菜は大事にします」 「俺のことは?」  隣を歩いていたハロルドが止まる。  周りの景色を映したかのような翠色の瞳に熱が篭もる。 「エスティル、共に生きよう。俺にはもう畑と小さな家ぐらいしかない。こんな俺が言う言葉ではないが、一緒にいて欲しい」 「充分です。でも、もう一言欲しいです」 「……愛している」 「私も、愛しています」  目が合う。  照れくさくってはにかみながら逸らそうとすれば、頬に手を当てられた。  近づいてきた翠色の瞳に、私は瞼を閉じた。  大切な物に囲まれて、私達は新しく生まれ変わるのだ。  温かなぬくもりを感じながら、私は初めて将来に希望を持てた。   ーー  農作業を終え泥のついた手を洗ったハロルドは、いつものようにいそいそとベットに向かい、お昼寝中の末娘の柔らかなほっぺを突いた。 「起こさないでくださいね」 「分かっている。ところで、何を書いているんだ?」 「アイリスに手紙を書いていました」  一年に一度書く手紙。これで十度目だ。 「そうか、なぁ、幸せか」 「ええ、表も裏もなく幸せよ」  いつの間にか背後にきていたハロルドは、手紙の文面に目を落としながら私の頬に口づけをした。 「午前中、町へ行った時に王妃が断罪されたと聞いた」 「えっ」  驚き振り返ると、そこには困ったように眉を下げる夫の姿。目尻に皺があるも、日に焼けた肌のせいか会った時より精悍に見える。 「すまない、言おうかどうか迷いながら畑仕事をしていて、伝えるのが遅くなった」 「いえ、それはいいのですが誰がしたのですか?」 「王太子、弟だ」  思いもよらない名前に、息が止まるかと思った。 「でも、王妃様がされたことは全て王太子様のためで」 「そうだ。でも、真実を知った弟が決断した」  十年前は母親を疑うことすら考えもしなかった彼が、成長し葛藤した結果がこれなのだとすると、それは頼もしいことのように思えた。 「王妃の派閥は大打撃を受け、高官も随分代わったらしい。フィンセント公爵もその一人だ」 「ルーティナ様は?」 「王太子妃のままだ。多分、事前に相談していたのだろう。俺、思うんだ。人はその立場により、求められることにより成長する。だから弟は変わった、きっとあの国は大丈夫だ」 「ハロルドは後悔していないのですか?」  土で汚れた作業着に目を向けながら聞けば、とんでもないと首を振る。 「俺はこの生活が幸せだ。空気はうまく野菜は新鮮。沢山の子供に恵まれ優しい妻もいる」  夫はそう言って私を抱きしめた。香ってくるのは香水でも薬の匂いでもない、健康的な草と土の香り。  きっと私からも同じ香りがするはず。  そう、これからもずっと私達はこうやって生きていくのだ。
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