吸血鬼と幼馴染は甘美な願いを夢想する

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吸血鬼と幼馴染は甘美な願いを夢想する

何度か視点変更があります。 ◇から始まるのがミリア視点、◆から始まるのがルーカス視点です。 ————————————— ◇◇◇◇◇ 「きゃあっ……!」 「ミリア……!」  突然、しっかりと踏みしめていたはずの足元が崩れ、体が大きく(かし)ぐ。  気がつくと、私は幼馴染のルーカスに左腕を繋ぎ止められながら、崖の上で宙吊りになっていた。  恐る恐る下を見てみれば、地面ははるか下。落ちたらひとたまりもないだろう。最悪の場合を想像してぞっとしていると、私の腕を掴むルーカスの右手にぎゅっと力が込められるのを感じた。 「ミリア、大丈夫!? すぐに助けるから!」  ルーカスがそう声を掛けてくれるけれど、無理だ。助けられる訳がない。  だって私とルーカスはまだ十歳と十一歳。こんな子供が、片手だけで自分の体重と同じくらいの重さの人間を引き上げられるとは思えない。  ああ、二人で楽しく遊んでいただけだったのに。崖は崩れやすいから近づかないようにと言われていたのに。風で飛ばされた帽子のことなんて放っておけばよかった。  怖い、怖い、どうしよう。  後悔と恐怖が次々に押し寄せてくるが、もう遅い。それに、このままだとルーカスまで巻き込んでしまうかもしれない。  私はきっともうダメだけれど、仲良しのルーカスまで巻き添えにしたくはない。彼は優しいから、手を離すように言っても聞かないだろう。私が手を振りほどかなくては。 「ルーカス、ありがとう。私が落ちても、あなたのせいじゃないわ──」  そう言って、覚悟を決めて手を振りほどこうとした、その時。 「絶対に離さない」  いつも優しいルーカスが今までにないほど力強い口調で言い切ると、彼の澄んだ紫色の瞳にみるみる赤みがさして妖しく輝き出した。 「ルーカス、瞳が……!」  私が驚いて声を上げたのと同時に、グイッと腕が引き上げられて、私の体はようやく安定を取り戻した。  固い地面の上に座り込み、ほっと安堵の溜息をつきながら、誰か大人が助けに来てくれたのだろうかと辺りを見回す。  けれど、その場にいるのは、私とルーカスの二人だけだった。 「え……? 大人の人が助けてくれたんじゃないの?」  私が疑問を口にすれば、ルーカスは少しためらうような素振りを見せながら返事をした。 「僕が引っ張りあげたんだ……力を使って」 「力……?」  そんなに力持ちだったかしらと首を傾げた私に、ルーカスがぽつりと呟いた。 「……うん、吸血鬼の力」 ◇◇◇  あの日から十年が経ち、私とルーカスは二十歳と二十一歳になった。  そして今も幼馴染として交流している。 「ルーカス、こっちよ! 今年もたくさん摘みましょう」 「分かったから、転ばないように気をつけて」  ある晴れた秋の日。私はルーカスを連れてコケモモを摘みに森へと来ていた。  一つずつ籠を持って、毎年お馴染みの場所へと急ぐ。目印をつけた木を曲がれば、目の前には真っ赤な実が鈴生りになったコケモモの木が群生していた。 「よかった! いっぱい実がなってるわ」 「ちゃんと熟してるね」 「ふふ、今年もジャムをたくさん作ってお裾分けするわね」 「そんなに気を遣わなくていいよ」    二人で手分けをしてコケモモの実を摘んで籠へと入れていく。ぷっくり丸くて艶やかで、これなら美味しいジャムが作れそうだ。  お喋りをしながら手際良く摘んでいけば、あっという間に籠は満杯になった。 「これだけ採れれば十分だわ。ねえ、少し休憩しない? 私、リンゴを持ってきたの」 「……仕方ないな。じゃあ、少しだけ」  私がリンゴを投げて渡すと、ルーカスは右手で難なく受け取り、そのまま一口齧った。