46人が本棚に入れています
本棚に追加
「弁慶殿はこの寺の僧なのですか」
教経が言った。この弁慶なる怪僧をまったく恐れていない。それどころか教経は初めて犬に触れた童がごとく、はしゃいでいる。
「違う」
弁慶が応えた。
「元々は比叡山にいた。鞍馬山に移ってきたのは昨年だ」
ふぅんと息を吐き、教経は新たな鳥肉に手を伸ばした。
「止まらなくなるな」
口に含んだ鳥肉で頬を膨らませ、教経が言った。
「鳥獣の肉とは魚の肉と全然違うものなのですね。何やら体の隅々に力が漲ってくるな」
教経が再び鳥肉を取った。それで弁慶の足下にあるのは竹皮だけになった。更に教経は石段に左手を伸ばし、何かを拾い上げた。それは瓢だった。
「水ではない」
弁慶が言った。
「その瓢に入っているのは酒だぞ」
教経が瓢の呑み口に鼻を近づけた。直後、口に当てて、煽る。これには清盛も呆気に取られた。上向けられた教経の喉が何度も動く。やがて、教経はその口から瓢を離した。
「酒も初めてだが、たまらなく旨いな」
教経が言った。
「天下にはまだまだ俺の知らぬ旨いものがあるのだろうな。全部食いつくし、呑み干してしまいたいものだ」
弁慶が腹を抱えて、体を捩らせ嗤い始めた。
「どうしょう」
嗤い終えた弁慶が言った。
「教経よ、わしはお前を好きになった。こんな気持ちは昨年、五条大橋で牛若に会った時以来だ」
「牛若というのは」
「お前たちが会いにきたという遮那王、その人よ」
ふいに、風や鳥の声ではない音がどこからともなく流れてきた。笛の音だった。どこからだ、清盛は眼を閉じ、笛の音だけに耳を傾けた。石段の上からだ。笛の音が近くなった。清盛は眼を開いた。
最初のコメントを投稿しよう!