《二》

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 最初、清盛の眼に映ったのは脱兎のごとく石段を駆け上がる教経の後ろ姿だった。石段の頂から二段下に髪の長い男が立っている。まだ若い男だ。教経とそんなに変わらない年齢に見える。若い男は笛に両手を添え、口に当てている。清盛の心が奮えた。どこまでも悲しい笛の音色だった。教経が模擬刀を振り上げている。後ろ姿でもよくわかった。教経の模擬刀には殺気が込められている。  大きな影が素早い動きで教経を追い抜いた。弁慶、笛の若者の前に立つ。弁慶の振り上げた左手が拳に固められた。それが教経目掛けて振り下ろされる。教経の体が後方に飛んだ。石段にぶつかり、教経の体が弾んだ。そのままこちらに転がり落ちてくる。模擬刀がその手から離れた。重盛が前に走り出し、石段の一番下まで落ちてきた教経を抱き止めた。 「伯父上」 教経が跳ね起きて、言った。鼻がおかしな具合に曲がり、鼻孔から血が溢れ続けている。ややふらつきながは教経は清盛に歩み寄ってきた。 「あの、笛野郎を今、殺さなければ大変な事になります。笛の音を聞いた瞬間、俺の頭の中に浮かんだのです。あの笛野郎が次々と平家一門の首を飛ばしていく情景が。俺はいても立ってもいられなくなり、野郎に打ちかかってしまったのです」  弁慶の拳による一撃は相当に効いたのだろう。教経はそこで前のめりに倒れた。白目を剥き、体が痙攣している。重盛が教経を抱え上げた。ふいに、笛の音が止んだ。清盛は石段を見上げた。 「お初にお目にかかる」 清盛は石段の上に声を掛けた。 「遮那王こと牛若殿だな。私は平家棟梁、但馬守平清盛と申す」  笛の若者、遮那王牛若は清盛を一切見ていない。遠くを見すがめるような眼で中空を見つめていた。
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