プロローグ

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 僕は、地元の人しか訪れないような、小さな野々神社という所で研修を受けている神様だ。  正確に言うと、研修の身なので、まだ神様ではないのだけれど、一応、みんなからは見習い中の神様ということで、『習の神』と呼ばれている。早く本当の神様になれるよう、この神社で頑張っていろいろと学ばなければならない。  研修期間は三十年の予定だ。研修が終わってから、神様協会のテストが受けられる。それに合格すると、晴れて神様協会所属の本当の神様になれる。  研修期間が三十年と聞くと、人間たちはビックリすると思う。三十年も研修して、一人前になったらすぐに定年じゃないかと思うかもしれない。  でも、神様の世界の三十年は、人間界の三年位のものなので、ビックリするほど長いわけではない。いや、けど、研修を受ける身からすると、やっぱり長い。  研修生は、先輩の誰よりも早く神社に姿を見せなければならないし、帰るのは、先輩たちが帰ってから、後片付けをして一番最後に神社を後にしなければならない。これが三十年も続くと思うと、さすがに長くてうんざりする時もある。  神様には人間のように定年がないので、自分からやめると言わない限りずっと続けることができる。  いや、違った。ずっと続けられない場合もあるのだ。それは神様協会から追放される神様もいるみたいなので、そうなると神様協会所属の神様を続けたくても、続けられなくなる。神様協会の会長に背いて追放された神様もたくさんいると聞いたことがある。せっかく三十年間の長い研修を受けて神様協会所属の神様になれたのに、会長に背いて追放されるなんてもったいない話だ。僕は絶対にそんなバカな真似はしない。  そろそろ先輩たちが、境内に姿を見せるころなので、僕といっしょにここの野々神社で働く先輩たち三人を紹介しておこう。  まず、この野々神社の責任者が野々神という神様だ。すごく優しい神様だけど、人間界と同じように神様協会本部と現場との板挟みになっている典型的な中間管理職タイプだ。だから、野々神はいつも胃薬を持ち歩いているらしい。  神様協会の会長の機嫌を窺いながら、部下の神様に気を配り、神社をきりもりするのは、見てて大変な仕事なんだなと思う。僕は早く一人前の神様になって、少しでも野々神の役に立てるようになりたいなと思っている。  次に北地区を担当するのが北の神だ。神様協会に入ってちょうど百年になるそうだ。さっきも話したけど、百年と言っても神様の世界と人間界では時間の感覚が違う。神様の世界の百年は、人間界の十年くらいのものだから、北の神は、まだまだ若手の神様になる。  北の神は若手の神様だが、真面目で成績優秀、人間の幸福度を上げる能力に長けていて、そのための努力も惜しまない。曲がったことが嫌いみたいで、神様協会のやり方に対して、たまに不満をぶつけることもあるようだ。神様協会のやり方に何が不満なのか、僕にはそのあたりのことは、まだよくわからない。  北の神は、僕にすごく優しく接してくれ、いろいろと的確なアドバイスをしてくれる。僕にとっては、頼りになる先輩だ。  最後に、南地区を担当するのが南の神だ。南の神はベテランの神様で、上司の野々神より神様としての経験年数は長いらしい。しかし人間の幸福度を上げることに冷めてしまっているようで、熱心に働こうとはしない。  南の神は、人間の幸福度を上げたところで、自分達には何の見返りもないのだと、毎日のように愚痴をこぼしている。全くやる気を感じない。  南の神は野々神の部下だけど、南の神の方が先輩なので、野々神は何かとやりにくそうにしている。僕は、わがままでやる気のない南の神のことが好きにはなれない。 「北の神、今から習の神の神様認定テストの申し込みに協会本部に行ってくるから、留守を頼むな」  野々神が一番頼りにしている北の神に声をかけた。 「はい。野々神、お気をつけて。今日のお帰りは?」 「そうだな、今日は直帰にするわ。後は頼むな」 「わかりました」 「習の神、これ持って行くからな」  野々神が僕に向けて、神様認定テストの推薦状と申込み用紙をヒラヒラと揺らして見せた。 