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「習の神、遅いな。何かトラブルでもあったのかな。それなら連絡くらいあるはずだろうしな」
テスト会場の準備は三十分前に終わっていた。会場の外に出て、習の神を待っていると、これから受験する研修生たちが緊張した面持ちで続々と会場に入って行く。そのなかに習の神の姿はなかった。腕時計に視線を落とすと、テスト開始まで、あと二十分だ。それにしても遅すぎる。
私は習の神が来るであろう道を、手でひさしを作って眺めた。傾きかけた太陽の光が眩しい。風が吹き抜けて落ち葉が舞う一本道。そこに習の神の姿はない。
もう一度、腕時計に視線を落とした。開始十分前になっていた。間に合わない。慌ててポケットからスマホを取り出して野々神社に電話した。呼び出し音が鳴り続けるだけで、なかなか繋がらない。
胸騒ぎしかしない。野々神社まで戻ろうかと思って、電話を切ろうとしたところで、やっと繋がった。
「もしもし、私だ」
相手の声を聞く前に怒鳴るように言った。
「野々神、どうしたんですか。そんなに慌てた声を出して」
電話に出たのは南の神だった。
「習の神がまだ会場に姿を見せてないんだ」
「あー、そうですか」
相変わらずやる気のない声だ。お前も慌てろよと思った。ひとつため息を吐いてから、南の神に訊いた。
「習の神は、もうテスト会場に向かっていますよね」
南の神からの返答が怖かった。
「それがですな、野々神が出ていってすぐに、変な少年が参拝に現れましてね」
胸の中の騒ぎが一段と大きくなっていく。
「変な少年?」
「そう。ほんと、変な少年だったなー」
「その変な少年がどうしたんですか」
ダラダラとしゃべらず結論を教えてくれ。
「野々神、どうしたんですか。すごく苛立ってるみたいですけど」
南の神の呑気な声が、一段と私を苛立たせる。
「だから、習の神がまだ来てないんです。もうすぐテストが始まるんですよ。習の神はもうこっちに向かってるんですか? さっきの変な少年って何なんですか?」
「それがね、習の神のやつ、その変な少年が心配になったみたいで、少年を追っかけて行っちゃいましたわ」
「えっ、えー、ど、ど、どういうことですか」
頭が混乱して整理ができない。
「どういうことって、習の神は、その少年が心配になったみたいで、テストどころじゃないとか言って出ていっちゃいましたわ」
「テストどころじゃない。あいつそんなこと言ったんですか」
私は髪の毛をかきむしった。
「ええ。確かそんなこと言ってましたな。いや、違うか。テストはもう諦めたって言ってたかな」
「どう言ったかなんて、どうでもいいんです。それよりなぜ習の神を止めてくれなかったんですか。今日は大事なテストの日だって言いましたよね」
「そんなこと言われてもねー。一応止めはしましたけどね。あいつがどうしても行くっていうもんでね、止めるのもどうかなと思いまして、あいつの好きにさせました」
「無理矢理にでも止めないとだめでしょ」
「役立たずで、すいませんな」
「それじゃあ、習の神はテストには来ないわけですね」
「ええ、たぶん、そういうことでしょうな」
「あー、わ、わかりました。もういいです」
私は電話を切ってから天を仰いだ。薄暗くなった空には月も星も見えなかった。
あれだけ言っておいたのに、なぜ習の神は、そんな変な少年を追いかけて行ってしまったのだ。
もともとそういうタイプであることはわかっていた。正義感が強くて、後先考えずに行動するタイプだ。だから念には念を入れて一人で突っ走らないように言い続けたのに。怒る協会長の顔が浮かんで、気持ちがずっしりと重くなった。
今から協会長に報告に行くのが恐ろしい。北の神の件もある。協会長は私の管理能力の無さを、私が立ち直れなくなるくらい罵倒するのだろう。その時はひたすら謝るしかない。
協会長は習の神にもう一度チャンスをくれるだろうか。いや、無理だろう。協会長が習の神のような実績のない研修生にチャンスをくれるはずがない。
そうなると、習の神はどうなるんだろう? 北の神のように人間にされるのかもしれないが、北の神と違って実績のない研修生だ。人間になるとしても記憶も神の力も消されてしまうだろう。二度と神様にはなれなくなる。
それとも協会から追放されるのか、そうなったら、習の神は、彼の目指しているフリーの神様になるわけだが、今の習の神の実力でフリーでやっていけるはずがない。
となると、習の神は浮浪の神か疫病神になってしまうのか。どちらにしても、習の神の神様としての道は閉ざされた。
