8.ホラーゲームは苦手だって言ってるだろ

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8.ホラーゲームは苦手だって言ってるだろ

「ぎゃあああああぁ!」  情けない悲鳴が――残念ながら俺自身の情けない悲鳴が、空間に響き渡る。とってもデジャブだった。 「走って!」  スメラギは叫ぶと同時に駆けだしていく。  一定間隔で壁に並ぶ、中世風のアンティークな燭台。その黄色い明かりにボンヤリ照らし出された迷路のような長い廊下を、俺はスメラギの後に続いて全力疾走していた。  背後から迫るドシン、ドシン、という重い足音。  今俺たちを追ってきている足音の主は、二足歩行のだった。  そいつは赤ん坊のような見目をしているが、屋敷の天井に頭が届きそうなほどの巨体である。身体が重いせいか足は遅いが、巨体の分だけリーチが長いため、油断したらすぐに追いつかれてしまうだろう。 「――マンマァ、マンマァ!」  大きく開かれた、化け物の歯のない口は、果てのない暗い洞穴の入り口だ。その奥から湧き上がってくる不気味な鳴き声が、俺たちを引きずり込まんとしている。 「あああぁぁごめんなさいママじゃない俺はママじゃないですぅっ!」  視界が滲んで見えるのは、恐らく俺が半泣きだからなんだろう。  前を走るスメラギが振り返る。  彼はいつの間にか片手に小さなビデオカメラを握っており、そのレンズは真っ直ぐ俺へと向けられていた。  本物のビデオカメラではなく、初めから[インベントリ]にセットされているアイテムの一つだ。これを使用して録画したデータは、繋げているPCに動画形式で自動保存される仕組みだ。配信のアーカイブが残るのだから別で録画する必要もないのだが、リアルタイムで気に入りのシーンを切り取るのには役立つ道具だった。  しかし死に物狂いで逃げているこの真っ最中に撮影されたくはない。  それに俺はカメラというものが苦手だった。いや、カメラそのものではなく、“人からレンズを向けられる”という行為が、ある時から苦手になったのだ。 「お前は何をしてるんだ!」 「だって、こんなに近くでサクの悲鳴が聴けるなんて凄いことだ。オーケストラの楽団が僕一人のために、目の前で生演奏してくれているみたいな気分だよ」 「はあ!?」  オーケストラ? こいつは何を言ってるんだ?  さっぱり理解出来なかったが、問答を続ける精神的余裕などはない。スメラギの方は俺と違って、疾駆しながらビデオ撮影出来るくらいには余裕のようだが……。  廊下の先に、やがて扉が見えてきた。  出口に辿り着いたのだ、と、喜んだのも束の間。扉の向こうにあったのは円弧状に巡らされた廊下だった。廊下の先にまた廊下だ。手すりの向こうは吹き抜けとなっているが、今居る三階から階下へ降りるための階段などは見当たらない。  この屋敷はわざとこのような、入り組んだ迷路の如き造りになっているのだ。人が住むのには不適当で、建築基準も多分全然満たせていないが、実際に人が住むことはないから問題はない。  だってここは、ゲームの中なのだから。  *****  そのメールが届いたのは、スメラギが家に乗りこんできてから五日後のことだった。  このまま何事もなく終わるのではないか、などという淡い期待を見事に裏切って、コラボ配信に関する詳細が綴られた長文メールが寄越されたのだ。教えていないアドレスを何故知っているのか、理由を問う気にはなれなかった(恐ろしくて)。  俺は勿論、この誘いを断ろうと孤軍奮闘した。が、脅しと巧みな誘導とに踊らされる内にいつの間にやら予定の空いている日時を吐かされた上、承諾した覚えもないのに、SNSにてコラボ配信の告知を出されてしまったのだ。  これに対する反響は凄まじいものだった。  