「野々神、ありがとうございます。お手数おかけしますが、よろしくお願いします」  僕は背筋をピンと伸ばし、野々神に向けて深々と頭を下げた。 「そのかわり、これからしっかり勉強して認定テストは一発合格してくれよな」  野々神は僕の肩をポンポンと叩いて笑みをくれた。野々神のためにも、これから頑張らなければならない。 「はい、自分は、絶対に合格してみせます」  白い息とともに声を張り上げて返事をした。 「今日も参拝者は少ないな。眠くなってきたわ」  野々神が出ていった後、ずっと床に横たわっていた南の神がむっくりと起き上がりあぐらをかいて境内を見渡していた。  南の神は伸びをして大きなあくびをし、また床に大の字に寝転がった。本殿の床の冷たさが気持ちいいのか、床に貼り付いたように仰向けに体を預け、そのまま目を閉じていた。  僕はその姿を見てイライラした。こんな奴が神様の認定テストに合格しているのかと思うと腹が立つ。こんなやる気のない奴は神様協会から追放されればいいんだ。 「今日は天気が悪いですからね。暇すぎて体がなまってしまいそうです。南の神も体を動かしておいた方がいいですよ」  北の神は今にも降りだしそうな鈍色の空を見上げてから、立ち上がって腕を前に伸ばしたり、アキレス腱を伸ばしたりとストレッチを始めた。  北の神は朝一番に必ずストレッチをする。最近は僕も北の神に倣ってストレッチするようにしている。それをすることで、気持ちが引き締まり、今日一日頑張ろうという気持ちになれる。  南の神からは北の神の言葉に対する返事は聞こえてこない。その代わりに大きなイビキが聞こえてきた。  北の神は床にへばりつきイビキする南の神に、視線を落として苦笑いを浮かべていた。  南の神は、大きな口を開けて床によだれを垂らしている。  僕は腹が立って、叩き起こしてやるつもりで、南の神に近づこうとすると、北の神がポンポンと僕の肩を叩いて、「放っておこう」と言った。 「は、はい」  僕は、グッと堪えて北の神に聞こえぬように舌打ちをした。 「ところで習の神のテストはいつになりそうなんだ?」  北の神が僕に訊いてきた。 「野々神が今日、認定テストの申込み用紙を協会に提出してくれますから、うまくいけば三十年後だと聞いています」 「三十年後か。じゃあ、気合い入れないといけないな。習の神が担当する研修地区の数字が今のままだと合格は厳しいぞ」 「やっぱりそうですよね。野々神から認定テストに合格するには、自分が担当する研修地区の幸福度を六十以上にしないといけないと言われてますが、まだ五十を行ったり来たりしてますから」 「そうだな、神様協会のテストに合格するには、まず研修中に担当した地区の人間界の幸福度が六十は必須だ。そこをクリアしないと実技テストとペーパーテストを受ける前にアウトになるかもしれない」 「そうですよね」僕は不安になった。 「まっ、でもこれからだ。まだまだ数字は上げられるよ。だから今日も気合い入れて頑張りますか」  北の神がポンポンと僕の肩を叩いて勇気づけてくれた。北の神のこういうところが好きだ。 「はい、これからもっと気合い入れて頑張ります」 「わからないことがあったり困ったことがあったら、遠慮なく何でも訊いてくれ。俺にできることはなんでも協力するよ」  北の神が優しく笑みをくれた。先輩の鏡のような神様だなと思った。 「ありがとうございます。頼りになるのは北の神だけです」  僕はそう言って、大の字になって居眠りする南の神に視線を落とした。北の神も続けて南の神に視線を落とした。 「本当は、大ベテランなんだから南の神が習の神にいろいろと教えてくれればいいんだけどね」  北の神が両手を上げてお手上げのポーズをとって見せた。 「僕は南の神からは、何も教わりたくありせん。どうせサボる方法とかばかり教えてくるだけで、タメになりそうもないですから」 「そうかな。でも、南の神は本当は実力のある優秀な神様だと思うんだけどな」 「こんなやる気のない神様が実力ある優秀な神様だとは思えません。こんなやる気のない神様から教わると思うだけで反吐がでます」  僕は南の神を睨みつけた。寝そべっている体を蹴っ飛ばしたい気分だった。 「わかったわかった。それなら仕方ないな。