聴けない曲

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※こちらの作品は「君と聴いた曲」の女性目線のお話です ※タニーさん主催「#ビタ恋(ビターな大人の恋)」の企画台本として書き下ろしました ー本文ー 私に強烈な衝撃と想い出を残していった人。 何年経った今でも、ずっとずっと忘れられない人。 それは私が通っていたギター教室の先生だ。 私より6歳年上の随分と若い男の先生だった。 少人数制のグループレッスンで、人見知りの私はとても緊張していた。 だが先生はとても気さくな人だった。 私は先生の人柄のおかげか直ぐにレッスンに通うことにした。 仲良くなるきっかけは、先生に突然誘われた送別会だった。 送別会と言っても、先生と私と卒業する小学生のたった3人だけだった。 いつもの私なら何かと理由をつけて断るはずなのだが、その時は何故か断ろうとは思わなかった。 レッスン終わりに近くのファミレスで、 送別会が始まった。 私とその生徒さんとは初対面だったが、先生とのやり取りが面白くて、あっという間に時間が過ぎた。 私はふと思った 「あれ? 人と長時間いたのに、全然疲れてない…」 私は親友とでさえ長時間一緒にいると疲れてしまうタチなのだ。 なのにそれがない。なぜだろう? 初めて経験した不思議な感覚……… この感覚が一体なんなのかを探すうちに、私の頭の中は先生の事でいっぱいになっていった。 月曜日。 今週もこの日がやって来た。 教室のあるショッピングモールに早めに到着し、自分の気持ちを整える。 「先生ってどんな顔してたっけ?」 フードコートの席に座り、目を閉じて懸命に記憶を辿る。 一週間前に会ったはずなのに、顔がはっきりと思い出せない。 「あー、まただ……」 私は長い夢を見ているのだろうか? ようやく先生の顔がぼんやりと浮かび上がる。 すると私の心臓がハッと踊りだす。 そしてレッスンの時間が近づくにつれて、私の鼓動が更に早くなる。 「(深呼吸して)そろそろ行こ」 エスカレーターで教室のある階に上がる。 途中にある外国のおしゃれな雑貨店の香りが、『 先週、先々週の記憶』を呼び起こす。 教室のある楽器店に到着し、店内を通って、一番奥の部屋を目指す。 教室の防音ガラスの扉から中をチラりと覗くと、先生と目が合った。 「あ~、そうそう、こんな顔だった!」 私はここでようやく先生の顔を思い出し、自分の顔が一気に熱くなるのを感じる。 先生 :「こんばんは、中入って待ってて」 私 : 「は、はい」 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 先生 : 「今日はここまでにしとこうかな。来週はいよいよギターソロの所だね。」 私 : 「あ〜遂にですね…。しっかり練習して来ます!ありがとうございました。」 (レッスンが終わる) 「今日のレッスンもあっという間に終わっちゃった。また会えるのは一週間後か…」 好きな人といる時間なんて、本当に一瞬だ。 楽しくて幸せな時間を過ごせた事を噛みしめながら、帰りのバス停へと向かう。 「今日こそは顔を忘れないように!」と自分の脳内に言い聞かせながら。 するとバスを待つ私の目の前に一台の車が止まった。 「乗ってく?駅まで送るよ」 声をかけてきたのは先生だった。 初めて乗る先生の車。 後部座席にはレッスンで使うギターの他に機材が積んであった。 助手席に乗せてもらった私は、間近で見る彼の横顔や運転しながら不意にこちらを向く彼の顔にどこを見たら良いのか分からなくなってしまった。 私は思わず自分のギターケースをギュッと抱きしめる。 そんな私の内心などつゆ知らず、先生はレッスンの時と変わらず、明るく話しかける。 彼の気さくな性格は次第に私の心を落ち着かせてくれた。 会話が途切れ、静まりかえる時間も気まずいなんて思わなくなった。 こうして私達の仲は急速に深まっていった。 私は数え切れないくらい、彼の車に乗せてもらった。 いつしか街中(まちなか)で彼の車を無意識に探してしまう程に……。 レッスン終わりにそのまま二人でご飯を食べに行く。 時には先生がサポートギターとして出演するライブに関係者として観に行く事もあった。 先生 :「あそこの店、結構美味しかったね」 私 :  「お店の雰囲気も良かったですね。今度はテラス席に座ってみたいな」 閉店時間が迫る店を後にして、数台しか停まっていない駐車場へと戻る私達。 澄んだ冬の寒空の中、クラシカルなオレンジ色の街灯と下からライトアップされた青い光はいつまでも眺めていたくなる程美しかった。 すっかり冷えた車内でヒーターが効いてくるのを待つ。 「ねぇ、この曲良くない?」 彼はカーステレオのCDを取り替え、私に聞かせてくれた。 「最近デビューアルバムが発売されたんだよね」と私に教えてくれた。 そのジャケットは駐車場に設置されたライトと同じ深い青色をしていた。 「こういうのも好きなんですね」 ブルースジャズなんて『 大人の音楽 』位にしか思っていなかったが、先生が好きなら……と後日、私は背伸びをしてCDを買いに行った。 先生と過ごす時間が楽しくて、一緒に居ると居心地が良くて、私は先生に気持ちを確かめたくなった。 