毎朝の日課

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 乗合馬車の停留所は、町の中心部である広場から通り2本分しか離れていない。別に出迎えも案内もいらない距離なのだが、本当はエックハルトの家まで迎えに行きたいのを我慢しているのである、これくらいいいだろう。  まだ早すぎたのか、停留所には乗合馬車を待つ人すら並んでいなかった。邪魔にならないよう少し離れたところで待っていると、ちらほらと人が集まったころに遠くから馬車の音が聞こえてきた。ややあって、2頭の真っ黒な六脚馬とそこに繋がれた馬車が姿を現す。普通の馬より歩くのが遅いが力のある六脚馬は、雪の山道を歩くのに適しているのだ。  コートや暖気魔法に体を包んだ乗客たちが乗合から降り、心配になったヴィクトールが馬車の中を覗こうとしたとき、最後に震えながら転げ落ちるように出てきたのがカイだった。なぜかベストに薄手のジャケットだけという軽装で、暖気魔法もかけていない。 「ヴィヴィヴィヴィクトールさんっ、おおおお迎えありがとうございます」 「ど、どうしたの? なんでそんな恰好?」  旅行鞄を抱え、蒼白な顔で震えるカイに暖気魔法をかけてやる。どうして雪山にジャケット1枚で来ることになってしまったのか疑問だったが、まずは体を温めたほうがいいだろう。停留所のすぐ横にあるカフェに入り、コーヒーとホットチョコレートを注文する。  花弁の舞う映像装飾がされた暖かい店内に入り、カイはようやっと人心地ついたようだった。頬に赤みが戻ってきている。きょろ、と恥ずかしそうに周囲の人の格好を探ったドングリのような目が、カップ越しにヴィクトールを見た。 「南にあるっていうから暖かいと思って薄手の服できたのに、めちゃくちゃ寒いじゃないですかここ!」 「ああ……まあ、南にはあるけど。寒いよ、ここは」  エックハルトの住む林から、確かにクラコット村は南の方向にはある。だがほんの少しだけの話だ。しかも向こうは平地で温暖な気候であるのに対し、こちらは高地である。周囲を山に囲まれているので風も強く、雪も多い。南の方角にあるというだけで、実際は林のあたりよりもずっと寒冷な気候だ。大体ブロンデス自体が北国なので、南端と言ってもたかが知れている。何を想像していたのだろうか。  エックハルトも教えてやればいいのに、とヴィクトールは思う。おそらくエックハルト自身は魔法でどうとでも対処できるから、薄着であることが問題だとも思わなかったのだろう。自分の才能と見た目の良さに胡坐をかいているから、他人には無神経で鈍感なのだ。  一番悪いのはクラコット村のことをロクに調べもせず来たカイ本人だが、その愚かさが可愛いので不問とする。 「いや、クラコット村行きの乗合を待っているあたりから、なんかおかしいな? とは思ったんですよ。皆厚着してて……まさかこんな山の上で、まだ雪が残っているほどとは」  恥ずかしげに肩をすくめながら、カイはまたふう、とホットチョコレートを吹いた。冷え切った体を温めるように、膝や頬にカップを当てながら物珍しげに店内を見回している。好奇心を抑えきれずそわそわする様子を観察していると、その視線に気づいたカイがきまり悪げに微笑した。 「ねえカイ君、どうして魔道具師になりたいの?」  微笑みを返し、ずっと気になっていたことをヴィクトールは口にした。  魔法技術の発達したブロンデスでありながら機械の国に近いという位置関係、そして農作物があまり育たない土壌と冬が長い気候の関係から、クラコット村は魔道具、特にヴィクトールが専門とする「幻影角燈」を特産品としていた。だから、魔道具師を志してクラコット村に来るというのは良い選択である。  だが、ヴィクトールには違和感があった。確かに小さいときカイは魔道具作りに興味を示していたが、その後「魔道具師になりたい」なんて聞いたこともなかったし、角燈を見せたこともない。あまりにも唐突な気がしたのである。 「ん、え……っとですね、やっぱり俺どう頑張っても魔法の才能ないみたいで。魔法使いとして生きていくのはちょっと無理っぽいので、今まで学んだ魔法技術を生かせるような仕事をしたいなって」 「そっか」  魔法技術を生かせる仕事は魔道具師だけではなく、占星術師や魔獣使い、薬師など沢山ある。まるで答えになっていなかったが、ヴィクトールはあえてそこを深掘りしようとは思わなかった。魔道具にもあまり興味はないし、クラコット村のことを調べてから訪ねてくるほど意欲的なわけでもない。それが分かっただけでもう十分だった。 「僕は幻影角燈専門の職人だから、それ以外の魔道具はあんまり教えてあげられないと思うけど……それでもいいかな」 「あっ、はい! えと、大丈夫です!」  こくこくと勢いよくカイが頷く。少しだけコーヒーを口に含むと、煮詰まったような味がした。取り立てて魔道具師になりたいわけでもないカイがクラコット村に来て、工房で働きたいという理由は、ヴィクトールには1つしか思いつかない。  きっと、エックハルトから距離を取りたいのだ。魔道具師がどうこうというのは後付けの言い訳に過ぎないのだろう。あまりにも志望動機がふわふわしている。  じり、と胸の奥まで苦くなる。何を浮かれていたのだろうか。いくら古いからと言って傾きかけた工房で働きたいなんて、ヴィクトールのもとで学びたいなんておかしいことになぜ今まで気づかなかったのだろうか。それでも傷心旅行先として思いついたのが、ここに来るという選択肢であることが小さな慰めだった。