とりあえず、できるだけ早く研修地区の幸福度を六十まで上げることを俺と一緒に考えようか」 「はい、北の神。よろしくお願いします」 「そろそろ、参拝者が姿を見せはじめたね。さあ、今日も一日頑張りますか」  北の神が両手をグッと前に突きだした。 「はい、今日も頑張ります」  僕は両拳を握って気合いを入れた。 「南の神、起きてください。参拝者が来ましたよ、そろそろ仕事はじめましょうか」  北の神がそう言うと、南の神はむっくりと体を起こし、首を左右に折ってから、両手を高く上げ伸びをし、大きなあくびをした。立ち上がる気もなさそうで、そのまま、あぐらをかいていた。  僕は南の神を睨みつけた。こいつはこの先、自分の足を引っ張るんじゃないかと不安に思った。  今日最初の参拝者は、老若男女数人のグループだった。神社の鳥居をくぐり本殿へと向かってゾロゾロと歩いてくるそのグループはキラキラと輝いているように見えた。  若い男女二人が仲睦まじそうに先頭を並んで歩いている。その後ろに年配の男女が続いて歩いていて、またその後ろにも年配の男女が歩いている。  先頭を歩く若い女性の胸の中で玉のようなフワフワした赤ん坊が気持ち良さそうに眠っている。  この赤ん坊が今日の主役のようだ。若い男女がこの赤ん坊の父親と母親で、その後ろを歩く年配の男女たちは赤ん坊の祖父母たちのようだ。  赤ん坊を抱っこする若い女性は赤ん坊の顔を覗きこみ、口元を綻ばせていた。すごく幸せそうな表情だ。  若い女性の父親らしき年配の男性が、若い女性の前に回り込み眠っている赤ん坊のトマトのような赤いほっぺを指で押さえた。年配の男性が押さえたところだけ赤いほっぺが白くなった。男性が指を離すとすぐにほっぺはトマト色に戻った。それだけで若い女性の父親らしき年配の男性の口元が綻んだ。 「そんなことしたら起きちゃうでしょ」  若い女性の母親らしき年配の女性が年配の男性に注意するが、年配の女性の目元は弓のように下がっていた。 「大丈夫だよ。ほら、よく眠ってる」  また赤ん坊の頬を指で押さえた。 「あら、ほんと。気持ちよさそうね。タエコの胸の中が落ち着くのね」  年配の女性もそう言って赤ん坊の頬をツンとついた。若い女性、赤ん坊の母親の名はタエコというようだ。 「タエコの赤ちゃんの頃にそっくりだよな」  年配の男性が赤ん坊の顔を覗きこんで言った。 「ええ、よく似てるわ。タエコの赤ちゃんの頃を思い出すわ」  年配の女性の目はふんわりとしていた。 「タエコ、抱っこするの、代わろうか」  若い男性がタエコに声をかけた。赤ん坊の父親、タエコの夫のようだ。 「シンちゃん、ありがとう。じゃあ、お願いするわ」  赤ん坊の父親はシンちゃんというようだ。タエコは、シンちゃんの方に体を向け、赤ん坊をシンちゃんの胸の辺りに持っていった。シンちゃんは、赤ん坊を抱えようと両手を出した。 「そぉーっとね、起こさないようにね」  一番後ろを歩いていたシンちゃんの母親らしい年配の女性が前まできて心配そうでいて、そして愛おしそうな目で赤ん坊を見つめた。 「母さん、横からうるさいよ」  シンちゃんが面倒くさそうに言った。しかし、シンちゃんの顔は笑顔だった。  タエコの胸からシンちゃんの胸に赤ん坊が移動した。赤ん坊はシンちゃんの胸の中で、頭が少し低くなり、不安定な体勢になってしまった。  シンちゃんのぎこちない抱きかたのせいか、赤ん坊がパッと黒目の大きな目を開いた。その瞬間、赤ん坊の泣き声が境内に響き渡った。 「ほらー、起こしちゃったじゃない」  シンちゃんの母親がシンちゃんの肩を叩く。 「ごめんね、あなたのお父さんは、まだ抱っこするのに慣れてないからね」  シンちゃんの母親がシンちゃんの肩に手を置いたまま、泣いている赤ん坊の顔を覗きこんだ。それでも、シンちゃんの母親の顔は笑っていた。  シンちゃんの父親も前に来て泣いている赤ん坊の顔を覗きこんだ。 「おーい、おじいちゃんだよー。いないいない、ばぁー」  シンちゃんの父親がおどけて見せた。 「あなた、そんなことしたらビックリして、もっと泣いちゃうわよ」  シンちゃんの母親がそう言ったが、すぐに赤ん坊の泣き声は止んで、笑い声が聞こえてきた。 「ほらー、笑った」  シンちゃんの父親は自慢気に言った。