ハートビート

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ハートビート

「ただいま、圭佑さん」 西沢時計店の扉を開けて、元気よく真言が帰ってきた。  店内に、もう客の姿はなく、圭佑はただ、真言が帰って来るのを、待っていた。 「えっと、じゃあ、ウチに移動しようか、夕食の下準備してあるんだ」 真言が、東京に仕事に行く前に約束した通り、今日は、夕食を一緒に食べる約束をしている。 「やったぁ」 真言は、無邪気に喜んだ。  圭佑は手早く、カフェスペースを片付けて、エプロンを外した。 「あっ、時計動いてる」 真言はあの、駅の柱時計を見ていた。  時計の銀の振り子は磨かれ、輝きを取り戻し、左右にゆっくり揺れて、長針がカチャリと動いた。 「うん、今日治ったんだ」 「圭佑さんはすごいなぁ…なんか感動」 真言はキラキラした目で、飽きることなく、時計を、眺めていた。 あの、ちいさな女の子と同じ目だ。  二人は、ゆっくりと歩いて、圭佑のマンションに、移動した。 下ごしらえをしていた、圭佑のおかげで、あっという間に食事の準備が整った。 鍋を挟んで、ビールで乾杯した 「うまそー」 取り分けてもらったそれを、真言は、おいしそうに食べ始めた。 「うまい、見た目通り、本当に圭佑さんは、料理上すだなぁ、はぁ、幸せ♡」 真言は、満面の笑みと、賞賛の言葉を、幾つも並べた。 「よかった」 ビールを継いだり、鍋の具を足したり、甲斐甲斐しく世話を焼きながら 何気なさを装い、圭佑は話し出した。 「あのさ…。木乃さんにあったよ」 「え?木乃?」 「そう『マコトセンセ』って呼んでいた」 「あぁ、モデルの子たち、俺の事からかって、よくそうよぶんだ」 「…… 『マコトセンセが好き』だって」 圭佑は、真言を見ることができずに、ぐつぐつと煮える、鍋の中をじっと見つめていた。  真言は少し困って、ビールを飲んだ 「俺、好きな人がいるから、木乃の気持ちには答えられない、木乃にもそう伝えてある」  真言は、圭佑の視線をとらえるために、のぞき込んだ。 「ダメだった?」 「ううん、木乃さんすごい勢いで、びっくりした」 「ごめんね、何か言われたの?」 「ううん、それでさ気が付いたんだけど。 俺たち、お互いの事まだよく知らないよね。 例えば、もうすぐ町役場の仕事が終わるとか…… 」 「あぁ、それは…」 真言は箸をおいて、圭佑の右隣に座りなおし、圭佑の手をとって、左手にしている時計に重ねた。 「俺が、この仕事を受けた理由は、知ってる?」 「…… 事務所の情報漏洩のこと?」 それは、圭佑が、真言の腕時計から、聞いてしまった事なので、少し言いづらそうに、チラリと目を見ながら言った。 「そう、やっぱり知ってたんだ…」 真言は頷いて、少し大きく息を吐いた。 「あの時…やけになって、捨て鉢に『スタジオ辞めます』って言て 逃げるみたいに、こっちに来たんだ。 でも…圭佑さんに会えて。 今日だって、俺の事おぼえていて、わざわざ声かけてもらったりしてさ …… 逃げ出した卑怯者なのに、いい事ばっかり」 真言は、手に持っていた、ビールの缶を、くるりとまわした。 「俺、もう逃げられないでしょ、圭佑さんにふさわしい人間になりたい。 圭佑さん、辛い事でも戦っていた、俺も、そうなりたい。 ……だから、東京でもう少し頑張ってみようと思うんだ」 真言は、圭佑を真っ直ぐ見つめて話した、強い視線に捉えられて、圭佑は逸らす事さえできなかった。  真言の腕時計も、真言が話終えるまで、記憶を見せずに沈黙していた。 あぁ、そうか…時計よりも、心を捉えるモノがある時、時計は沈黙するんだ。 「…うん、わかった、いいと思う」 圭佑は時計から手を離して頷いた。 「でも、休みのたびに帰ってくる、圭佑さんに会いに来る」 真言は、離れて行った圭佑の手を摑まえ直して、そう言った。 圭佑は、ただ頷いた。 「あぁ、緊張した…… 『じゃあ、終わり』って言われたらどうしようかと思った。 圭佑さん、俺の恋人だからね、忘れちゃだめだよ」 真言は、人差し指をピッと立てて、自分の米神に当てて見せた。 「それさ…… 言いそびれてるんだけど」 「え?」 真言の顔色がすっと変わった、『恋人』ではないと否定されるのか? 「あっ、違う、違うよ、そうじゃなくて…… 俺、入試の時の真言君の事忘れてないよ。 真言君に時計をあげて、学校をやめてからも、忘れてないよ。 大事な時計だもん、誰にでもあげられるわけじゃないよ 君だから、あげたんだよ、君の記憶に残りたかったんだ。」 圭佑は真言の様子を窺うように、ちらりと見た、可愛らしいその仕草に、また目がはなせなくなった。  だから、余計に言葉の意味を理解できない…… 「へ?」 「だからね…… 俺の方が、先に好きだったよ、一目ぼれ」  真言はたっぷり十分間は、圭佑をみつめたまま身動きが取れなかった 「いや、まさか…… だって、あの時、時計店に、挨拶に行った時も、何も覚えていないみたいだった」 「あの時、びっくりした、夢かと思った」 「圭佑さん、びっくりしてなかったよ」 「びっくりしてたよ、幻覚が見えちゃったかと思った、真言君の事見られないくらい、動揺してたの」 「……俺、ガン見しちゃった」 2人は顔を見合わせて笑い出した。 「なんだよもう」 「本当だって」 真言が、不意にまじめな顔で圭佑の頬に手を添えた、二人は自然にキスをした 「しょうがない、信じてあげる」  圭佑の腕にある、赤い時計が、カチコチとハートビートを動かしていた。
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