《一》

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 柄には何の手応えも伝わってこなかった。やはり、太刀から離れている期間が長すぎたか。誤って虚空を斬ってしまったようだ。清盛が悔やんだ、その時、雨が清盛の顔を打つ。錆びた匂いが鼻をつく。落ちてきた雫が雨ではない事に清盛は気づいた。血、降ってきた雫は血だった。左手の甲で眼に入った血を拭い、清盛は顔を上げた。為朝の首から上が無くなっている。清盛の足下、砂浜に何かがごろりと転がった。眼を落とした。歯を剥き出した為朝の首がそこにあった。右手にある己の太刀を見た。血が滴り落ちている。  清盛は太刀を振り、刃身に付いた血を払った。太刀を腰に戻す。やや遅れて歓声がどっと沸いた。 「お見事」 傍にきた景廉が興奮した声を発し、清盛の肩に触れた。 「お見事でしたぞ、殿、この悪鬼めの首はどうしてやりましょう。京に持ち帰りやはり羅生門に晒してやりますか」  景廉の手から逃れ清盛は為朝の首の傍らに膝をついた。手を合わせて眼を閉じる。安らかに眠れ、為朝。お前は武士の鑑だ。清盛は眼を開いた。為朝の首にそっと手を触れた。顔に付着した砂を指で拭っていく。 「そんなものに手を触れては、汚いですぞ」 景廉が言って清盛の隣に膝をついた。 「景廉殿よ」 清盛は為朝の顔に触れながら言った。 「この首を粗略に扱う事を禁ずる。帝に乱平定をご報告した後、この首は私の手で葬る」 「ご冗談を」 景廉が嗤いながら言った。 「源為朝は日ノ本史上類のない大謀叛人ですぞ。この男と比べれば、平将門も藤原純友も可愛らしいもの。そのようなものを平家の棟梁たる清盛殿が葬ってやるなどと」  景廉の言葉が止まった。かの者の背後に太刀を抜いた景清が立っている。景清の太刀、その剣先が景廉の頬を撫でていた。
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