その父親も満面の笑みだった。  赤ん坊が眠っていても、泣いていても、笑っていても、他の六名の大人たちは幸せそうだった。幸福度がドンドンと上昇していくのがわかった。 「この家族の幸福度はドンドン上がってますよね」  僕は北の神に向かって言った。 「そうだね。こういうのはありがたいね」 「あの若い夫婦は北の神の担当地区ですよね。北の神の地区は、いつも幸福度がめちゃくちゃ高いから羨ましいですよ」  北の神の担当する北地区はいつも幸福度が高い。北の神は本当に人間の幸福度を上げるのが上手だ。僕も早くそうならなければいけないなと思った。  神社にはふんわりした空気が流れていた。僕の心もふんわりとしていた。 「今日は出だしがいいですね。こっちまで幸せな気分になりましたよ」  僕は清々しい気分になりそう言った。 「やっぱり赤ん坊の力は凄いね」  僕は北の神と並んで鳥居をくぐる幸せな家族の後ろ姿を目を細めて見ていた。  その幸せな家族とすれ違うように鳥居の前に中学生らしい制服を着た少年が立っているのが見えた。  少年は鳥居の前で一礼してから鳥居をくぐり、参道の端を歩いてきた。手水舎まで行き、手水をとって拝殿へと向かってきた。ガチガチに緊張した動作だ。ヘルメットをかぶったような髪型で濃い眉毛に黒縁眼鏡をかけている。いかにも勉強のできる真面目な学生といった感じだ。受験の合格祈願にでも来たのだろうか。  少年は、拝殿の前に立ち、小銭入れから十円玉を取り出して左手で握りしめた。鈴をやさしく鳴らしてから、握りしめていた十円玉を賽銭箱に放りこんだ。  トントン、カタンと十円玉が落ちる音がした。少年はそれを確認するようにお賽銭箱に視線を落としていた。ぎこちない動作で二礼二拍し、手を合わせた。 「受験前の大切な時なのに、チエちゃんのことばかり考えてしまいます。どうしたらいいんでしょうか。助けてください」  少年の祈りの声が聞こえた。 「恋の悩みかー。若いねー。羨ましい悩みだよ。恋愛も受験も両方頑張ればいい」 「真面目な少年ですね」 「何事にも一生懸命な君はきっと大丈夫だよ」  北の神が手を合わせる少年を見ながら声をかけた。 「今の少年は南の神の担当ですよね、少しは気にならないんですかね」  僕はやる気の無さそうな南の神に冷たい視線を向けた。 「あんまりカリカリするな。今は自分のことだけに集中した方がいい」  北の神が僕の怒った肩に手をおいてなだめてくれた。けど、僕の気持ちはおさまりそうにない。やる気のない神様はさっさとやめてほしい。 「けど、あの態度は、神様としてどうなんですかね」  南の神は、僕の視線を無視して、興味無さそうにあぐらをかいたまま、耳の穴をほじっていた。 「くそーっ」  僕は境内の床を蹴った。  少年が出ていって、次に神社に姿を見せたのは、三十歳くらいの男性と幼い女の子だった。  男性は女の子の手を引いて体を折るように下を向いて唇を噛みしめていた。表情が沈んでいるように見えた。  女の子は黒目の大きな瞳をしていて、大きくなったらきっと綺麗な女性になると思うのだが、今の表情は男性と同じく沈んで見えた。  二人はゆっくりと拝殿のところまでやって来た。 「さあ、ミチカ、神様にママのことをお願いしようか」  男性が女の子の前に屈んで女の子の視線に合わせて声をかけた。 「かみさまが、ママのびょうきをなおしてくれるの?」 「そうだよ、ミチカがお願いしたら、きっと神様がママの病気を治してくれるよ。神様は、いい子の見方だからね」  男性がそう言って女の子の頭を撫でた。 「じゃあ、ミチカが、かみさまにおねがいする。ママにはやくげんきになってほしいから」 「そうだね。じゃあお父さんといっしょに神様にお願いしようか」 「うん」  男性が女の子の手を持って一緒に鈴を鳴らした。鈴がカランカランと小さな音をたてた。 「よし、いい子だ。次はこれだよ」  男性がそう言って女の子の頭を撫でてから、女の子のもみじのような右手に百円玉を置いた。女の子はその百円玉をきゅっと握りしめた。 「これをかみさまにあげればいいんだよね」  女の子は小さな笑みを浮かべた。 「そうだ、よくわかったね。ミチカ一人で神様にあげられるかな?」 