シャクシャクと響く咀嚼の音がいかにも瑞々しそうで、私も手元のリンゴにかぷりと齧りついた。 「…………やだ、酸っぱいわ。ごめんなさい、ルーカス。まだ少し早かったみたい」 「……僕のはそんなに酸っぱくないから大丈夫」  ルーカスはそう言ってくれたけれど、きっと酸っぱかったに違いない。リンゴの目利きがなっていなくて申し訳ないと反省していると、ルーカスが小さく溜息をついて木にもたれかかった。息が荒く、顔色も青褪めていて具合が悪そうだ。 「ルーカス、顔色がよくないわ。少し……飲んだほうがいいんじゃないかしら」 「……ああ、そうする」  私があるものを勧めると、ルーカスはベルトにつけた皮袋から小瓶を取り出した。  小瓶にはトロリとした赤い液体が入っている。一見するとコケモモの果汁のように思えるけれど、そうではない。  これは人の血液だ。 「……ごめん、ミリア。あっち向いてて」  ルーカスに言われて、私はさっと後ろを向く。やがて瓶の蓋が開いて、ごくりとルーカスが血液を飲み下す音が聞こえた。 「あの、私はしばらくこっちを向いてるから、ゆっくり休んでね」 「……すまない」  私は、背後にルーカスの気配を感じながら、そっと目を瞑って葉擦れの音に耳を澄ませ、十年前のあの日に知った事実を思い出していた。 ◇◇◇ 『僕は、人間と吸血鬼のハーフなんだ』  崖から落ちそうだった私を引き上げてくれた後、ルーカスはそう告白した。  吸血鬼。人の生き血を吸うという化け物。  言葉自体は知っていたけれど、御伽話の存在としか思っていなかった。  でも、現に子供の細腕で宙吊りだった私を引き上げ、今まで紫色だった瞳が赤色に変わったのを目の当たりにして、嘘をつかれているとは思えなかった。  そして何より、ルーカスはそんな冗談を言うような子ではなかった。  ルーカスから聞いた話によると、彼のお母様は人間で、お父様が吸血鬼らしい。確かに、彼のお父様は吸血鬼だと言われても納得できるような際立った美貌の男性で、その血をひくルーカスも幼いながらに非常に整った顔立ちだった。  吸血鬼同士の両親をもつ子供は生まれた時から吸血鬼である一方、ハーフとして生まれた子供は吸血鬼になるかどうかを選べるのだそうだ。  十二歳までに吸血鬼の力を使わなければ人間となり、力を使えば吸血鬼となる。  私を助けるため、十一歳で力を使ったルーカスは吸血鬼となった。  それまで力を使わず人間として過ごしていたのに、私のせいで吸血鬼として生きることを余儀なくされたのだ。  私は自分の不注意を心の底から後悔した。  ルーカスに謝って、ルーカスのご両親にも謝ったけれど、誰も私を責めることはなかった。  ルーカスは「ミリアを助けられてよかった」と言い、ご両親も「崖から落ちそうな女の子を見殺しにするほうが許せない」と言って、むしろ私を慰めてくれた。  一つだけ、「このことは私たちだけの秘密にして頂戴ね」とお願いされたので、私は十年間ずっと親にも誰にも言わず、この秘密を抱えている。  秘密を持っていること自体は、別に辛いことでもない。ただ、私がルーカスの選択の自由を奪ってしまったことが苦しかった。  人間として生きるか、吸血鬼として生きるか。  それを十二歳になるまでに、ルーカスが自分でしっかりと考えて選ぶはずだったのに、私のせいで吸血鬼にならざるを得なかった。  吸血鬼になるのが悪いと思っている訳ではない。一見して人間と見分けがつかないし、身体能力はむしろ人間とは比べ物にならないくらい優れている。  ただ、定期的に人の血を吸わないといけないというのは、少し不便なように思う。  だからルーカスが吸血鬼になってすぐの頃、何か力になりたくて、私の血を吸ってもいいと言ったのだけれど、ルーカスにもご両親にも断られてしまった。  ルーカスのお父様は医術師で、検査のために採血した血液を少し分けて飲むから大丈夫だと。  