《一》

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 清盛は為朝を見上げた。やはり大きいな。内心で独りごちた。為朝は歯を剥き出して嗤っていた。  清盛は腰に佩いている太刀を抜いた。 「殿、危のうございますぞ」 背後で景廉が悲鳴に似た声を発した。清盛は景廉に振り返った。何が危ないものか。微かな苛立ちが込み上げてきた。清盛の眼差しが強くなったのだろう。景廉がたじろぎ、二、三歩後じさる。清盛は為朝に向き直った。  私が知る限り真の武士はお前だけだ、為朝。動かぬ為朝に内心で語り掛けた。もしも叶うなら、我が夢の為に働いてほしかった。詮無きことを、と自嘲し、清盛は笑みを浮かべた。すぐに唇を引き結ぶ。太刀を右耳の横に構えた。歯を剥き出した為朝の表情はこの場にいる誰よりも生気に満ちていた。  太刀の腕に自信があるわけではない。清盛の齢はすでに五十三を迎えている。老齢で膂力も著しく落ちていた。それでもしくじるわけにはいかない。眼前に立つのは日ノ本史上最強の武士、二太刀目は赦されない。一太刀だ。一太刀でその首を落とす。それがこの猛将に対する礼儀というもの。清盛は太刀の束をこめかみの位置に上げた。両手にかかる重みに足がふらついた。太刀を握ったのはいつ以来か。思い出せないくらい昔である事に気づき清盛は歯噛みした。武士が治める世を造る。描いた理想には近づいている。同時に大切だった何かから遠ざかっているという気もしてくる。 「為朝よ」 清盛は掠れた声を発した。為朝は清盛から遠くなった大切な何かにいつも寄り添っていた。そんな気がする。胸の内で心気が澄み渡っていく。両手から太刀の重さが消えた。短く声を発し、清盛は太刀を横に振り抜いた。
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