「うん、ひとりであげられる」 「じゃあ、これはミチカにお願いするね」  男性は女の子が百円玉を握る右手を優しく両手で包んだ。 「うん、まかせて」 「じゃあ、神様にあげてくれるかな」  男性は、そう言って、お賽銭箱の前で女の子を抱えあげた。  女の子は握りしめていた百円玉をもみじのような手からヒョイっと賽銭箱に投げ入れた。  百円玉は賽銭箱の上でトントントンと跳ねてからコロコロと賽銭箱に吸い込まれて、最後にコトンと音をたてた。  男性がそれを確認してから女の子を地面に下ろした。 「よーし、いい子だ。これで神様はミチカのお願いをきいてくれるよ。あとはお父さんといっしょに神様に手を合わせてママが元気になりますようにってお願いしようか」  男性が女の子の頭を撫でながら口角を上げた。 「うん、これで、かみさまがママをげんきにしてくれるよね」 「そうだよ。こうして手を合わせて、心の中で神様に『いつも見守ってくれてありがとうございます』って言ってからママのことをお願いしたら、きっとママの病気は治るよ」  男性と女の子が並んで拝殿に向かって手を合わせた。 「神様、妻の恭子と出会わせてくれ、そしてミチカを授けてくれて本当にありがとうございます。今、恭子は乳癌で苦しんでいます。何とか手術がうまくいって命が助かりますようにお願いします。これからミチカの成長を恭子といっしょに見守れるようにお願いします」  男性の願いの声が聞こえた。 「かみさま、いつもみてくれてありがとうございます。ママがげんきになって、またいっしょにおかいものにいけますように」  続いて幼い女の子の願いの声が聞こえた。  二人は長い時間、手を合わせ目を閉じていた。男性の呼吸する音と女の子の呼吸する音がシーソーのように交互に響いていた。 「あの親子は習の神の担当地区だな」  北の神が少し沈んだ声で僕に声をかけた。 「そうです。自分の力で何とか助けてあげたいです」  僕は手を合わせている女の子に熱い視線を送った。 「まあ、難しいね」  背中の方からしゃがれた声がした。その声の方に振り向くと、南の神がボサボサの頭をボリボリと掻いていた。 「おたくも神様なら少しは人間を幸せにすることを真剣に考えたらどうなんだよ」  僕は南の神に向けて声を荒げた。 「わしは、ちゃーんと考えてるよ」 「ちゃーんと考えてるだって? いつも、なーんにもしてないじゃないか」  南の神の胸ぐらをつかみたい気分だった。胸ぐらを掴んで殴り飛ばしたい。 「じゃあ、あんたは真剣に考えてるのか?」 「当たり前だ。僕たちは神様なんだ。神様が人間の幸福度を上げることを真剣に考えなくてどうするんだよ」 「じゃあ、真剣に考えてるあんたは、あの親子をどうしてやるつもりなんだ。お母さんを助けてやれるのか」 「そ、それは……」 「どうせ、考えてるだけで、結局なーんにも出来ないんだろ」  南の神がいじわるっぽく右の口角だけを上げて笑った。 「自分が、あの子のお母さんの病気を神の力で治してみせるよ」 「ほぉー、すごく威勢がいいな。けど、残念だがあんたの力じゃ無理だな。全く力不足だ」 「うるせえ、やってやるよ。自分があの親子を幸せにしてみせる」 「まあ、せいぜい頑張ってみな」  南の神はそう言って、立ち上がり奥へと消えていった。僕は南の神の背中を睨みつけた。体が熱くなり勝手に震えだした。 「あいつ、ほんとムカつきますよね」  北の神に同意をもとめた。 「確かに、もう少し後輩のことを考えてくれればいいんだけどな」  北の神が唇を噛みしめながら、僕の顔を見た。 「本当、なに考えてるんですかね」  僕は思いっきり、フンと鼻から息を吐いた。 「ただ、残念ながら、あの子の母親の病気を治すのは、俺たちの力だけでは難しいのは事実だろうな」 「えっ、僕はともかく、北の神の力でも難しいんですか」 「そうだな。俺だけの力では難しい。俺と習の神と南の神の力を合わせたら出来ないこともないかな」 「じゃあ、みんなの力で助けてあげましょうよ。あの女の子がお願いしてるんですから何とかしてあげましょうよ」 「それが、難しいんだよ」 「なぜ、難しいんですか。南の神が協力してくれないからですか。それなら、この際、僕が南の神に頭を下げてお願いしますよ」 「南の神が協力してくれるかどうかって問題じゃないんだ。