その時はそれで終わったのだけど、五年前、二人でいるときにルーカスが立ちくらみを起こしたことがあった。今日のように、顔色が悪くなり、呼吸が乱れていた。  急いでルーカスのお父様に知らせると、お父様は小瓶に入った血液をルーカスに飲ませたのだった。ルーカスは血に飢えた状態になっていたらしい。  私はショックを受けた。  こんなに辛そうな状態になってしまうなんて。  翌日、体調が戻ったルーカスに私は言った。「血が吸いたくなったら、いつでも私の血をあげる」と。  すると、ルーカスはひどく(うと)ましそうな表情で答えた。 「君の血なんて絶対に吸わない。二度とその話はしないでほしい」  それからルーカスは血液の入った小瓶を持ち歩くようになり、それを飲むときは私がルーカスを見ないようにと頼むのだった。  私は、きっとルーカスに恨まれているのだと思う。  ルーカスは優しいから、幼馴染として私に付き合ってくれてはいるけれど、五年前に私の血を断られたあの日から、なんとなく私を避けようとしている雰囲気を感じる。  でも、それも当然のことだ。私は彼に恨まれるだけのことをした。本来であれば、彼の心の平穏のため、私から彼の元を離れるべきなのだろう。  そう分かってはいるのだけれど、どうしても無理なのだ。  私の命を救ってくれたあの日から、ルーカスのことが好きで仕方ないから。  彼の力になりたい。側を離れたくない。  彼のためなら、体中の血をすべて失っても構わない。  なのに、彼は私の血を吸うのは嫌だと言う。  どこの誰のものかも分からない、小瓶に入った血は飲むのに。  いや、誰の血なのか分からないほうがいいのかもしれない。知っている女の人の血だと分かったら、嫉妬でおかしくなってしまいそうだから。  ざわざわと葉擦れの音が大きくなる。少し風が出てきて肌寒くなってきた。  思わずふるりと肩を震わせると、背中越しにルーカスの声が聞こえた。 「待たせてごめん。もう大丈夫だから、帰ろうか」 「……そうね。そろそろ帰りましょう」  私は振り返ってにこりと微笑むと、コケモモの実でいっぱいの籠を手に取ったのだった。 ◆◆◆◆◆  コケモモを摘んだ後、僕はミリアを家まで送って別れた。  なんとなく、そのまま家に帰る気にはなれず、近くの小川へと寄り道をしてみた。座るのにちょうど良さそうな岩を見つけ、腰を下ろす。  せせらぎの音が波立った心を落ち着かせてくれ、水辺の冷えた空気も頭を冷やすのにちょうど良かった。  ミリアと会った後は、いつも胸がざわついて、こうやって心を落ち着ける時間が必要になる。  ミリアは僕の特別な人だ。  十年来付き合いのある、唯一の異性の幼馴染。  そして、僕が吸血鬼として生きるきっかけとなった人。  十年前のあの日、僕は吸血鬼になった。  崖から落ちそうになっていたミリアを助けるため、吸血鬼の力を使ったからだ。  その時まで、僕は人間として生きるか、それとも吸血鬼として生きるか、はっきりと決めてはいなかった。  吸血鬼である父も、人間である母も、どちらになるべきと僕に強制することはなかったし、両親の様子を見ていて、どちらになっても良さそうだから成り行きに任せようと楽観的でさえあった。  だから、ミリアを助けたあの時も、特に葛藤なんてすることもなく、ミリアを助けるために必要だからと当たり前に力を使ったのだった。  でも、ミリアは自分のせいで僕が吸血鬼にならざるを得なくなってしまったと、未だに気に病んでいるようだ。そんなこと、気にしなくていいのに。  彼女はいつも自分のことより、他人のことを心配する。十年前のあの時もそうだった。  手が離れたら崖から落ちて死んでしまうというのに、僕を巻き添えにしないようにと、自ら手を振りほどこうとした。  