少なくとも、この前のことで徹底的に嫌われたということではないのだから。   エックハルトの連絡を受けてからこのかたずっとふわふわと宙を歩いていた足が、ようやっと地面を踏んだ気がした。胸の奥につかえる何かを、残りのコーヒーと共に飲み下す。空になったカップをソーサーに戻し、カイの方を見る。彼の手にあるカップの中にはなみなみとホットチョコレートが残っていた。 「ごめん、チョコレート嫌いだったかな」  寒そうだったから勝手にホットチョコレートを注文してしまったが、先ほどから口元に持って行っても吹いているだけで一向に減る気配がない。ちゃんとカイに聞いてから注文するべきだった。 「あ、いやっ、好きですチョコレート! 猫舌なんで、冷めるの待ってるだけです!」 「猫舌……」  そうなのか。ロジウムも猫舌なのでますます喜ぶだろう。伸ばした指先でカイのコップに触れると、びくりとその向こうにいるカイが身を引いた。軽く中の液体を魔法で冷やしてから手を引く。 「こんなものでどうかな」 「え? ……あ、ありがとうございます!」  ちろりと出した舌先で液体のチョコレートの表面に触れたカイが、とろりとその目元を緩ませた。  これからだ。その顔に少しだけ前向きな気持ちになる。動機なんてなんだっていいのだ。とにかくこれからはここで暮らすのだから、じっくりとカイには魔道具や幻影角燈のことを知ってもらえばいい。  ヴィクトールもまた、これからカイのことをもっと知っていきたいと思っているのだから。 「ねえカイ君、どうして魔道具師になりたいの?」  微笑みを返し、ずっと気になっていたことをヴィクトールは口にした。  魔法技術の発達したブロンデスでありながら機械の国に近いという位置関係、そして農作物があまり育たない土壌と冬が長い気候の関係から、クラコット村は魔道具、特にヴィクトールが専門とする「幻影角燈」を特産品としていた。だから、魔道具師を志してクラコット村に来るというのは良い選択である。  だが、ヴィクトールには違和感があった。確かに小さいときカイは魔道具作りに興味を示していたが、その後「魔道具師になりたい」なんて聞いたこともなかったし、角燈を見せたこともない。あまりにも唐突な気がしたのである。 「ん、え……っとですね、やっぱり俺どう頑張っても魔法の才能ないみたいで。魔法使いとして生きていくのはちょっと無理っぽいので、今まで学んだ魔法技術を生かせるような仕事をしたいなって」 「そっか」  魔法技術を生かせる仕事は魔道具師だけではなく、占星術師や魔獣使い、薬師など沢山ある。まるで答えになっていなかったが、ヴィクトールはあえてそこを深掘りしようとは思わなかった。魔道具にもあまり興味はないし、クラコット村のことを調べてから訪ねてくるほど意欲的なわけでもない。それが分かっただけでもう十分だった。 「僕は幻影角燈専門の職人だから、それ以外の魔道具はあんまり教えてあげられないと思うけど……それでもいいかな」 「あっ、はい! えと、大丈夫です!」  こくこくと勢いよくカイが頷く。少しだけコーヒーを口に含むと、煮詰まったような味がした。取り立てて魔道具師になりたいわけでもないカイがクラコット村に来て、工房で働きたいという理由は、ヴィクトールには1つしか思いつかない。  きっと、エックハルトから距離を取りたいのだ。魔道具師がどうこうというのは後付けの言い訳に過ぎないのだろう。あまりにも志望動機がふわふわしている。  じり、と胸の奥まで苦くなる。何を浮かれていたのだろうか。いくら古いからと言って傾きかけた工房で働きたいなんて、ヴィクトールのもとで学びたいなんておかしいことになぜ今まで気づかなかったのだろうか。それでも傷心旅行先として思いついたのが、ここに来るという選択肢であることが小さな慰めだった。少なくとも、この前のことで徹底的に嫌われたということではないのだから。   エックハルトの連絡を受けてからこのかたずっとふわふわと宙を歩いていた足が、ようやっと地面を踏んだ気がした。胸の奥につかえる何かを、残りのコーヒーと共に飲み下す。空になったカップをソーサーに戻し、カイの方を見る。彼の手にあるカップの中にはなみなみとホットチョコレートが残っていた。 「ごめん、チョコレート嫌いだったかな」  寒そうだったから勝手にホットチョコレートを注文してしまったが、先ほどから口元に持って行っても吹いているだけで一向に減る気配がない。ちゃんとカイに聞いてから注文するべきだった。 「あ、いやっ、好きですチョコレート! 猫舌なんで、冷めるの待ってるだけです!」 「猫舌……」  そうなのか。ロジウムも猫舌なのでますます喜ぶだろう。伸ばした指先でカイのコップに触れると、びくりとその向こうにいるカイが身を引いた。軽く中の液体を魔法で冷やしてから手を引く。 「こんなものでどうかな」 「え? ……あ、ありがとうございます!」  ちろりと出した舌先で液体のチョコレートの表面に触れたカイが、とろりとその目元を緩ませた。  これからだ。その顔に少しだけ前向きな気持ちになる。動機なんてなんだっていいのだ。とにかくこれからはここで暮らすのだから、じっくりとカイには魔道具や幻影角燈のことを知ってもらえばいい。  ヴィクトールもまた、これからカイのことをもっと知っていきたいと思っているのだから。
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