それをすると、協会から分配してもらっている、この神社の神の力を全て使い切ることになるからなんだ」 「それでも、やってあげましょうよ。あの子の願いを叶えてあげましょうよ。お母さんと買い物に行くことくらい叶えてあげたいですよ」  僕は北の神の二の腕を握りしめ、必死でお願いした。 「習の神、お前の気持ちはすごーくわかる。俺も、昔そう思った時期があった。でも、もし、明日、同じような悩みを持った別の親子が現れたら、君はどうするつもりだ?」 「えっ」 「人間界には、さっきの親子のような悩みで苦しんでる人間は、他にもたくさんいる。だから一人のために、俺たちの神の力を全て使い切ってしまったら、他の人間に対して、何もしてあげられなくなってしまう。だから、俺たちは、出来るだけ多くの人間に満遍なく、少しずつ神の力を使って幸福度を上げてあげることしか出来ないんだ。急に重い病気が治ったみたいな奇跡を起こすことで、人間を幸せにすることは、俺たち神様には無理なんだ。俺たちの出来ることは、相性のいいお医者さんにめぐり会えるようにしてあげるとか、気持ちが前向きになるような人や物に出会わせるようにもっていくとか、出来るだけ運を良くしてあげることくらいしか出来ないんだ」 「神の力って、その程度のもんなんですか? 自分の目指している神様は万能だと思ってました。一生懸命生きている人間の願いは、全て叶えてあげられると、そう思ってました。それは違うんですか」 「残念だけど、俺たちの持つ神の力は小さすぎる」  北の神はそう言って言葉を詰まらせ唇を噛みしめていた。 「神の力を、もっと増やす方法はないんですか」 「今、俺たちにできることは、人間の幸福度を上げて、その上げた分の幸福度の一部を人間から分けてもらって、それを神の力に変えるくらいしか方法はないんだ」 「でも、人間の幸福度をすごく上げている北の神でも神の力は少ないわけですよね」 「そう。俺は今の協会の体質に問題があると思ってる」 「協会の体質ですか?」  僕は全く意味がわからなかった。 「今の協会のシステムは、神様が人間を幸福にすると、その人間の上がった幸福度のうちの五十パーセントを協会が人間から吸い上げているんだ。だから人間を幸せにしても協会が五十パーセント吸い上げているので、人間が感じている幸福度は本来の半分くらいしかないんだ」 「そんなに吸い上げてるんですか。半分も吸い上げるなんて、びっくりしました」 「俺も吸い上げすぎだと思う。けど、ここからがもっと問題なんだ」 「まだ、何かあるんですか」 「人間から吸い上げた幸福度は、本来は神の力として人間の幸福度を上げるために使わなければいけないんだ。全て人間に還元しないといけないと俺は思ってる」 「そうじゃないってことですか?」 「今の協会は、人間から五十パーセント吸い上げた幸福度を、協会本部がいくらか抜いている。それがどれくらいなのかはわからないが、噂では吸い上げたうちの九十パーセント以上は抜かれているらしい。もしそれが事実なら、現場の神様に神の力として分配されるのは雀の涙ほどしかないんだ。俺たちは、そういうわけで、神様と言っても、大きな神の力を持っていないんだ。特別に協会に稟議を出せば別途、神の力を追加してくれることもあるみたいだけど、あの親子の場合だと協会も特別扱いはしてくれないと思う」 「協会本部の取り分って本当に九十パーセント以上もあるんですか」 「そこは、噂だけで、俺たちにはわからない。どっちにしても、最初に人間から五十パーセントは取りすぎだと思うし、俺たちへの神の力の分配も少なすぎる。だから、俺たちはなんにも出来ない。人間から吸い上げる幸福度を五十パーセントから減らして人間にもう少し幸福度を残してやれば、人間は自分たちの力で、もっと幸せになれるし、俺たち現場の神様にもっと神の力を分配してくれたら、少しは今よりよくなると思う」 「なんとかならないですかね。僕はもっと人間を幸せにしたいです。僕が神様になろうと決めたのは、奇跡みたいなことを起こして人間を幸せにする神様がいるって聞いたからなんですけど、現実には、そんな神様は存在しないんですね」 「うーん、いるにはいるみたいだけど……」 「いるんですか?」 