《二》

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「弁慶殿はこの寺の僧なのですか」 教経が言った。この弁慶なる怪僧をまったく恐れていない。それどころか教経は初めて犬に触れた童がごとく、はしゃいでいる。 「違う」 弁慶が応えた。 「元々は比叡山にいた。鞍馬山に移ってきたのは昨年だ」  ふぅんと息を吐き、教経は新たな鳥肉に手を伸ばした。 「止まらなくなるな」 口に含んだ鳥肉で頬を膨らませ、教経が言った。 「鳥獣の肉とは魚の肉と全然違うものなのですね。何やら体の隅々に力が漲ってくるな」  教経が再び鳥肉を取った。それで弁慶の足下にあるのは竹皮だけになった。更に教経は石段に左手を伸ばし、何かを拾い上げた。それは瓢だった。 「水ではない」 弁慶が言った。 「その瓢に入っているのは酒だぞ」  教経が瓢の呑み口に鼻を近づけた。直後、口に当てて、煽る。これには清盛も呆気に取られた。上向けられた教経の喉が何度も動く。やがて、教経はその口から瓢を離した。 「酒も初めてだが、たまらなく旨いな」 教経が言った。 「天下にはまだまだ俺の知らぬ旨いものがあるのだろうな。全部食いつくし、呑み干してしまいたいものだ」  弁慶が腹を抱えて、体を捩らせ嗤い始めた。 「どうしょう」 嗤い終えた弁慶が言った。 「教経よ、わしはお前を好きになった。こんな気持ちは昨年、五条大橋で牛若に会った時以来だ」 「牛若というのは」 「お前たちが会いにきたという遮那王、その人よ」  ふいに、風や鳥の声ではない音がどこからともなく流れてきた。笛の音だった。どこからだ、清盛は眼を閉じ、笛の音だけに耳を傾けた。石段の上からだ。笛の音が近くなった。清盛は眼を開いた。
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