第三話 鬼将軍

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「……」  孤星の説明に、孟開は感心と困惑の混ざったような表情で黙り込む。  孤星の言うことには一理ある。あの場に現れた幽鬼を一人が『黎将軍だ』と言ったことで、皆はさらに暁宇の姿を想像したはずだ。姿がそれぞれ違って見えたとしても『黎暁宇』に見えただろう。そして他者が自分と同じものを見ているかどうかなど、分かるはずがない。  とはいえ、幽鬼にしろ、孤星の言う『蜃の脂』にしろ、どちらも俄かには信じがたいことである。額を押さえて唸る孟開に代わり、楊凌が口を開いた。 「では、幽鬼が現れる前に急に外が暗くなって冷たい風が吹いたのは? あの奇妙な現象も幻だったと言うのか?」 「簡単なことです、殿下。風が吹けば雲が流れ、月が隠れて暗くなるのは道理のこと。天空と地上では風の流れが違いますから、地上で風が吹く前に月が先に隠れることもありましょう。そして日が沈んで時が経つほど空気は冷え、風が冷たくなるのもこれまた道理でございます」 「……」  孤星の淀みない答えに、楊凌もまた黙ってしまう。  宇晨は狐につままれたような心持ちで孤星を見た。  間違いなく父だと思ったものは、幽鬼ではなくただの幻だった――。  今回の件が父の幽鬼のせいではないことが分かってほっとしながらも、宇晨の心はどこか落ち着かなかった。  幻とはいえ暁宇の姿を見たせいだろうか。やつれた父の姿は、つい先日宇晨が見たばかりの夢を、十年前の記憶をより鮮明に思い出させた。    その日は、灰色の重い雲が空を覆っていた。  春節が過ぎてもなお凍えるような寒さが続き、宇晨の口から吐き出された息は白く濁って風に流される。  宇晨は馬車の傍らで、今にも雪が落ちて来そうな空を見上げていた。  ふと、大きく軋む音が聞こえてくる。目をやれば、『獄』と書かれた石塀の下、重厚な門がゆっくりと開いていくのが見えた。  開いた門の間から、粗末な衣を着た男が出てくる。  宇晨の父の暁宇だ。  髪や髭は見苦しくない程度に整えられていたが、青白くこけた頬や、衣の下の細くなった肩の線が、長く辛い牢獄生活を思わせた。片足を引きずるようにして出てきた暁宇が、ゆっくりと顔を上げる。その顔を見ることができず、宇晨は思わず顔を俯けてしまった。  地面を見つめたまま動かない宇晨の代わりに、使用人の(ルー)老人と曹寧(ツァオ・ニン)が急いで「旦那様!」と暁宇に駆け寄って、その身体を支える。  ゆっくりと近づいてくる彼らに、宇晨は顔を俯けたまま、馬車の目隠し用に掛けられた帳を手で押さえる。  宇晨のすぐ側を、支えられた暁宇が通る際、わずかに動きを止めた。視線を感じたが、宇晨はそちらを見ることをしなかった。  やがて、白い息と共に暁宇が掠れた声を出す。 「宇晨」 「……」  久しぶりに聞くその声に、喉の奥から何かがせり上がってきて、宇晨は息苦しさを感じた。唇を強く噛み締めて、零れそうになるものを押さえ込む。  何も答えない宇晨に、暁宇はそれ以上何も言わずに馬車の中に乗り込んだ。その後ろで、曹寧が宇晨に気遣うように声をかける。 「若様……」 「寧姐(ニンジェ)、僕は馬を御するから、あなたが中に」 「ですが……」  曹寧は躊躇ったが、傍らの陸老人がそれを制する。 「だったら若様は、儂の隣に」  そう言って馬車の前の板を示し、宇晨に座るよう促した。陸老人に目配せされた曹寧は、表情を曇らせつつも帳を上げて中に入っていく。  宇晨は手綱を取るが、陸老人が「さすがに今の若様にさせるわけにはいきません。馬が驚いちまいますからね」と言って、宇晨の手から手綱をそっと引き抜く。その時、宇晨は自分の手がかすかに震えていることに気づいた。  陸老人は無言で、馬車を動かす。車輪がゴトゴトと音を立てて、古い骨組みが軋む。普段なら耳障りなその音は、馬車の中にいる暁宇の気配を消してくれるようで、宇晨は少しだけ心を落ち着かせることができた。
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