「俺も会ったことはないけど、協会に属さないフリーの神様のなかにカリスマのような神様もいて、その神様なら、もっと人間を幸せにする力を持ってると聞くけどね」 「フリーの神様ですか?」 「神様協会に属さない神様だ。フリーだと、協会に幸福度を吸い上げられないから、人間の幸福度を上げた分すべてを自分の好きなように使える。人間に幸福度を残してあげるのも神の力に変えるのもすべて自分で決められるんだ」 「フリーの神様になるには、どうすればいいんですか。それなら自分は協会に入るよりフリーの神様の方がいいです」 「すごい意気込みだね。神様協会に所属しなければ、一応フリーの神様ってことになるけどね。ある意味、習の神は今はフリーの神様だよ」 「じゃあ、このままテストを受けないで協会に所属しなければいいんですか」 「まあ、そうだけど、ただ、それで神様としてやっていくのは大変なことなんだ。ほとんどのフリーの神様はうまくいかないで挫折してしまっているみたいだ。成功してるのは百人に一人、いや千人に一人だと聞いてるよ。君の場合、悪いけど、まだ神様としての経験もほとんど無いわけだから、フリーでやっても百パーセント失敗すると思うよ」 「フリーで挫折した神様たちは、どうなっていくんですか」 「協会に頭を下げて協会に入れてもらう神様もいるにはいるみたいだけど、それもコネがないとなかなか難しいみたい。協会に背いた神様に協会は甘い顔をみせないからね。だから、ほとんどは、浮浪の神になるか、疫病神に転身しているらしいよ」 「えっ、疫病神ですか?」  僕はびっくりした。 「そう。疫病神」  北の神は口を尖らせていた。 「でも、なぜ、人間を不幸にする疫病神なんかになっちゃうんですか。人間の幸福度を上げるために頑張ってきた神様が、全く正反対のことを始めるわけですよね。そんなの、僕には信じられません」 「結局、神様として生きていく為だろうね」 「生きていく為ですか?」 「フリーだと、自分の力で全てやらなければならないんだ。俺たちみたいに神様協会に所属していると、自分の力で人間の幸福度を上げられなくても、人間が勝手に神社にお参りにきて、幸せになったことを神様に感謝してくれるんだ。よく神社に参拝して、手を合わせながら俺たちにお礼を言ってくれるだろ」 「『受験に合格しました。ありがとうございます』『無事に孫が生まれました。ありがとうございます』『ここまで長生きさせていただきありがとうございます』なんていう、あれですよね」 「そうそう。さっきのお宮参りの家族なんかもそうだ。『赤ん坊を授けてくれて、ありがとうございます』と言って俺たち神様にすごく感謝してくれてるだろ。けど、そういうのは、実は俺たち神様の力なんかじゃないんだよ。人間が自分たちの力で幸せをつかんでいるのに、勝手に神様のおかげだと思ってるわけ。その勝手に上がった幸福度からも神様協会は、その人間から幸福度を五十パーセント吸い上げてるから、神様協会に所属している神様は、少ないとはいえ何もしなくても安定して幸福度を分配してもらえるわけなんだ。フリーの神様になると、それが無くなるから、人間の幸福度を上げることが出来ないと生活できなくなるんだ」 「厳しいのはわかりますけど、でも疫病神になることはないと思うんですけどね。人間を不幸にするなんて、信じられません」  北の神は、僕の顔を見て何度も頷いていた。北の神も同じ気持ちのようだ。 「今、フリーでやっている神様のほとんどは協会から追放された神様なんだ。追放された理由は成績が芳しくないとか、協会に背いたとか、それぞれだろうけど、ほとんどが急に追放させられているはずなんだ。フリーとして独立する準備も何も無しに追放されてしまうんだ。独立するつもりで必死で勉強して準備していても、フリーで成功するのは難しいはずなのに、準備も無しに成功するなんて、本当に大変なことなんだ。だから簡単に生きていける疫病神になってしまうんだと思うよ」 「疫病神は簡単なんですか」 「疫病神の方が普通の神様より簡単みたいだね」 「なぜですかね?」 「人間の幸福度を上げるより不幸度を上げる方が簡単だからだよ」 「不幸度を上げる方が簡単なんですか」 「そう。たとえば、電車の到着時間を五分遅らせたら、人間はどうなると思う?」 