《一》

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「お前、これを引けるか」 清盛は景清に言った。景清が無言で左手を伸ばし、剛弓の取手を掴んだ。矢を、と清盛が命じると郎党の一人が征矢を一本持って傍にきた。景清はさすがの膂力で剛弓を左手一本で支えている。ただその顔は赤くなり、こめかみには無数の筋が浮いていた。受け取った征矢を景清が弓につがえる。短い呼吸が聞こえた。右腕を震わせながら景清が矢を引いた。が、弦は少し動いただけだった。景清が唸る。やがて矢羽を掴む右手が開いた。征矢が甲板の上を跳ねた。 「お前ほどの男でも引けぬか」 清盛は言った。巌のような景清の顔が少しだけ歪んだ。清盛は剛弓に眼をやる。京に戻ってからまずやるべき仕事ができた。この剛弓を引ける者を育てる。それこそが平家永劫の繁栄を実現する重要事項であると清盛は思った。
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