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三和子は静かに当時の事を話し始めた
「夫婦なんてのは、元々他人同士だからね。
ボタンの掛け違いなんてよくあることさ、それを、どうにか、こうにか乗り越えていくもんなんだ。
でもね、あの頃お前の父さん俊祐は忙しすぎた、ホテルの経営を始めたばかりでね……
共同経営者の、マキコさんとの仲が、噂になって……
噂する方は、身勝手なものだからね、真実ではなかったと、思うがね……
夫婦で話す時間なんて、ロクになかったんじゃないかね、誤解をとく時間なんて、まるでなかったと思うよ。
でも…… 待っているだけなんて方は、不安で仕方ないもんさ、不安で……枚も後ろも、わからなくなるほどにね、みずえさんの不安は、もう抱えきれなかったんだろうよ」
三和子は、言葉を切って、手のひらを額に当て、軽く頭を振った。
三和子は、顔をあげると、圭佑の目をじっと見た。
「…… 足羽川蒼それが、そのピアニストの名前だよ。
最初は、圭佑にピアノを教えにきていたんだ、心優しい音楽家。
二人の間に、なにが起こったかは分からない。
でも、ある日…みずえさんが俊祐に言ったんだよ『離婚してほしい』って、
『お腹に好きな人の子供がいる』ってね。
みずえさんは、圭佑を一緒に、連れていくつもりだったんだ。
でも、俊祐は、絶対にそれだけは許さないと言ってね……
離婚の条件は、圭佑を置いていくことと、次の結婚記念日が来る前に、この町を出ていくことだったんだ。
みずえさんは、何度も話し合おうとしたんだが、俊祐は耳を貸そうともしなかった。
ショックだったんだろうね、信じていたから。
どんどん時間が無くなってね、ある日、みずえさんは、この町を出て行ったんだ、お腹も大きくなってきて、少しの猶予も無かった時期さ。
あの時、みずえさんは圭佑を連れて行こうとしていたのに、どうして駅に置き去りになんてしたのか…」
三和子は、ふっと遠くを見ながら言った。
「俺が、俺が言ったんだ、この町を出たくないって、ここで待っているって」
圭佑がポツリと言った。
あの駅の柱時計の記憶。
音の無い世界で聞こえた、母との最期の会話。
「…… そうかい、そうだったのかい」
三和子は両手で顔を覆い。
圭佑は、無言でうつむいた。
そして、真言が圭佑の手を、そっとひきよせて、両手で包んだ。
「あとは、任せるよ」
二人の様子を見ていた、三和子が、真言の肩をたたいて、店を出て行った。
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