「人間は困ってしまうでしょうね」 「そう、困ってしまうんだ。そして、駅員に怒りをぶつける人間がいたり、イライラして、隣の人間とちょっと肩が触れただけで大声を上げたりする。そうして、不幸度は周りの人間にもどんどん伝染して、一気に広がり、そして上がってしまうんだ。街中でカーンと大きな物音をたてただけでも、人間の不幸度はピュッと跳ねあがるんだ。疫病神はそのはね上がった不幸度を吸い上げてエネルギーにするわけだから、比較的簡単に独立して食べていけるようになるわけだ」 「人間を不幸にすることに、やりがいは感じませんね。協会は追放した神様の多くが疫病神になってしまっていることを知っているんですか」 「もちろん、知ってるよ」 「なのに、追放し続けてるなんて、わけがわかりません。疫病神が増えてしまったら、人間の幸福度が下がるじゃないですか。それは神様協会としても困るんじゃないですか」 「成績の悪い神様や神様協会に反抗的な神様を協会に籍をおいたままにして、神の力を分け与えるより追放した方が協会としてはいいみたいだね。疫病神が増えても意外と困らないみたいだし」 「疫病神が人間の不幸度を上げても神様協会は困らないんですか」 「疫病神が人間の不幸度を上げて幸福度が落ちてしまっても、人間は自分たちの力で幸福度を元に戻す力を持ってるんだ。だから協会は困らない。逆に落ちた方が上げやすい。いや、協会は勝手に人間が自分たちで上げてくれるとわかっているんだ」 「そうなんですか」  僕が思っていた神様とは何かが違う。 「そう。人間にはそういう力があるんだ。災難や苦難があって、一度幸福度を下げてしまっても、自分たちの力で幸福度を上げてしまうんだ。ピンチになればなるほど、人間は力を発揮して、災難や苦難を乗り越えてしまう。その時の幸福度は災難や苦難の前より、グッと上がっているんだ。人間はほんと凄いよ。苦しいことがあればあるほど、その後の幸福度を上げるんだ。みんなが仲間意識をもって助け合って乗り越えた時の人間が上げる幸福度は神様の力では到底及ばないくらいに上がってる。それは人間の力で上がった幸福度なのに、さっきも話したけど、人間が勝手に神様のおかげだと思って感謝して神社にお参りしてくれるんだ」 「神様より人間の方がすごいんだ」 「だから疫病神が増えても神様協会は気にしていないみたい。疫病神が不幸度を上げれば、人間は自分たちの力で元に戻すからね。反対に優秀な神様がフリーになって成功される方が困るみたいだから、そっちを嫌がってる」 「優秀な神様ですか?」 「そう、優秀な神様がフリーになると神様協会としては、これまで大幅に人間の幸福度を上げてくれていた神様が抜けるわけだから痛いわけ。それにフリーで成功されると、どんどん優秀な神様は後を追って出ていっちゃうから必死で引き留めようとするんだ」 「やっぱり、僕はフリーになって成功する神様に憧れますね。それを目標にしたいです」 「気持ちはわかるけど、まだ研修の身だろ。今日、野々神がせっかく推薦状を持ってテストの申し込みに行ってくれているんだ。まずはテストに合格することだよ。それから協会でいろんな経験を積んで、フリーになる準備をすればいいんじゃないかな。今の気持ちがあれば、習の神はきっとフリーで成功できるよ」  北の神がそう言って口角を上げた。 「北の神は優秀で力もあるのに、フリーになる気はないんですか」  北の神は右手を振りながら、俺は優秀じゃないよと言ってから、「確かにフリーで成功することに憧れるけど、俺はこれまで協会にすごくお世話になってるから、まず協会に恩返しがしたいんだ。今の協会をもっと良くして、もっと人間の幸福度を上げられる、そんな協会にしていきたいんだ」  気配を感じ、僕が振り向くと南の神が知らない間に、そこに立っていた。僕と北の神の話を立ち聞きしていたようだ。  神様協会を批判するようなことも話していたので、チクられるのではないかと心配になった。バカにするような、冷めた目で、こっちを見ているのかと思い、睨んだが、意外にも、好々爺のような顔をして目を細めて口角を上げていた。
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