婚約破棄の表側

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婚約破棄の表側

「俺はルーティナ・フィンセント公爵令嬢との婚約を破棄する」  卒業パーティーで突然起きた婚約破棄。  金色の髪に新緑を思わせる瞳をしたハロルド第一王子は、その整った顔を険しくさせ眉間に深い皺を作っている。    対して目の前で分かりやすいほど顔色を青くしているルーティナ。茶色の髪を品よく纏めて、控えめな化粧にも関わらずひと目を引く顔立ち。いつもは桜桃のように愛らしい唇をぎゅっと悲しそうに噛んでいる。 「……理由を聞いても宜しいでしょうか?」 「無論、貴様は聖女エスティルの私物を壊し紛失させた。また、花壇の手入れをしているところに上から水をかけ、さらに数日前にはエスティルを暴漢に襲わせようとした」 「そ、そんな。証拠はあるのですか?」  ハロルドは震える声に心底嫌そうに眉を顰めると、会場の片隅に向かって手招きをした。視線の先にいたピンクブロンドの髪のエスティルは得意げに顔を上げ、豊かな胸を張ってハロルドの元へと向かう。 「エスティルの証言だ。それで充分だろう!」  堂々と言い放ったハロルドの顔を見上げながら、エスティルがそっと身を寄せた。 「ハロルド殿下、これで全て終わるのですね?」 「そうだ。何も心配いらない」  エスティルの耳元近くまで顔を寄せ囁く姿に、ルーティナは僅かばかり眉間に皺を入れるもその顔はすぐに扇で隠された。  ハロルドに触れんばかりの胸元は大きく開いており、ドレスから覗く胸の谷間には、立派なエメラルドの宝石が輝いていた。エスティルはこれ見よがしにそれに触れ、ルーティナをキッと見据える。  いつも以上に濃く塗った白粉。普段だってもとの肌が分からないぐらいなのに、今日はそれに加えチークもしっかり入れていた。  聖女らしからぬ派手な顔つきに加え、細いのに豊かな胸を強調した装いは清楚とは言い難い。  ピンクブロンドの髪をかき揚げ、悠然とエスティルは微笑んだ。それに対し、ルーティナは儚げに震える声で訴える。 「証拠もないのに納得などできません。私はそのようなことしておりませんわ」  その姿に会場の皆が同情の目を向ける。悪評高いハロルドに比べ、ルーティナは慈善活動にも積極的に取り組み、成績も優秀。淑女としての振る舞いは皆が手本にするところである。 「貴様の言うことなど信用できぬわ。証拠はないが証言ならある。エスティルの同級生が貴様がエスティルの私物を踏み、池に落としているのを見ている。証言した者、前へ出ろ」  その言葉に、エスティルの友人アイリスが戸惑いながら前へ出てきた。エスティルが聖女と認められる前からの友人で、一緒に無くなった教科書を探したこともある。 「アイリス、そこでもう一度証言をしろ」 「…………」 「おい! どうした。俺の前で話したことを話すだけでよいのだぞ!?」  威圧的な態度に身を縮めるアイリス。それを見かね制するようにルーティナが間に入った。 「ハロルド殿下。恐れながら私に彼女達と話をさせて貰えませんでしょうか?」 「何、ルーティナ、貴様とだと?」  ルーティナは「はい」と答えると、前に進み出て彼女の前に立つと、手を取った。 「アイリスさん。怯えないで本当のことを話してください。あなた、私が彼女のノートを池に落としたのを見たと言うのは本当?」 「……いいえ。私はそのようなこと見てはおりませんわ」  震えながら答えるアイリスをルーティナはじっと見据える。にこりと微笑み視線で先を促した。 「わ、私は。エスティルにそう証言するよう頼まれたのです!」  絞り出すような声に皆が一斉にどよめいた。ルーティナがアイリスの背に手を当て、大丈夫だというように撫でる。アイリスはルーティナの赤い瞳を覗き見てごくんと大きく喉を鳴らした。 「エスティルは聖女だと認められてから、人が変わったかのように周りに対して高圧的になりました。