なにせ俺は六年間、誰に何を言われても、著名なライバーやタレントから声をかけられても、絶対に応じなかった“究極の閉じコン”なのだ。それが突然、これまで全く繋がっている様子のなかったスメラギとコラボ配信ときたものだから、界隈は当人を置き去りにして勝手に盛り上がり、ついにはネットニュースにまで取り上げられてしまった。  俺は完全に逃げ道を失った。  正統な理由もなしに撤回なんぞ出来る空気ではなかったし、何より、心から喜び期待に胸を膨らませている様子のリスナー達をがっかりさせたくはなかったのだ。  そんな葛藤の末、俺は今ここに居るわけである。  しかしプレイするゲームがホラーだとは聞かされていなかった。ゲームの選定はスメラギの側で予め行ってあり、何をやるかは当日のお楽しみと言い渡されていたのだ(正直その時点で多分に嫌な予感はしていた)。俺がどれだけホラーゲームを苦手としているかスメラギが知らないはずはないのだから、確実に故意だ。嫌がらせかもしれない。  VR上で落ち合い、スメラギの手引きでゲームにログインした最初の段階では、ホラーゲームだとは気づけなかった。なんだか不気味な雰囲気の屋敷だなとは思ったが、“屋敷内のいずこかに配置されている五つの宝玉の欠片を集めればクリア”と説明されていたから、ただの探索ゲームだと思い油断していた。ら、突如あの化け物が現れて追い回され、今に至るというわけだ。  ここまでに、(命からがら)四つの欠片を集め終えている。しかしゲームオーバーになんぞなろうものなら最初からやり直しの刑となり、今までの苦労は水の泡だ。  ――そんなのぜっっっっったいにごめんだ!  なんとしてもクリアしてやる、と決意をあらたにしながら、円弧状の廊下を見回す。  廊下にはぽつぽつと、俺たちが今し方出てきたのと同じような扉が並んでいるものの、どれが正解のルートなのかはさっぱりだ。  化け物はもう数メートル背後まで迫っており、迷っている暇などない。かといって手近な扉を適当に開こうとして鍵がかかっていたり、入ってみたら行き止まりだったりしたらもう終わりだ。ジ・エンドだ。  と。ビデオカメラをインベントリに放り込んだスメラギが、吹き抜けへ続く廊下の手すりに片手をかけた。そしてもう一方の手を俺に向かって伸ばしながら声を上げる。 「サク、おいで!」 「は?」  足を止めた俺の腕を、スメラギがぐいと掴む。そのまま強く引き寄せられて腰に腕を回された。抱きしめられているような体勢に戸惑う――隙もなく、身体がふわりと宙に浮く感覚。  スメラギは俺の身体を片腕で抱えたまま、軽々と手すりを乗り越えて、跳んだ。階下へ向かって跳躍した。 「うぎゃぁっ!」  己の口から漏れる情けない悲鳴。ぐるんと視界が回り、内臓が身体の中で跳ねて口から出そうになった。  落下。僅かの衝撃。  反射的に閉じていた目をゆっくりと開く。  幸いなことにこのゲームに“落下ダメージ判定”はないらしく、俺たちは綺麗に、一階ロビーの床に着地していた。 「平気?」  首を傾けて覗き込んでくるスメラギの顔が、鼻先二センチの距離にあって、俺は先とは違う種類の悲鳴を上げそうになった。  近い近い近い! 「は、離せ!」  抱き寄せられたままの体勢から逃れようと、両手で肩をぐいぐい押しながら声を上げる。 「あはは、耳が真っ赤」   スメラギはあっさりと俺の身を解放したかと思うと、上階へ目を向けた。  つられて視線の先を追うが、三階の廊下にもう化け物の姿は見えなかった。一旦諦めたのだろう。あの化け物はデカくて怪力だが、その分敏捷性には劣るのだ。暫くすれば別のルートを通って再び現れるだろうが、これまでのパターンから推測するに、次の出現までに五分少々は猶予が与えられるはずだった。
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