side エスティル

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side エスティル

   私はいったい何のためにここにいるのだろう。  薄暗い屋根裏部屋で、唯一の灯りである月を眺める。  母は平民だった。だった、というのは今どうしているか分からないから。生きているのか、死んでいるのかさえも分からない。     メイドだった母が、当主であるゲットン男爵の子供を孕ったのは彼女の意志だったのか、それすら知らないけれど、生まれた私が厄介の種だというのは理解している。いっそうのこと孤児院に預けてくれれば良かったのに、女の子は政治の駒になるからと娘として育てられた。  この場合の育てられた、とはあくまで戸籍の話で待遇のことではない。  私は幼い時から屋根裏部屋で、使用人達の残り物を漁り生きてきた。  仕事だってさせられた。小さい時は草刈り、大きくなると掃除に料理に繕い物。お陰で何だってできる。  そんな私に転機が訪れたのは十六歳の時。  この国には時折聖女が現れるらしい。そして、聖女は人の病や傷を治す力があるという。  十六歳になった女の子は、教会で聖女かどうか判定を受けるのが義務となっていて、その日、私は妹の寸足らずの服を着せられ腕を引っ張られ教会に連れて行かれた。   「ここに手を置いて」 「はい」  言われるがままに大きな水晶に手を翳せば、突然辺りが眩く輝いた。 ――そして私は聖女となった。  それからは生活が一遍した。  戸籍だけとは言え貴族の私は貴族学園に通っていたのだけれど、授業が終わったあとは教会に行き聖魔力の使い方を学び始めた。  手のひらに意識を集中して、傷が癒されていく様をイメージして力を注ぐ。  初めて教えて貰ったのにすんなりできた私には、それなりの才能があったのでしょう。    半年ほどそんな生活が続いた。  私は、友人のアイリスだけには境遇を話していた。陸に食事も与えられず、学園生活と教会での聖魔力の練習でますますやつれる私を心配して、彼女は豪華なお弁当を用意してくれるようになった。それでも私の身体はどんどんやつれていった。原因は帰宅後、自宅で私の治療を待つ患者だ。    聖女見習いは、教会が認めた場所以外で治療行為を行うことを禁じられている。まだ充分に聖魔力を扱えない時期に無茶をすると、魔力の代わりに無意識に命を削ることがあるからというのがその理由。    そのことは、父も義母も知っている。  でも、父は高額で聖魔力による治療を請け負っていた。もちろん違法だ。  その人達の治療は時には夜更けまでかかり、寝る時間がない日々が続いた。  さらに半年後、私は聖女として正式に任命された。  その際提出した書類に一ヶ所記入漏れがあり、私はお城へ行くように言われた。  教会とお城は目と鼻の先だから簡単な地図を書いてもらい一人で行ったのだけれど、帰る際どうやら私は外に出る扉を間違ってしまったらしく。しかも、日頃の疲れからぼんやりと歩いていたので、そのことに気がついた時には自分のいる場所がどこか分からなくなっていた。  やけに大きな木が多い。  どうやらお城の裏側のようだけれど、と思いながら歩いていると、日の当たらない庭の片隅にポツリと置かれたベンチに腰掛ける顔色の悪い男性が目に入った。  着ている服の立派さに反して、やけにやつれたその様子が気になってチラチラ見ていると向こうから声を掛けてくれた。 「……迷ったのか?」  低く綺麗な声だと思った。 「はい。慣れない場所で……ここはどこでしょう?」  視線が合う。  私は大きく息を呑んだ。だって、まさかこんな場所にハロルド殿下がいるなんて思わなかったから。  学園で数度見かけた顔が、ぼんやりとこちらを見ている。その表情が抜け落ちた顔に心がざわりと騒ぐ。  聖魔力を使うにあたり、病についても一通り学んだ。そのうちの一ページが脳裏をよぎり、気づけば近づき跪いて手を取り脈を測っていた。  