もちろん聖女の仕事が素晴らしいのは分かっておりますが、それを鼻にかけ授業を頻繁に休んでは、その時のノートを当たり前のように私に書きとらせたのです!」  一息に言い切ったアイリスはぎゅっと下を向いてドレスを握る。その証言に会場のあちこちでひそひそと会話が飛び交う。 「そういえば、エスティルはいつもノートを借りていたな」 「しょっちゅう授業を休んでいるのに、成績が常に上位だし」 「それってカンニングってことか?」 「いや、男性教師と二人でいるところを何度も見たぞ」  一部で始まった会話は、次第に会場中に波紋を起こし、収拾がつかないほどの声に代わっていく。 「だいたい、ルーティナ様がそんなことをされるはずないだろう」 「私、ずぶ濡れになったエスティルがハロルド殿下に泣きつく姿を見たわ」 「俺も見た! 校舎の裏側でひっそりと抱き合って、二人は手を取り合っていた」  自作自演なのでは、という言葉が飛び出す中、バンと大きく扉を開け入ってきた者がいた。見れば第二王子のカエサルとフィンセント公爵の姿。 「殿下、これはどういうことなのですか」  騎士としても名を馳せたフィンセント公爵は今もなお劣らぬ体格でハロルドに詰め寄った。 「フィンセント公爵……どうしてここに」 「愚策ばかりのあなたが卒業式で何か企んでいるとカエサル殿下に聞き、心配で駆け参じたところこの有様。我が娘が聖女を虐げたと仰るのですか」 「そうだ。そして俺はルーティナとの婚約を破棄し、エスティルと結婚をする!」 「ご自分が何を仰っているのかお分かりですか」 「もちろんだ。学園での紛失騒ぎはともかくエスティルを暴漢に襲わせたことは明白。犯人は間も無く捕まるだろう、そうすればルーティナが犯罪に加担したことは明らかとなる」  髪を振り乱すハロルドに対し、カエサルが冷静にその前に立つ。 「兄上、それも全てエスティルの自作自演。犯人は母上が既に捕まえ全てを白状させ、既に縛首に処しています」  カエサルは懐から書状を取り出しハロルドに突き出した。そこには国王のサインが書かれ紋印がくっきりと押されていた。 「我が国の筆頭公爵の娘を罪人呼ばわりしたこと、聖女にうつつを抜かし国政を揺るがした王族らしからぬ振る舞い。これらの件を踏まえ、ハロルドを王族の名から除籍し、カエサルを王太子とする」  朗々と読むカエサルの声に、会場中がシンとなり次いで歓声が立ち上がる。 「優秀なカエサル様が次期国王になられる!」 「これで我が国は安泰だ」    拍手までも沸き起こる会場をカエサルが颯爽と進みルーティナの手を取った。 「ルーティナ、あなたこそ国母に相応しい方。そしてそんなあなたに私はずっと恋をしていた。どうか、私と結婚して欲しい」 「……カエサル様」 「今すぐに気持ちを変えるのは難しいだろう。だが、必ず幸せにする」  ルーティナは薄らと涙ぐむ目で微笑むとその手を取った。 ―― 「お母様、このあと物語はどうなるの?」  小さな女の子が母親の布団の中で絵本の続きをせかす。 「どうもしないわ。めでたしめでたしよ」  アイリスはパタンと本を閉じると娘に寝るよう促した。ぽんぽんとお腹を撫でてやると、暫くして幼い娘は寝息を立て始める。その寝顔を優しくアイリスは見つめた。  絵本はルーティナに言われアイリスが書いたもの。  そこまでして自分の婚約破棄を美談に変えたいのかと、アイリスは小さく息を吐く。 「シンデレラが靴を落としたのは偶然か。眠り姫を助けた皇子だけが、どうして薔薇に道を塞がれなかったのか」  物語は所詮一方側からしか見られない虚構の世界。  アイリスはそっとベッドを抜け出すと、自室に戻り届いたばかりの手紙を開けた。  一年に一度届くこれで四度目となる手紙には、見知った綺麗な文字が並ぶ。 「そう、幸せに暮らしているのね。良かった」  手紙を胸に抱き、ホッとした笑みを浮かべるアイリスの目から、親友の幸せを喜ぶ涙がはらりと溢れた。  
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