毎朝の日課

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「どうですか? 花びらの薄さを出すのに結構手間取っちゃって。なんかもったりした感じが抜けないような気がするんですけど」 「いや、いい感じにできてるよ。厚さが気になるならもうちょっとこんな感じでやっても良いと思うけど……ちょっとごめんね」  夕陽の差し込む工房の中、座ったカイの背後に立ったヴィクトールは体を重ねるようにしてカイの手を取った。魔力をカイの手と筆にまとわせ、カイが描いたどことなく大味な花の隣に、淡く繊細な花びらを描く。 「おお、そうするんですね……?」 「こればっかりは練習して感覚を身に着けていくしかないからね。好みもあるし」  そっと手を離して見下ろすと、「なるほど」と頷いたカイはヴィクトールの描いた花びらを見ながら再度手を動かした。その顔は真剣そのもので、ヴィクトールはどこかこそばゆいような、満たされたような気持ちになった。  ――カイが工房に来て、早数か月。クラコット村の雪もすっかり解け、季節は春になっていた。  幻影角燈は大きく分けて物理的なランプ部分と、その中に込める魔力部分から形成されており、たまにそこに追加で香りや音楽をつけたりする。ランプ部分の作成は鍛冶やガラスについての知識が必要になるため、まずなじみがあるだろう魔力部分からヴィクトールはカイに教えることにした。  エックハルトのもとで修業をしていただけあって、カイの魔法の扱いは上手かった。打てば響く、というような理解力があるわけではないが、分からないことはしっかり聞いてくれるし、一度身に着けてしまえば応用も上手い。真面目に取り組んでいることが分かり、ヴィクトールとしてはかえって好感が持てた。魔力の少なさに関しては魔石やヴィクトールの助けがあれば問題ないので、今のところカイの魔道具師としての修業は順調だった。 「ただ……あれだね、こういうのは気をつけたほうがいいかも」  そう言いつつ、ヴィクトールは机の上、練習用ランプを持ち上げ、中に入っていた魔石をカイに指し示した。少し斜めになっている石をつまみ、向きを直す。 「魔石は結構簡単に爆発しちゃうから、丁寧に扱ってあげてね」 「あっ、は、はい! 気をつけます! お客さんのところで爆発したりしたら大変ですものね!」 「それもある……けど、カイ君自身が怪我しちゃうから」  魔石の中には魔力が圧縮されているので、少しヒビが入ったりするとそこから爆発する性質がある。まともに喰らえばそれだけで手足が吹き飛ぶし、工房の中には危険な薬品も多い。爆風で吹っ飛んでくる工具だって立派な凶器だ。とはいえヴィクトール含め大抵の魔法使いや魔道具師は若い頃に一度や二度やらかした経験があるものだったりするのだが、それを今カイに言う必要はないだろう。  練習用のランプを差し出すと、受け取ろうとしたカイの指先と、ヴィクトールの手が触れ合った。 「……っ」  角燈作りを教えている間に互いの体が触れてしまうことはよくあったが、これにはまだ慣れない。先程花を描いた時のように意図的ならまだしも、不意に触ってしまったときにはそれだけで心臓がつぶれそうになる。火照った顔が夕日に紛れていますように、と思いながら平静を装い、そっと手を離す。ちらりと見たカイの頭は俯いていて、気づかれたかどうかは分からなかった。  ゆっくりとした動きでランプを作業台の上に置くカイを見ていると、店舗側に繋がるドアがバタンと開いた。ロジウムがフワフワとした顔を覗かせる。 「閉店時間になったわよー、カイ、店内の掃除手伝いなさいな」 「あ、は、はい!」  返事をして立ち上がったカイが、あ、と小さな声を上げて作業台の上を見る。出しっぱなしだった魔描用の筆やヘラをがさりと一纏めにして工具箱の中に突っ込み、表へ向かう。 (かわいいな……)  ふ、と息をついてヴィクトールはその背中を見送った。何でもないいつもの日常なのだが、それがひどく貴重で、かけがえのないもののように感じた。ころりと1本だけ取り残されていた細筆を取り、カイの工具箱の中に入れる。他の人であれば恐らく苛つくであろうそのだらしなさも、カイがしたことだと思うとほほえましい。  カイとロジウムが店舗側の掃除と売上の計算、ヴィクトールが工房側の掃除と備品の在庫確認をして今日の営業は終了だ。 「ほら、夕飯準備するからシャワー浴びてきなさい、金属粉だらけよ」 「はーい」  ロジウムに促されて順番に体を洗ったら夕飯で、それからは自由時間だ。  ちなみにロジウム本人は月に1回程度しか体を洗わない。本人曰く「コボルトは人間と違って汚くないし、工房にもほとんど入らないからブラッシングだけで大丈夫」とのことである。本当かどうかは知らないが、確かに普段は臭くないし、長年それでやってきて不都合はないのでヴィクトールは気にしないことにしている。
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