何かいい言い訳はないかと考えた。テスト会場に来る途中で事故にあった。朝になって病気になってしまった。
「ハァー」そこまで考えてため息が出た。
そんな嘘はすぐにバレるだろう。そうなったら自分の身まで危うくなる。ここは正直に話すしかない。
正直に言えば、私の処分は、協会から追放されるような重い処分になることはないだろう。罵倒されることにじっと耐えるしかない。
重い処分になるのは習の神、お前だけだ。悪く思うなよ、というか、習の神、お前が悪いんだ。なぜテストに来なかったんだ。全てお前の責任だ。なぜ自分まで協会長から怒られなければならないんだ。
協会長のハ虫類のような目が頭に浮かんだ。今から報告にいく足取りは重い。
「またかね」
協会長がソファにもたれたまま、私に剣呑な視線を向けた。
「申し訳ございません」
私は深々と頭を下げた。頭を下げたまましばらくかたまった。頭を上げて協会長と目を合わせるのが怖かった。協会長の視線が後頭部に突き刺さる。
「南の神は全くやる気なしで、北の神は集会で生意気な発言をする。そして今回は研修生の習の神がテストをボイコットか。協会をバカにするのがあんたの教育方針なのかね」
「い、いえ、決してそんなことはございません」
私は、下げた頭を上げることが出来なかった。
「あんたをどっかへ飛ばしてやろうか。そうでもしないとわしの気が収まらない」
協会長の言葉を聞いて、慌てて顔を上げた。
「えっ、わ、私が処分されるのですか」
血の気が引いていくのがわかった。
「嫌かね?」
協会長のハ虫類の目が、ギロリと私を見た。白目が黄色く濁り、小さい黒目が私を突き刺す。
「は、はい。嫌と申しますか、お許しください。どうか、お願いいたします」
また深々と頭を下げた。
協会長は「フン」と鼻を鳴らし、しばらく口を開かなくなった。
そのまま沈黙が続いた。協会長の貧乏揺すりのせいで、床がガタガタと音を立てていた。
私は頭を下げたままじっとしていた。首の辺りから変な汗が出て、ポタポタと床に落ちた。
「確かに、君も出来の悪い部下ばかりを持って大変だと思う。そこは同情してやるよ」
協会長がやっと口を開いた。
「は、はい」
協会長の声が柔らかくなったので、少しだけ気分が楽になった。
「じゃあ、君は見逃してやるかな」
協会長がめずらしく口角を上げて私を見ていた。
「ほ、ほんとうですか? ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
もう一度深々と頭を下げた。
「君は許すが、研修生は追放するからな」
「や、やはり、追放、ですか」
私は首を折った。
「私の決断に不服なのかな?」
「い、いえ、そ、そういうわけではございませんが、未来のある若者でもあるわけでして、なんといいますか……」
「君が未来のある若者を助けたいなら、それでもいいが、わしの気持ちは収まらない。君か研修生かどちらかを追放したい。君が研修生の未来を考えてあげるのなら、君を追放する。君か研修生か、わしはどっちを追放すればいいんだ? それを君に決めさせてやる」
「私か、習の神か、どちらかが追放でございますか?」
「そうだな。なんなら両方でもいいぞ。その方がわしはすっきりする」
協会長がニタリと笑った。
「い、いや、それはちょっと……」
「両方が嫌なら、どっちにする? 早く決めてもらわないとな。わかっているとは思うが、わしは気が長い方ではないからな」
「そ、それでは、申し訳ございませんが、習の神の方を……」
「習の神の方をどうするんだ? はっきり言え」
「あっ、はい。習の神の方を追放ということでお願いいたします」
「そう。じゃあ今回の処分は、研修生の追放でいいな」
ここで、「はい」と言ってしまっていいのだろうか。「はい」と言ってしまえば、習の神は神様協会から追放されてしまう。私が協会長にしっかりお詫びして、神様協会追放より軽い処分にしてもらうようお願いすべきなのかもしれない。それが、習の神を預かった私の責任のような気がする。
「あ、あの、ですね」
私は揉み手をしながら、協会長の方へ一歩前に出た。
「なんだ?」
また、ハ虫類のような強烈な目で睨まれた。
「いえ、なにも」
一歩前に出たが、すぐに二歩下がった。
「じゃあ、研修生は、協会からすぐに追い出して、フリーの神様として頑張ってもらおうかな」
私は無言で腰を直角に折った。
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