まだほんの十歳の小さな子供で、怖くて仕方なかっただろうに、自分よりも僕のことを気にかけてくれたのだ。  幼心にそんな彼女に衝撃を受け、僕は心を奪われてしまった。  それから僕は、毎日のようにミリアを誘って一緒に遊んだ。  最初の頃は、罪悪感や責任感からか、ミリアは自分の血を吸ってもいいからと神妙な様子だったが、好きな女の子に痛い思いはしてほしくなかったし、医術師の父が人間から採血した血液を分けてもらえば十分だったから丁重に断った。  吸血鬼に血は付き物ではあるが、実際そんなに多く飲む必要はないのだ。 「吸血鬼」なんて響きは恐ろしげだけれど、よく物語に書かれているような化け物じみた存在ではなく、普通の人間とさほど変わらない。  人間の血を飲む必要はあっても、直接吸ったところでその人が吸血鬼になる訳でも、死んでしまったりする訳でもない。  瞳の色が赤く変化したり、五感や身体能力が飛躍的に向上したり、毒が効かないのは少し人間離れしているとは思うが、日光に当たっても死なないし、大蒜や銀が弱点でもない。心臓に杭を打たれたら流石に死ぬけれど。  だから、僕はミリアと親しくなりたくて、一生懸命に彼女の気を引こうとしていた。  普通の人間と同じように、ずっと仲良く平和に過ごして、いつかミリアに僕の想いを伝えようと思っていた。  五年前──僕が十六歳だった、あの日までは。  あの頃、僕は体調を崩しがちになっていた。相変わらずミリアとは毎日のように会っていたけれど、目眩や息切れに襲われることが多かった。  ただ、そんなに酷いものではなく、休めばすぐにおさまったので、あまり気にしてはいなかった。  でも、あの夏の雨の日に、すべてが変わってしまった。  あの日、僕はブルーベリーを摘みに行くと言うミリアに付き添って、一緒に森へと出かけた。  よく熟して青紫に色づいたブルーベリーを、まるで宝石に触れるかのように優しい手つきで摘んでいくミリア。大粒の実を見つけて、嬉しそうに僕に見せてくれた時の彼女の姿はあまりにも可愛くて、一瞬、言葉を失ったのを覚えている。  そうしてたまにミリアに見惚れながらも、二人でブルーベリーを摘み終えて、そろそろ帰ろうかという時。運悪く、にわか雨に降られてしまった。  なかなかの土砂降りで、そのまま雨に濡れて帰るのは憚られたので、僕たちはしばらく雨宿りをすることにした。  雨から守ってくれそうな大木のところまで走り、二人並んで雨が止むのを待つ。 「急に降ってきちゃったわね。早く止むといいけど……」  雨雲に覆われた灰色の空を見上げながら、ミリアが言う。困ったように眉根を寄せる表情も愛らしい。  ふと、ミリアがこちらを向いた。 「今日も付き添ってくれてありがとう。美味しそうなブルーベリーがたくさん採れたわ。はい、一粒どうぞ」  そう言って、大粒のブルーベリーを一つ、僕に差し出してくれた。  僕はそれを受け取って口に含む。  軽く歯で噛むと、ぷつりと皮が破けて、甘酸っぱい味がとろりと口の中に広がった。 「美味しい?」  ミリアが尋ねる。  うん、美味しい。でも、僕が食べたいのはこれじゃない。  微笑むミリアを見つめる。    雨にしっとりと濡れた髪。そこから水滴が(したた)り落ち、頬から鎖骨へと伝い落ちていく。白く瑞々しい、(すべ)らかな肌。  ああ、あの美しい首筋に噛みつきたい。  彼女から溢れる血は、きっと(かぐわ)しくて甘やかな味がするに違いない。  そんな考えが頭をよぎった瞬間、僕は我に返って愕然とした。  今、何を想像していた?  ミリアに噛みついて、あまつさえ彼女の血を吸いたいと?  最低だ。好きな子に傷をつけてまで吸血したいだなんて。  そんなことを思い浮かべて悦ぶなんて。  自己嫌悪に陥っていると、ミリアが心配そうに声をかけてきた。 「ルーカス、具合が悪いの? 呼吸がおかしいし、顔色もよくないわ」  言われてみれば、動悸もして少し頭がくらくらする。 