青灰色の目をした魔道具師

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 ヴィクトールが慌ててカイの後を追おうと立ち上がった瞬間、ガチャリと玄関の扉が開いた。 「どうしたんだい、ヴィクター」 「あ、っと……」  振り向くと、不思議そうな顔をしたエックハルトがテーブルに戻ってくるところだった。ケーキスタンドを手に持った少女が後ろに控えている。 「んん……いや」  ちらり、とカイが雪を蹴散らして消えていった家の裏手を見やり、ヴィクトールは口ごもった。すぐにでもカイを追いかけたかったが、自分から泣かせておいて何をどう弁解すればいいのか分からない。そんなに意地の悪いことを言うつもりはなかった、ただのやっかみだったんだと弁解したところで、口から出た言葉は戻ってこないのだ。 「……何でもない」  結局ヴィクトールは、そう言ってまた椅子に腰を下ろした。カイに顔立ちが似ているが、髪も目も明るい琥珀色をしているおかっぱの少女、アルマがテーブルの上にケーキスタンドを置き、カイが置きっぱなしにしていったトレイを下げる。 「お久しぶりです、ヴィクトールさん」 「う、うん……久しぶり」  エックハルトのところにはしょっちゅう来ているが、何分カイ目当てなもので前回アルマに会ったのがいつか思い出せない。記憶を掘り起こしていると、アルマに探るような目線で見られた気がした。 「私たちも中でお茶してるんで、おかわりとか遠慮なく言ってくださいね!」  アルマがそう言って戻っていくのを見送ってから、ケーキスタンドの下段に乗ったサンドイッチに手を伸ばす。口の中に放り込むと、粘土でも噛んでいるような味気なさに水分を持っていかれた。少し冷めてきた紅茶で無理やり流し込む。  その後エックハルトと何を話したかは、気もそぞろであまり覚えていない。早々に別れを告げると、そそくさとヴィクトールは玄関先に置いてあった樽に乗り込んだ。とんとん、と使い込まれた色の縁を軽く叩くと、一瞬青灰色に輝いた樽はふわりと浮き上がる。体力のあまりないヴィクトールには、箒での飛行はしんどいのだ。 「ヴィクター、今日は泊まっていってくれないのかい? 残念だな、アルマが豚肉を煮込んでくれてたんだけど」 「ごめん、仕事が終わってなくて……」  魅力的な申し出ではあるが、今の雰囲気で長居するのは避けたい。エックハルトと軽く抱き合ったのちキスをして、空に浮かぶ。その間もずっとヴィクトールの頭の中にあったのはカイの涙だった。結局カイはどこに行ったものか、最後まで姿を見せてくれなかった。  少しばかり南に飛んだ後、ヴィクトールは樽の向きを変えた。既に豆粒のようになったエックハルトの家を確認し、ゆっくりと飛んできた方向に戻る。  すっかり葉を落とした林を空から眺めれば、カイはすぐに見つかった。家の裏にある樹の下で、隠れるように蹲っている。  着陸し、樽から降りるとブーツで踏んだ雪がしゃくりと音を立てた。体を震わせて振り向いたカイと、目が合う。赤く腫れぼったくなった目が、彼がヴィクトールの眼前から逃げた後も泣いていたことを示していた。 「さっきは……ごめん」 ヴィクトールがそう言いながら横に腰を下ろすと、無言のままカイは俯いた。ヤドリギのくっついた木を眺めながら、ヴィクトールは続ける。 「茶化すつもりじゃなかったんだ。そうじゃなくて……」  そうじゃなくてなんだというのだろう。ヴィクトールは白い息を吐いた。エックハルトに嫉妬した、ただそれだけの話なのだが、ヴィクトールにはどうしてもそれを口にすることができなかった。 「……俺も、すみません。いきなり涙が出てきて、自分でもびっくりしました」  黙っていると、照れたような声が横から聞こえた。無理に彼が笑おうとしているように思えて、ヴィクトールはカイの顔を見られない。 「いや。人の個人的なことを無遠慮に突っついたりして、本当に悪かった」 「もう大丈夫ですから」  そう言われても、ヴィクトールの気持ちは収まらなかった。カイを傷つけてしまったという事実に、ヴィクトールの方が動揺している。何かしなくては、と目的のない焦燥感に、そわそわと両手の指を絡めた。 「師匠は俺のことなんて何とも思ってませんよ。俺はあんまり魔法得意じゃないですし、子供みたいなもんですし、そういう対象にはならないですから。安心してください、ヴィクトールさん」 「カイ君?」  ようやくヴィクトールが横を振り向くと、カイは困ったように薄く笑い、膝の上に頭をおいていた。かける言葉が見当たらず、ヴィクトールはただ黙り込んだ。絶対に恋愛対象として見てもらえないことが分かっているから、現状維持を選ぶ――その気持ちは、まさに今のヴィクトールと同じだからだ。  共感なのか嫉妬なのか、胸の奥が潰れるように痛んだ。  言葉にできないその感情を伝えたくて、雪の上に投げ出すように伸びていたカイの手を取る。長い間座っていたのだろう、すっかり冷え切っている手を両手で包み込み、祈りのような気持ちを込めて強く握りしめる。 「ヴィクトールさんっ……」  絞り出すように聞こえてきたカイの声は震えている。俯いた顔から膝の上に、ぱた、と何かが落ちていくのが見えた。 「う、あ……ごめん!」  カイの手を放り出し、ヴィクトールは後じさりながら立ち上がった。心臓が跳ね上がり、まだ冬だと言うのに全身がいやに熱くなる。  子供が作った砂の山のようだった。触れれば触れるほどカイの心を壊していってしまうなら、何もしないほうがまだマシだ。ごめん、とヴィクトールはもう一度彼にしては大きめの声で言い捨て、樽に乗り込んで飛び立った。闇雲に高く舞い上がり、それから家の方角である南に進路を取る。  ようやく嫌な動悸が治まってきた頃には、ちらちらと雪が降り始めていた。 「あぁ……」  ヴィクトールは両手を見下ろしながらため息をついた。  カイに触れたのは久しぶりだった。大人になってきて、彼を意識し始めてからは意図的に避けていたからだ。  大きくて分厚い手はもう立派に男のもので、だがまだ柔らかな手触りに少年の面影を残していた。  更に傷つけたかったわけではないのだ。ただ、カイのことを少しでも慰め、元気づけたかったのだ。本当は手だけじゃなくて、きっと冷え切っていたであろう体も、それから心も温めてあげたかった。 (いきなり手を握ったりして、気持ち悪かったよな)  反省していたヴィクトールは、ひゅうと吹いてきた雪風に身を震わせた。黒いローブの袖口や裾についた雪が体温で溶け、びしょびしょになっている。  きっと雪の上にずっと座っていたカイはもっと濡れていただろうな、と気づき、せめて乾かしてあげればよかった、と思ってまた心が冷たく沈んでいく。自分は本当になんて気が利かないのだろう。悲しくなりながらヴィクトールは服の裾に触れ、魔法を使ってローブを乾かし、暖気魔法を纏う。  雪がますます強く降ってくる中、目を細めたヴィクトールは樽の高度を上げた。目の前にそびえる「熊の牙」山、その山頂付近にあるクラコット村にヴィクトールの家はある。降りしきる雪の中でも村のあたりが輝いて見えるのは、街中に魔法のランプ――幻影角燈が飾られているからだ。ちらちらと輝くその明かりを頼りに、ヴィクトールは家路を急いだ。
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