毎朝の日課

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 町の大体のところを案内して工房に戻ると、すでにロジウムは店舗前の掃除をしているところだった。ちょろちょろと左右を見ながらあちこち歩くカイと、そのカイに合わせていつもより息の上がっているヴィクトールを見て腰に手をやる。 「やっと帰ってきたわね。そろそろ店開けるから、さっさとご飯食べちゃいなさい!」  はーい、と口々に答えながらダイニングに向かうと、すでにそこには朝食が用意されていた。ヴィクトールの分は、お決まりの丸パンとコーヒー。カイの方は、それに加え、ソーセージにサラダ、チーズ、果物など盛りだくさんだ。ロジウムが気を使ったものらしい。 「えっ……え、格差ないですか、これ」  ヴィクトールが丸パンとコーヒーの前に座ると、立ちすくんだカイがおろおろと二つ向かいあった朝食を見比べた。 「あーいいのよ、ヴィーは朝と夜それしか食べないから。気にしないで」  店舗内の掃除にかかったロジウムが、廊下と扉を挟んだ向こうから叫んでくる。コボルトの大きな耳は、家の中の会話くらいすべて聞き取れるのだ。 「そ、そうなんですか?」 「うん」 「じゃあ、お昼ご飯いっぱい食べる感じ……ですかね?」 「まあ……」 「まさか! スープの上澄みだけちょっと啜って『お腹いっぱい』って言いだすわよ!」  えっ、と驚いたように見開かれたカイの視線に、机の上に出た上半身を撫でまわされるのをヴィクトールは感じた。痩せた体がローブに包まれていてよかったと思う。 「だ、大丈夫なんですか? そんなんで……」 「大丈夫」 「そんなわけないでしょうよー、体力もないしすぐ倒れるんだから!」 「ちょっとロジー、黙っててくれないか?」 「なによ、どうせすぐバレることでしょう? 取り繕ったって無駄よ」  うるさい。食べられないんだから仕方ないだろう。ちまちまとパンを口の中に押し込んでいると、視界の端からすすす、と林檎サラダの乗った小皿が近寄ってきた。 「その、俺、こ、こんなに食べきれないんで……よかったら……」 「んん……」  皿を押し出してくる指先を伝い、カイを見る。目が合うとカイはさっと目線をそらし、中途半端な位置で皿が止まった。俯いた表情は分からないが、代わりに耳が少し赤くなっているのが見える。 「ありがとう、もらおうかな」  これは断れない。皿を受け取ってフォークを突き刺す。酸っぱめのリンゴとキャベツのサラダは、甘い余韻を残して消えていった。 「うん、おいしい」  呟くと、まるで自分の口の中にサラダが入ったかのようにカイが嬉しそうな顔をした。自然とヴィクトールの顔も綻ぶ。  朝食を食べ終えた2人は、工房へと移動した。ちょこんと工房の椅子に腰掛け、真新しいエプロンをつけるカイは夢のようである。何もしないでそこに座っているところをじっと見ていたいがそうもいかない。 「さて、それじゃあカイ君、君にはまずこの工房で作っている『幻影角燈』がどんなものかを知ってもらいたいと思うんだけど……ちゃんと見たこと、ないよね?」 「はい! いや! えと! す……すいません……」  勢いよく答えてから、しまったという顔をして小さくなるカイ。幻影角燈を造っている工房に働きに来ておいて「今まで見たことがありません」はさすがにまずいと思ったのだろう。  とはいえ、今までのカイの感じからすると、ヴィクトールとしてはむしろ幻影角燈を知っている方が驚きである。以前は結婚式など催し物の演出には欠かせないとされていた幻影角燈だが、魔法使いが増えた今では、都度魔法使いを呼んで演出を担当させる方が主流となっていた。「結婚式はゼーアの角燈で」と言われた時代ははるか昔なのだ。 「そうだなあ、幻影角燈が何かっていうのは……説明するより見てもらった方が早いかな。店舗の方に行ってみようか」 「はい!」  ぴょこ、と立ち上がったカイを先導し、店舗へ続く扉を開ける。相変わらず閑古鳥が鳴いている店内では、ロジウムが春用の陳列案を練っているところだった。 「わあっ……!」  店内に並ぶ大小のランプを見回したカイは、こぼれそうなほどに目を大きくしていた。手のひらに乗るサイズのものや、猫を象ったものをつつき、机より大きなランプの周りをくるくる回る。 「え、これ全部ヴィクトールさんが作ったんですか?」 「まあ昔いた職人さんのとか、母のとかもあるから全部ではないけど……半分以上は僕、かな」 「えぇ……っ」  ものも言えない様子で室内を歩き回るカイを見て、ヴィクトールはしばらく忘れていた誇らしさや嬉しさを感じた。  だが、まだ感動する段階ではない。ヴィクトールは横のテーブルにあったランタンを手に持った。 「見ててごらん」 ステンドグラスが嵌まった角燈の胴体部分、クローバーの飾りがついたつまみをひねる。  その瞬間、ふわりと部屋中に草原が広がった。  草の葉を揺らすのは暖かな春の風。合間から白い花が覗き、ぴりりぴりりと小鳥の鳴く声が響く。頭上に広がる青空では、午前中の太陽が光った。 「わ、え!?」  しゃがみこんだカイが床の上に突然生えだした草に手を伸ばすが、その指先は葉先をすり抜ける。  その先、机の間の草原では、茶髪の子供が白い花を摘んでいた。小さな手で持ちきれないほどに集めた花束を、嬉しそうに見せびらかしてくる。青く、甘い匂いが広がった。 「角燈(ランプ)の中に魔法の幻影を込めたもの――これが、幻影角燈だよ、カイ君」  机に角燈を戻してツマミを逆側にひねると、草原の景色が薄くなってぱちりと消えた。 「昨日寄ったカフェでも使ってたと思うけれど、あんな感じで飲食店やパーティーの雰囲気作りとか、あとは教材や子供向けの……」 「すっっっっげえええ~~~!」  突然大声を上げたカイは、バネが弾けたように飛び上がった。振り向いた目はキラキラとしていて、その奥に星空があるようだった。 「なにこれ! すごい! まっ、え、他の! 他のも見たい! ねえヴィクトールさん!」 「いいよ、好きなだけ自由に見るといい。それも勉強だ」 「いいんですか!? ありがとうございます!」  言い終わるかどうかといううちに、カイは目の前にあるつまみをひねっていた。小さな角燈から子猫たちが飛び出し、毛玉を追ってじゃれまわる。その横にあるランプから浮かび上がるのは幽霊船だ。角燈をつけるたびに、「おお!」「わあ!」とカイが叫ぶ。 (そうだ、僕は……この顔が見たくて、職人になることを決めたんだ)  はしゃぎ回るカイを見ながら、ヴィクトールはじわりじわりと心の中が暖かくなるのを感じた。  この家に生まれたから。この工房を継がなくてはいけなかったから。それはたしかに大きな要因だったが、ヴィクトールが最終的にこの道に進むことを決意した最大の理由は、角燈を見て感動する人の表情だった。 「いい顔してんじゃないの」  振り向くと、背後にロジウムが立っていた。 「ね。……かわいいよね」  これだけ幻影角灯を楽しめるなら、きっといい職人になれるだろう。ヴィクトールがまたカイの方を向くと、ふんと背後で鼻を鳴らす音が聞こえた。 「違うわよ、ヴィー、アンタのことよ」 「え?」  変な顔でもしていただろうか。ヴィクトールが頬に手を当てると、ニヤニヤと目を細めたロジウムは白い尾を振った。
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