プロローグ

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「すぐに協会長室に来い」  昨日の日誌に目を通してし、一服でもしようかと思った時に電話が鳴った。電話に出た途端に協会長の声が耳をつんざいた。  電話の声からして、少しでも待たせたら、厄介だと思い慌てて準備をし、今、協会長室のドアの前に立っている。息をととのえ、なぜ、急に呼び出されたのかを考えた。  ここに到着するまで、あれこれ考え続けたが、結局、北の神の件以外に思い浮かぶものはなかった。  たぶん、北の神が人間の寿命を全うするまで神様には戻らないといった件で、協会長の考えを私に伝えるつもりなんだろう。  私と北の神になんらかの処分をするつもりかもしれない。北の神は神様の記憶と神の力を取られ、そのまま人間にされてしまうかもしれない。私はどうなるのか。追放されるかもしれないと思うと鉛を飲み込んだような重い気分になった。電話での協会長の激しい声が、今でも耳に響いている。  あの声から想像できることは恐ろしい。あれこれ考えても結果は変わらない。もう何も考えないでおこう。覚悟を決めて汗を握る拳でドアをノックした。ノックの音までが震えていた。 「どうぞ」  協会長の声が中から聞こえた。電話の声とは違い、比較的軽く機嫌の良さそうな声だった。しかし、油断は出来ない。なんと言っても相手は協会長なのだ。  深呼吸し気を引き締めて、ゆっくりとドアを開け、中を覗いた。協会長はソファに座ったまま腕を組み、目を閉じていた。眉間に深い皺が二本走っているのが、この位置からでもわかる。 「お待たせして申し訳ございません」  中に入り直立不動でそう言った。口の中がカラカラに乾いていた。  協会長はしばらく、目を閉じたまま大仏のように動かず、言葉を発しなかった。私はどうしていいかわからず、そのまま立っているしかなかった。  微動だにしない協会長をしばらく見つめていると、ハ虫類が冬眠からさめた時のように、ギョロっと目を開けた。小さい黒目を左右に動かしてから、私に焦点を合わせた。 「そこへ座れ」  協会長がソファを顎でさした。 「あっ、はい、失礼いたします」  私は、ソファの端に腰をおろしたが、尻が落ち着かなかった。協会長は腕を組んだまま、また目を閉じた。 「呼ばれた理由はわかるか?」  協会長は目を閉じたまま言った。 「北の神の件でございましょうか」 「そうだ」  協会長は間髪いれずに言った。 「申し訳ございません」  私はソファからおり、床に正座し額を床に押しつけた。 「奴は、神様には戻りたくないと言ってるんだな」 「いえ、戻りたくないというか、今すぐには、戻れないと言っております」 「そんなことは、わしからすれば同じことだ」 「私の教育不足のせいで申し訳ございません」 「まあ、いい。それより、お前にいい話がある」 「な、なんでしょう?」  いい話といっても、聞くのが恐かった。とんでもないことを言ってくるのではないか。 「まあ、そんなとこに座らず、ソファに座れ。話しづらい」 「は、はい」  私は立ち上がり、ズボンの汚れをはたいてから、またソファの端に腰を落とした。 「お前は、北の神が野々神社に戻ってくるのを望んでいるんだな」 「はい。確かに戻ってきてくれれば、ありがたいとは思っていました」 「だが、北の神は、すぐに戻ろうとはしなかったわけだ」 「そ、そうです。申し訳ございません」 「そこでだ」  協会長が私に向けて人差し指を立てた。ギョロリとした目をこっちに向け、口元を綻ばせた。 「は、はい」 「お前の為に、北の神がすぐに野々神社に戻れるように準備を整えておいた」 「そ、そうなんですか」 「お前の為に、北の神の人間としての寿命を三十年にするように計画をすすめておいた」 『お前の為に』を強調するのが、不気味でしかなかった。 「私の為に、ですか?」 「そう、お前の為に、だ」  協会長が、キュッと口角を上げた。 「北の神本人は人間の寿命を全うすると言っておりましたが」 「大丈夫だ。