「大丈夫だ。座って休むよ」  ミリアを不安がらせないようにそう言って、しばらく休んだものの、なかなか良くならない。それどころか、今までにないほどまで、どんどん悪化してしまった。  雨が少し落ち着いた頃、ついに心配したミリアが僕の家に行って、父を呼んできてくれた。父は、ミリアから僕の様子を聞いてすぐに原因に思い当たったようで、「薬」を持ってきてくれた。  小瓶に入った、血液を。 「血に飢えた状態になると、こんな風に体調を崩してしまう」  父はそう言って僕に血を飲ませた。やがて僕は回復したが、後になって、このことをミリアに知られてしまったのを心の底から後悔した。  翌日。ミリアがこう言ったのだ。 「もし血が吸いたくなったのなら、いつでも私の血をあげるわ」  僕は衝撃を受けた。  きっと彼女は純粋な好意で言ってくれたのだろう。  でも、僕は自分がミリアに抱いた(おぞ)ましい欲望が見透かされたのではないかという羞恥と恐怖に打ちのめされた。  そして、ミリア本人が許してくれるのだから、彼女の好意に甘えればよいのではないかという、まさに悪魔のような考えがごく自然に湧いてきたことに絶望した。  駄目だ。ミリアにこんな醜い思いを向けるなんて。  それに、ひとたびミリアの血を吸ってしまえば、止められないに決まっている。  血に飢えてひたすらに縋って、あるいは無理やりにでも求める姿なんて見られたくない。  吸血鬼となったことを後悔はしなかったが、その本能が己の身に宿っていることを初めて恨めしく思った。 「君の血なんて絶対に吸わない。二度とその話はしないでほしい」  僕はそう言って、ミリアの申し出を拒否した。本能に抗い、理性を必死に保ちながら。  そして、その日から僕はミリアと距離を置くようになった。  僕はミリアが好きだ。愛おしくて堪らない。彼女にも愛情を返してほしかった。  けれど、今の僕はミリアの愛だけでなく、彼女に流れる血まで欲している。  純粋な恋心だったはずのものは、いつしか飢餓感と欲望の混じった汚らわしい執着心に成り果ててしまった。  こんな僕には、もはや彼女の愛を乞う資格なんてない。  ミリアの恋人には、決して彼女を傷つけることのない清廉な男が相応しい。僕のこの汚い想いは胸に秘めたまま殺してしまおう。  そうして、ただの幼馴染として見守っていこう。  その日、僕は初恋を諦めた。 ◇◇◇◇◇  「ミリア、モミの木の枝は、このぐらいの量があればいい?」  ある日の朝。私はルーカスと一緒に森に来ていた。  冬祭り用のリースの材料を集めに行きたいからとお願いをして付いてきてもらったのだが、本当の目的は別にあった。  ルーカスに気取られないよう、いつも通りの表情と声色で返事をする。 「そうね、あと少しだけ欲しいわ」 「分かった」  ルーカスがナイフを(なた)のように使って、モミの木の小枝をもう二、三本採ってくれた。 「ありがとう。あとは木の実と花を摘んでお終いにするわね」  私はそう言って、片腕に籠の取っ手を引っ掛けながら、木の実が落ちていそうな木の下へと歩いていった。  ルーカスに背を向け、草むらに散らばっているドングリや松ぼっくりを集めながら、籠に隠し持っていた革袋の紐をほどく。  シャーシャーという音が聞こえ、私は微笑んだ。  そして、恐ろしい音を立てて威嚇してくるそれを皮袋から出し、勢いよく右手を突き出す。  果たして、期待通りの鋭い痛みが、私の右手の甲を襲った。   「きゃあ!」と驚いたような悲鳴を上げながら、私の胸は高揚していた。  ああ、これでやっと私の願いが叶う。  ずっと(こいねが)っていた、ささやかな願い。私が求めていたもの。  傍らを見上げれば、そこには呆然とした表現で私を見下ろすルーカスがいた。 ◆◆◆◆◆  ミリアが木の実を拾いに草むらへ行ったかと思うと、すぐにミリアの悲鳴が聞こえてきた。  何かあったのかと焦って駆けつけてみれば、そこには禍々しい模様の毒蛇と、右手の甲に痛ましい噛み跡がつけられたミリアの姿があった。 「ミリア! 毒蛇に噛まれたのか!?」  ミリアは瞳を潤ませて頷く。  その瞬間、僕は持っていたナイフで素早く毒蛇の頭を突き刺した。  まずい。毒が回る前に、早く応急処置をしなくては。  今はこうするしかない。  僕は一瞬よぎった躊躇(ためら)いを捨て、ミリアの右手をとって、毒蛇の噛み跡に口付けた。  吸血鬼には、いかなる毒も効かない。  だから、毒の混じってしまった血を僕が吸えばいい。  ミリアの血を搾り取るように吸って、飲み込む。毒が混じっているからといって吐き出すことなどしない。  彼女の血は一滴たりとも無駄にはしない。  ああ、思っていたとおり、ミリアの血は狂おしいほどに甘美で堪らない。  そうして、どのくらい血を吸っていただろうか。僕はミリアが涙を拭いているのに気づいて我に返った。  しまった。いくら毒を吸い出すためとはいえ、いつまでも吸いすぎだったのではないだろうか。  ミリアの血の甘さに酔って、少し恍惚としてしまったかもしれない。気味が悪いと思われたのではないだろうか。  そんな風に不安になり、ミリアの右手から唇を離して謝ろうとしたその時。  ミリアは目に涙を浮かべながら僕に言った。 「私の血を吸ってくれてありがとう、ルーカス」 ◇◇◇◇◇  私はルーカスに心からのお礼を伝えた。  彼は、私の願いを叶えてくれたのだ。    愛する吸血鬼のあなたに、私の血を吸ってもらいたいという切なる願いを。  私が思ったとおり、ルーカスは毒を吸い出すために私の血を吸ってくれた。  私の右手をとって毒蛇の噛み跡に口付け、温かな舌を押し当てて必死に血を吸い、飲んでくれた。  なんて幸せな時間だったのだろう。  私がお礼を言うのが意外だったのか、ルーカスは驚いたような表情でぽつりと言った。 「僕が気持ち悪くないの?」 「あなたを気持ち悪いと思ったことなんて、一度もないわ」 「……君は僕を知らないんだ。僕の心は穢れている。君を大切に思うのに、その血が欲しくて堪らない。僕はどうかしているんだ……!」  吐き捨てるように叫ぶルーカスの手をとって、私はゆっくりと言葉を紡いだ。 「あなたも私を知らないわ、ルーカス。私はあなたを愛しているの。愛しているから、あなたに私の血を吸ってもらいたかった。あなたが私の血ではなく、小瓶に入った他人の血を飲むのが辛くて苦しかった。ねえ、ルーカス。私の心も、この体に流れる血も、全部あなたにあげる。だから、もう私以外の血は吸わないで」  翳っていたルーカスの瞳が揺らめく。 「……君には、僕なんかじゃなく、清らかで真っ当な普通の男が相応しいと思ってた。だから僕は身を引くべきだと。気持ちを殺して、ただの幼馴染として見守るべきだと思い込もうとしてた。でも、君を諦めるなんて無理だ。愛しているんだ。子どもの頃からずっと。……本当に、君の血を吸っても許してくれる?」 「それが私の幸せだわ」 「これからは、死ぬまで君の血しか吸わない」  そう言ってルーカスは、私の右手にもう一度優しく口付けた。  毒のような甘い痺れを感じ、震えるほどの歓びに包まれる。  これからは、私だけがルーカスに血をあげられるのだ。  この想いが何というのか、もはや自分でも分からない。  あまりにも物騒で、どろどろと広がって心を侵食するような、重たい感情。  でも、そこには確かに、紛れもない愛が存在する。 「私も、死ぬまであなたに求められたい」  私は、ルーカスの綺麗な赤い瞳を見つめながら、うっそりと微笑んだ。
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