タグホイヤー

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 ーー5年前ーー  真言は、大学入試当日、広いキャンパスで迷ってしまった。 試験開始時刻1分前に、ようやく受付にたどり着いた。  受付にいたのは、入試の手伝いをしていた学生、圭佑だった。  泣きそうな、情けない顔の、真言と一緒に、圭佑は、試験会場まで走ってくれた。 が… 試験会場にたどり着く前に、試験開始時間になってしまった。  青い顔で立ち尽くす、真言の隣で、圭佑が試験管に掛け合ってくれた。 他の生徒の、迷惑にならないように、別教室で、入試が受けられることになった。  慌てて、別教室まで走り、試験時間を確認しようと、時計を探したが見つからなかった。 あたふたしていると、圭佑が自分の時計をはずして、真言に渡した。 「コレ使って。 いいかい、落ち着いていつも通りでいいんだ 大丈夫だよ。 春に、君と会えるの楽しみにしてるね」 そう言って、背中をおして、教室におくりだしてくれた。  もうだめだと思ったのに、試験会場まで一緒に走ってくれて、自分の時計を貸してくれた上に、励ましの言葉までくれる。  神だ、神様に会ったんだ…… とても美しい神様だった。  真言は、椅子に座ると深呼吸をした。 背中を押してくれた、あの手の温かさを思い出す、気合を入れて試験に取り組む。    試験は、まずまずうまくいった。 試験を終えて、時計を返そうと受付に急いだ。  でも、受付はすでに片付けられていた。  あわてて、周辺で彼を探したが、どうしても彼を見つけられなかった。 どうしても、彼に会ってお礼が言いたい。    もう一度彼に会いたかった。  春、真言はめでたく大学に合格した。 学部はちがったが、彼のことはすぐにわかった。  大学内で彼は噂の的だった 『モデルのような、スタイルのイケメン』  物腰柔らかく、気さく、男女問わずいつもたくさんの仲間に、囲まれていた。  気遅れした真言は、何となく近づけずにいた。  春が過ぎて、真夏のさなか、応募した写真展で、新人賞をもらうことができた。 それで少し勇気が出て、圭佑に話しかけた。 「あの…西沢さん、 俺、入試の時にお世話になった、園辺真言といいます。 時計をずっと借りたままにしてしまって、 すみません」 時計を差し出して、頭を下げた。 「あッ君、合格したんだね、おめでとう、よかった」 圭佑のさわやかな笑顔に、思わず見とれてしまった。 「俺、実は今日が、最後の登校日なんだ…家の都合でね…。 単位は取れているから、あとは卒論だけ提出すれば、卒業させてもらえることになったんだ。   俺、時計屋になるんだ。 これからは自分の店の時計しか、できないか それは君にあげる、よかったら使ってくれないかな」 「えっ でも…」 「大学生活、楽しんで」 そう言って初秋のその日、圭佑は学校を去っていった。  真言は時計を見るたびに、キャンパスで、彼を見かけた場所に来るたびに、彼を思い出した。 なぜもっと早く、話しかけなかったのだろう…。 これが『恋だ』…… と気づいても、もう彼につながる手がかりは、何も無かった。  あれから五年…。 驚くような偶然で、圭佑と再会した。 もう一度彼に会えたら、今度こそ絶対伝えようと思っていた …… 後悔はもうしない。  言葉には力がある。 言った人にも、聞いた人にも、何らかの変化をもたらす。 だから、心無い言葉を、決して発してはならぬ。  子供のころから、寺の住職である父に言われ続けてきた。 だから、言葉には心を込めて、思いを尽くして話す。 「あの日から…… 圭佑さんに助けてもらったあの日から、ずっと、貴方のことが好きです、俺を記憶してください」  圭佑は驚いた顔をして、じっと真言を見ていた。 真言はいたたまれなくなって、静かに立ち上がった。 「びっくりしますよね、すみません。 次に、もし会えたら。 絶対伝えようと、思ってたんです。 でも、圭佑さんからしたら、いきなり、なに言ってんだろうって、感じですよね…… でも、少しだけ俺のこと、考えてみてもらえませんか。 答えが欲しいんです。 次に進むために……」 真言は、圭佑を直視できずに、床を見つめた。 「勝手でごめんなさい。 …… 今日は帰ります、この服洗ってお返しします …… その時言ってください、『嫌だ』って そしたら、消えます」  真言は、カメラを抱えて、部屋を出て行った。  慌てて立ち上がった圭佑は、扉が閉まる音を聞くと、倒れるようにソファーに座った。  真言の顔を思い出して、指の先が震えた。 胸の奥が、ジンと痺れた。  そして、恐る恐る真言の時計に触った。 真言の圭佑への思いが、うるさいほどに伝わってくる。 どんな時も、圭佑を探して見つめる真言の横顔。 「あー、もう…… 」 圭佑は頭を抱えた、時計から伝わるイメージは 決して嫌なものではなく。 心を包んで優しくなでた。  もう少し、見ていたくなった。 そっと触ると、また、雄弁に語りだした。  真言のことを、目の敵にしている先輩に、濡れ衣をきせられ、職場をやめることになった事。    真言を慕う、綺麗なモデルの事。  切なそうに目を伏せ、時計をみつめる真言。  左手で口元を抑える癖。  何度も呼ばれる「西沢先輩」という言葉…。 頬が熱くて、時計から手をはなした。
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