付き合うとかそういう事を望んでる訳ではなくて、単に私の事をどう思ってるのか知りたかったのだ。 ある日、話したい事があると彼を呼び出した。 「私……先生の事が好きなんです。    先生は私の事、どう思ってますか?」 答えはノーだった…… 最初は私の事を好意的に見ていたが、 今は誰とも付き合うつもりはないと言われてしまった。 私は必死で自分の気持ちを伝えた。 「俺はさ、早く30歳になりたいんだ。30代になればイイ感じに脂が乗って、自分の音楽性や表現力に幅が出る。だから俺は今、自分に集中しないといけないんだ…」 私は頭が真っ白になった。 私は自分が振られたという事にさえ、理解が出来なかったし、認めたくなかった。 次のレッスンで私は先生に手紙を渡した。 内容は好きという気持ちは、やはり止められないと言うものだった。 私は自分の事で精一杯だった。 その後、何回かレッスンに行ったが先生は私に距離を置いて接するようになった。 もう元には戻らないんだと私は理解し、長年の夢を口実にレッスンを辞めた。 先生が好きだと言って聞かせてくれた曲を聴きながら、彼の事を想う毎日が続いた。 忘れるなんて出来そうにない…… 今はただ心のままに先生との想い出に浸っては、涙を流し、ボーッと物思いにふけっていたかった。 何日間も泣き腫らし、私は次第にあの曲が聴けなくなっていった。 あの曲にはキラキラした想い出と薄暗いモヤがかかった様な悲しい想い出があり、今は悲しい想い出の方が勝ってしまうからだ。 先生と別れてから数ヶ月後、私は偶然、 彼が出演するライブがある事を知った。 一目だけでイイ…… もうこれで最後にしようと密かにライブに行くことにした。 開演時間ギリギリに行ってダメそうなら、すぐ帰ればいい………そんな気持ちでライブハウスに入った。 バーカウンターの端の方に立ち、私はとにかく目立たないようにうつむきながら、ライブが始まるのを待った。 会場が暗くなり、いよいよ始まる…… 先生がステージに現れた。 このライブは仕事というより、仲間のミュージシャン達が集まってセッションする様なものだった。 だから、演奏する曲も先生が好きなジャンルのものだった。 (演奏が流れ、ハッとする) そこには私の知らない先生の姿があった。 今まで何度かサポートギターとしての姿を見た事はあった。 しかしそれは仕事としての彼の姿だった。 だから、本当に好きなジャンルの曲を演奏している先生の姿を観るのは初めてだった。 今まで見た事のない生き生きとした表情… そして、私は「ああ…これが先生の生きる道なんだ……」と理解し、アンコール前で会場をあとにした。 帰り道、私の心は妙にスッキリしていた。 先生の事はまだ大好きだし、忘れるなんて出来ないし、もう会えないのは悲しい。 けれど、先生には先生の夢があって、保証のない音楽の世界で不安と闘いながら生きているのだと思うと、心から頑張ってほしいと思った。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 数年後…… 私は友人の付き添いで彼女が好きだというライブを観に行った。 「楽しかった、また誘ってよ」と言いながら、ライブハウスの外に出ると、そこには見覚えのある車が停まっていた。 「ちょっと待って………」 私の心臓は急に早くなり、手足が震えた。 恐る恐る、車のナンバーを確認する。 「そんな………    なんで………    なんでよりによって……」 それは先生の車のナンバーだった。 全ての事情を知る友人は「大丈夫……?」 と心配そうに声をかけてくれた。 驚きのあまり震える私を見て、 「と、とにかく駅の方に向かおう……」と友人は言った。 大勢の人達が行き交う雑踏の中、駅に向かう坂道を歩きながら、私の目は先生の姿を必死に探していた。 友人が気を使って別の話をしてくれたが、それどころではなかった。 もし先生と鉢合わせしてしまったら、私はどうすればいいのだろうか? 声をかけるのか? それとも見ないフリをするのか? 最善策が思い浮かばなかった。 すると向かい側から一人、スマホを操作しながら歩いてくる男性が目に入った。 幸か不幸か、それはまぎれもなく先生だった。 私はとっさに下を向き、彼に気づかれないように人混みに紛れた。 彼は私に気づかないまま私の真横を通り過ぎた。 私は正直ホッとした。 気づかれなくて良かったと……。 帰りの電車の中で私はさっきの出来事を反芻していた。 「こんな事って本当にあるんだ」 同じ日、同じ時刻に、同じ場所ですれ違う。 こんな偶然は奇跡に近いだろう。 だが間違いなく私と先生との間には何かがあって、こうしてすれ違った事にも何か意味があるのだろう。 名前の分からない繋がりがある。 そう思うと私は嬉しくなった。 先生、 恋人やパートナーじゃなくてもいい…… 兄弟や友達でもいい…… また先生と生徒でもいい……… 来世でまた私と会ってくれますか………? 私、先生に言いたい事があるんです。 あなたに出会えて良かった。 ーENDー
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