わしの計画通りにいけば北の神は三十歳で人間としては、死ぬことになる」 「三十歳ですか? それなら、もうすぐではないですか」 「そうだ。あいつをすぐに神様に戻す。そして、野々神社で活躍してもらう。これはすべてお前の為に、わしがすすめた計画だ」  協会長が私の顔をじっと見てきた。 「北の神の人間としての百八歳までの寿命はどうなるのでしょうか?」 「あいつの寿命は、死神に依頼して三十年で切ってもらうことにした。あとのことは死神に任せておけばいい」 「死神、ですか?」 「ああ」  協会長が俯いて言った。 「死神が、北の神の人間としての寿命を切るわけですか」  私はビックリして声が大きくなった。 「声が大きい、それに何度も言うな」  協会長の声の方が大きかった。 「死神なんて恐ろしすぎます」  私は声のトーンを落として言った。 「確かに、死神は恐ろしい奴だな。わしも死神と話して背筋が凍りついたよ。しかし、これはお前の為だと思って、わしは死神に依頼したんだからな。そのことを忘れるな」 「私の為、ですか」 「そうだ。だからお前もこの件に関しては覚悟を決めてもらわなければならない」 「覚悟をですか?」  生唾を呑んだ。 「そうだ。死神はすでに北の神の人間としての寿命を切るために計画を進めている。人間としての三十歳の誕生日の午後七時四十四分四十四秒に、北の神は車で帰宅途中、R交差点に入ったところで居眠り運転のトラックと衝突して即死してしまう予定だ」 「うっ、そ、そこまでして……」  私は、北の神を神様協会に戻す必要があるのか、と続けて言いたかったが、自分の為に協会長が死神に依頼してくれたことなのだ。自分が言えた義理ではないと言葉を呑み込んだ。  死神が動き出すと、簡単に止めることは出来ないはずだ。北の神をもう少し人間のままにしておいてあげたい気持ちもあるが、死神を止めるためには、自分の今持っている神の力を全て使い切っても無理だろう。  もし、できたとしても自分の神の力が無くなってしまい神様を続けることはできないだろう。そして間違いなく協会長は怒り狂い、自分を協会から放り出してしまうだろう。そうなったら、自分は完全に終わってしまう。  神様に戻れることを話しにいった時、人間のままでいたいと言った幸せそうな北の神の表情が頭から離れない。人間として幸せに暮らしている様子が手に取るようにわかった。  結婚してもうすぐ子供ができると言っていた。  両親に恩返しすると言っていた。  病気で苦しむ患者を助けたいと言っていた。  それらすべてが終わってしまう。  北の神の人間としての寿命の百八歳まで全うさせてあげたいとは思うが、協会長に背いてまで、それをする勇気も力も私には無かった。  心の中で北の神に詫びるしかない。北の神には、心残りかもしれないが、人間としては三十歳で死んでもらうしかない。  自分ができることは、北の神が野々神社の神様として戻ってきてから、彼を慰めてやることくらいしかないだろう。  神様は万能だ。北の神が神様に戻ってから、心残りであろう彼の家族や患者を神様の力で幸せにしてあげればいい。そう声をかけてあげることにしよう。 「何を考えている?」  協会長の声で顔を上げた。 「いえ、何も」 「ボーッとしてたじゃないか」 「少し驚いていただけです」 「今回の件は、何度も言うが、お前の為にやったことだ。わしは道筋をつけただけで、すすめたのはお前自身だ。そのことを忘れないでくれ。だから、わしはこの件は知らなかったことにする。今後、わしはノータッチだ。お前の独断ですすめたことだ。それでいいな」 「えっ、あっ、はい」 「よし、それでは、今から、お前に死神の計画について話しておく。口外は厳禁だ。全てお前の胸にしまっておけ。そして、全てお前の責任だ」  その後、協会長から北の神を神様に戻すため、三十歳で寿命を切る計画を聞かされて恐ろしくて苦しくなった。この件を自分だけで抱え込むことに耐えられるだろうか。私は重い足どりで協会長室をあとにした。
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