確か、こんな風に触れるのは不敬だったはずと、脳裏をよぎるも弱い脈が不安で気づけば肩を掴んでいた。 「どうしてこんなになるまで周りは放っておいたのですか!?」  青ざめた顔で意味が分からないと瞬きする殿下。  私は真剣な瞳で伝えた。 「殿下は毒に苛まれています」 「……そうか」    たっぷり時間をかけて仰った言葉はそれだけ。  毒のせいか朦朧とした顔で、それでも腑に落ちたというように深く頷かれた。  慌てて手を取り治療を試みるも、毒はすぐに消えてくれない。  多分、年単位で少しずつ毒を盛られていたのだと思う。毒見役がついていてもすぐに症状が出ない毒は気づくことができないし、その毒見役が頻繁に入れ替わっていたら発覚の仕様がない。 「殿下、これから毎日治療を行いましょう。大丈夫、必ず私が治します」 「分かった」  虚ろな目で頷くハロルド殿下が、なんだか自分と重なって涙が出てきた。  この人もまた、自分の居場所がない方なのだ。  それからはこっそり学園の裏庭や使われていない教室で会って治療をしていたのだけれど、学園という狭い空間で隠し通すのは無理なことだった。  私が殿下を誘惑しているという噂がすぐに広まり、さらには尾鰭が大きくなっていった。  ハロルド殿下がその事に気づいたのは、待ち合わせ場所の裏庭に私がびしょ濡れで行った時。 「このままではいけない」  びしょ濡れの私を見て怒りを露にし、自分のせいだと悔いるように唇を噛まれた。 「私は大丈夫ですよ」  元気いっぱいだと拳を胸の前で握って笑った私を、あろうことかハロルド殿下はぎゅっと抱きしめられた。 「で、殿下! 濡れてしまいます。しかも、この水、なんだか臭います」 「構わない。だからそんな消えそうな顔で笑わないでくれ」 「……そんな顔していました? 大丈夫ですよ! さあ、治療しましょう」  治療のおかげで幾分か肉がついたハロルド殿下の身体を押し、私は手を取った。 「駄目だ。これ以上の治療はエスティルに負担がかかる。今更だが、最近まで頭に靄がかかったようでうまく考えられなかったんだ、すまない」 「そんなこと気にしないでください。聖魔力も随分うまく使えるようになりましたからこれぐらい平気ですよ」  確かに聖魔力はうまく使えるようになったけれど、本格的に始まった教会での治療に加え、さらに増えたゲットン男爵家で待つ患者の治療で本当のところ魔力切れ寸前の日々。  そんな私の強がりを、ハロルド殿下はお見通しのようで辛そうに眉を下げられた。 「エスティル、俺には今一人だけ信用できる男がいる。母の護衛騎士で、母亡き後は里に帰り農夫をしていたのだが、俺の良くない噂を聞き心配して会いに来てくれたんだ。そして、俺の置かれた状況を知り涙してくれた」 「そうですか! お味方ができたのでしたら、喜ばしいことです!」  周りを敵に囲まれた生活がどれほど心を蝕むか私はよく知っている。  最近は、食事は自分でご用意されていると聞いていたけれど、その農夫の方が手伝ってくれていたらしい。   「そいつに調べさせた。エスティルは家でも治療魔法を使わされているとか。そんな無理な生活を続けては身体を痛めてしまう」  ハロルド殿下は私の痩せさらばえた腕を取り、泣きそうな顔をされる。   「化粧が日に日に濃くなるのは、顔色が悪いのを隠すためだろ?」 「大丈夫です。これぐらい! 肉だってまだあるとこにはあります」  なぜか落ちない胸の肉。少しは笑ってくれるかと思ったら、真っ赤になって「それはそうだが」とそっぽを向かれてしまった。痴女のようで恥ずかしいから笑って欲しい、と私まで赤くなる。 「と、とにかく。治療をしましょう」 「……その前に話を聞く。この学園で、誰に何をされているのかエスティルの口から聞きたい」  真剣な目で見つめられ、私は思わず視線を下げる。  きっと、そんなことハロルド殿下はすでにご存じのはず。  だから私は戸惑いながらも正直に教科書やノートがなくなったことを伝えた。
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