第三話 鬼将軍

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「……さて、白殿の了承も得たことだ。白殿。明日、宇晨と共に耀天府まで来るように」 「承りました」  孤星は拱手した後、「それでは失礼」とさっさと部屋を出てしまう。残された宇晨はといえば、居た堪れなさに己も出て行きたいところだったが、居住まいを正して孟開に頭を下げる。 「その……申し訳ありません。孟伯父の前で失礼をしました」 「いや、構わん。落ち込んで静かにしているより、ああやって怒っている方がお前らしい」  孟開は目を細めて、孤星が出て行った扉の方を見る。 「久しぶりに、お前が誰かと言い合う姿を見たな」 「あれは彼がくだらないことや気に障ることをいちいち言うからであって、別に好きで言い合っているわけではありません。そもそも景引や耀天府の者達とだって、言い合いくらいはしています。孤星が特別というわけではなく……孟伯父、笑わないで下さい!」  宇晨のしどろもどろの言い訳に、孟開はくつくつと笑いを零していた。頬を赤くする宇晨に、孟開は悪かったと謝って肩を軽く叩く。 「元気が戻ったようで安心しただけだ」 「孟伯父……」 「この十年、私や林芳(リン・ファン)殿が厳しく言い過ぎたせいか、お前は自分を律することに慣れてしまったからな。近頃はあまりに大人し過ぎて、少しばかり不安に思っていたくらいだ。今ぐらいのお前が、ちょうどいいと思うぞ」  孟開は机に近づき、孤星が置いていった茶を飲み干す。そしてその足で戸口へと向かった。 「休みの日に済まなかったな。明日は夜中まで宮城にいることになるだろう。今日はしっかりと休め」 「はい」  孟開の気遣いに頷きつつ、彼を門まで見送った。大きな背が遠ざかっていく中、宇晨の心の奥底はさざ波のように揺れて小さな不安が顔を出す。  今日はゆっくり休めそうにないと宇晨は重い息を吐いた。   ***  巨大な宮城を囲む赤壁の塀の中に入るのは、十数年ぶりだ。  高い塀に囲まれた宮城には十二の門があり、その内の一つ、東にある卯門を通る。捕吏の縹色の制服を着た宇晨は、先を行く孟開の後を緊張した面持ちでついて行った。  幼い頃は門をくぐるのに、ここまで緊張したことは無かった。ただ、特別な場所に入るという優越感と期待があっただけだ。あの頃は本当に何も知らない子供だったのだと、今頃になって自覚する。  築地塀に挟まれた道を行く宇晨の傍らでは、孤星が相変わらずのすまし顔で悠然と足を進めている。彼の余裕が羨ましくもあり、頼もしくもあるのが少し腹立たしい。  宇晨は強張った鳩尾を緩めるように、何度も深呼吸する。孤星はこちらの緊張に気づいているのだろうが、何も言ってこなかった。  やがて、道の向こうに『麗景殿(れいけいでん)』と掲げられた門が見えてくる。門の前には警備の兵がいたが、中に入ると人の気配が無い。孟開が淡々と告げる。 「宴の晩から、誰も中には入っておらん」  捜査のためだと孟開は言うが、皆が中に入りたがらないのは暁宇の幽鬼を恐れているのかもしれない。  静まり返った前庭を突っ切り、建屋に入って広間に向かうと、そこはまだ宴の気配を残していた。  数段高くなった部屋の奥に皇帝の席が設けられ、その下に客人達の席が配されている。さすがに料理は片付けられていたが、広間には卓や燭台が整然と並べられたままだ。 「……その幽鬼はどこに?」 「そこの……真ん中辺りだな」  孟開は左右に並んだ卓に挟まれた、広い空間を示す。当日は、ここで踊り子が西方の舞を披露していたそうだ。  宇晨は床に屈みこんで、何か痕跡は残っていないか探すが何もない。  そもそも、幽鬼が何か跡を残すのかも分からない。孤星を見れば、片手は腰の後ろに回し、もう片方の手で扇を弄りながら卓や燭台の周りをゆったりと歩いていた。  宇晨は床に膝を付いたまま孟開に尋ねる。 「どのような状況だったのですか?」 「宴の折、李将軍が暁宇の名を出してな。暁宇の話を陛下が口にした時、急に風が吹いて灯りが消え、幽鬼が現れたのだ」 「李将軍……もしや李希文(リー・シーウェン)殿ですか? 西戎との戦で父と共に戦ったと聞いています」 「ああ、その李将軍だ。彼も暁宇と戦った時のことを話し出して……」  孟開の言葉の途中で、前庭の砂利を踏む複数の足音が聞こえてきた。
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