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身体の大きいルドルフの手は人一倍大きい。
しかも警備課らしく争い慣れた無骨な手をしているから彼が握ればハサミなんておもちゃみたいに見えるし、勝手に不器用なんだと思っていたけれど。
それはおれの間違いだったようだ。
軟膏を塗ってガーゼを裁断し頬の傷口を覆う、そのどの手つきも任務中の彼とは似つかない程丁寧で優しいから、つい見入ってしまっていた。
そうしていつの間にか過去に引きずられていたらしい。
「で、誰にこんなことされたんだ?」
「え」
そんなんだから理解が遅れてしまった。
記憶の中の大人の言葉と重なるものだから、一瞬現実か思い出か判断出来なかった。キョトン…とさぞ間抜けにルドルフを見上げてしまったんだと思う。彼もまた不思議がるおれが逆に不思議だったんだろう。薬箱に物をしまい込んでいた手を止めてこちらを見つめ返す。
「だからその怪我だよ。っまさかまだ兄貴のことで絡まれんのか?」
「や!それは流石にもうないっすけど…」
それを聞いて少し安堵したように笑うルドルフに、なんとも言えない気持ちにさせられる。
彼にとって弟のおれが暴力を受けている事もその理由が兄であるか否かも随分と気になるらしい。
そう考えるとやっぱり色々と気が重くなる。
別におれ個人を見て欲しいとは思わないけど、この人にとっておれはいつまでもあのラファエロの弟なんだろうな。
「護衛してた時にヘマしただけです。本当にルドルフさんが思ってるほど大した事ないんすよ」
「ヘマっつったって…だって貴族に殴られたんだろ?」
「そうだけど。でも任務中にへばったおれも悪かったから」
何か言いたげなルドルフを無視しておれは続けた。
ルピシエ市警察署に来る護衛依頼の多くは屋敷の守衛を兼ねた日常的な護衛であり、おれの今日の任務もよくあるそのパターンだった。
…いつもと違ったのはそこでおれが眩暈を起こしてしまったということ。
貧血だった。
視界が暗くなったまま身体に力が入らなくて、おれはしばらくその場から立ち上がる事すら出来なかった。
不幸中の幸いだったのは兄に血を与えたあの時みたく気を失わなかったこと。あの場でもし倒れていたらと考えるとなにより目の前の心配性が暴走しそうだったし。
まあでも、そんなしゃがみこんだまま動けない状態の護衛を見つけた依頼主はそりゃあ面白くないだろう。
だって彼は盾を求めて依頼をしているんだから、怒って当然だ。
やっと視界が明けてきて立ち上がれた頃には、激昂した主人が肩を怒らせおれの元に近づいてきていた。
「…だから殴られても仕方なかったっつーか。大した怪我でもねーんだし、ルドルフさんがわざわざ気にするような事じゃねーんすよ!」
「…なんで笑うんだよ」
「なにが」
二度目の不発。ピクリと自分でも、弧を描かせていた口角が引き攣ったのが分かった。
…もうこの手の話はやめて欲しいかった。なんで分かってくれないんだよ。
やはり彼にはセオリーなんて通じないらしい。
「…別にいいんすよ、あの人怒らせるようなことしたのおれだったし」
「っそんなんが理由であっていいわけねぇだろ!」
大声が医務室に響いた。
おれの言葉に驚いたと言わんばかりに目を見開いたルドルフは、わざわざ視線の高さを合わせるようにおれの傍で膝をつくと急に怒鳴られ面食らったおれを他所に、必死に言い募ってくる。
その必死さはまるであの時と同じだ。記憶の中の先生のよう有無を言わせず、母のように深刻そうに、
「なあギル、いいか?」
よく聞けと言わんばかりに右腕を引かれる。
さも間違いを正していると言わんばかりの彼にムカついて、おれは視線を逸らした。
怪我の痛みよりも、おれが怪我した事で周りが騒ぎ立てるこういう時間がおれは一番嫌いだった。
こういう薬の匂いが充満している空間で、こういう風におれは腫れ物の様に扱われるて、だからおれは心底いたたまれなくて……
「程度なんて関係ねぇ。手を上げられてそれで仕方ねぇ事なんてことはただの一つもねぇんだよ。それは分かるよな?」
「…」
「お前が優しい奴だって俺も分かってるけどさ、なんで殴った奴の肩ばっか持つんだよ。もっと自分のこと大切にしてくれよ。心配になる」
「……」
心配?頼んでねーし。
おれじゃなくて兄ちゃんの心配だろ。
「ギルバート」
「……はい、すみませんでした」
「なんでそうなるんだよ、だから…!」
言いかけて、ルドルフは止めた。止めて、何を諦めたのか急に風船が萎んだみたく肩を落とす。
はあ、と深いため息が彼の口から漏れた。
「いや悪ぃ、俺もムキになった」
「なんでルドルフさんが謝んの」
「お前が謝んなくていいのに謝るから。それに俺はお前の事、責めたかったわけじゃねぇんだ。怒鳴ってごめんな」
「別にいいんすよ。だって怒らせちゃったでしょ、おれ」
「ギル…」
何か続く言葉があったようだけどルドルフはそれを飲み込んだ。そうして苦く笑うと急に腕が伸びてきて、わしゃわしゃ!と頭を荒く撫でられた。
「わ!ちょっと、なんなんすかあ!」
手当の時にはなりを潜めていた馬鹿力が戻ってきたみたいだ。そう、忘れていたけどこの手は拳1つで賊を沈められるのだ。
ガシガシと、脳みそまで揺すられる気がする…
そうしてようやく解放されたと思えば、
「よし!」
なんてさ。犬じゃねーんだからさ…
ルドルフは満足気に笑って、
「今日のシフトは護衛だけだったんだろ?なら飯食ってさっさと上がれ」
「え、なんで?おれ、謹慎処分ってこと?」
「馬鹿!違ぇよ、体調悪ぃんだろ?最近顔色は良くねぇしこの前も鍛錬中に貧血起こしてたよな。それで今日もなんて…どっか具合悪い所でもあんじゃねぇのか?」
ギクリとした。
「本当はそっちを医務官に見て欲しかったんだけどなぁ」なんてボヤくルドルフがそこまで考えてくれていた事にも驚いたけれど、度重なる貧血の理由なんて1つしかない。
兄への食事だ。
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