答えは、目を覚ましたときに

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答えは、目を覚ましたときに

 ――今日、出社じゃねーの?  キーボードの横に置いたスマートフォンが小さく震え、吹き出しを浮かべる。同期の岡野からだった。  出社か在宅か、自分の裁量で決められる。半々にする人もいれば、滅多に出社しない在宅組も多い。必ず出社しているのは俺と岡野くらいだ。だから、だろう。わざわざ連絡が来たのは。  在宅を決めたとき、岡野に伝えるべきか迷ったが、ただの同期だし休暇ではないし上司にはすでに申請しているし……と理由を並べて躊躇してしまった。だから、相手から連絡が来たことに少しだけ嬉しくなる。  俺のこと気にしてる? まあ、毎日顔合わせてるから「どうした?」とは思うか。浮かびかけた期待を自分で沈める。岡野はただの同期。それ以上でも以下でもない。満員電車に乗ってでも出社している理由だって「運動不足になりそうだから」って言ってたし。岡野に会えるのが嬉しい俺とは違う。  ――今日は在宅。  理由までは要らないだろう。どうせただの確認だ。その証拠に既読は付いたが返信はない。スタンプひとつ、ない。  そんなもんだよな、と息を吐き、エアコンの温度を上げる。少しの寒気はあるが、寝込むほどではない。まあ、午前の会議さえ乗り切れば、午後休もありだし。  時刻を確かめ繋げば、岡野の顔が映る。背景は会社の会議室。やっぱ今日も出社か。お疲れ、と声をかけ合う前に画面に人が増えていく。挨拶しそびれたな、とは思うが今さら岡野にだけ話しかけるのは不自然だ。  滞りなく会議は進み、「お疲れ様でした」と次々画面から人が減っていく。乗り切った、と力が抜けたからだろうか。顔が一気に熱くなる。完全に風邪ひいてるわ。午後は休もう、と退出しかけた、そのとき。 「なあ」  唐突にイヤホンから声が聞こえた。残っていたのは岡野と俺だけだ。 「なに?」 「なんか顔赤くない?」 「……そう?」  こんな粗い画像でわかる? と、自分の顔を見る。 「ちょっと鼻声だし。具合悪いんじゃないの?」  会議に参加していた誰も何も言わなかった。みんな気づいていて言わなかったのか。それとも……と再び胸の中で期待が浮かびそうになる。いや、ないって。そもそも岡野だけが気づいたからって何だというのだ。どうせ、同期として心配しているだけだ。 「あー、ちょっと風邪っぽいんだ。だから午後は休もうと思ってる」 「大丈夫なの?」 「寝てれば治るだろ」 「風邪を甘く見過ぎじゃない?」  と言われても。病院に行くほどではない。風邪薬ならあるし。 「平気だって。そんなに心配ならお前が看病してくれよ」  考えるより先に出てしまった言葉だった。軽口に混ぜた本音。熱のせいだ。会いたいと思っているのを自覚してしまう。  なんでだよ、とか。そこまでじゃないわ、とか。予想した声はなく。パッと自分の顔だけが取り残された。退出した? 返事する価値すらないってこと? そんな変なこと言ったか? 「っ、なんだよ」  カチカチッとイライラをマウスにぶつけながら、退出をクリックし、午後の有給を申請する。パソコンをシャットダウンすれば、緊張の解けた体が疲労感に包まれる。 「あー、やばい」  ごはん、水、薬……と頭には浮かぶがキッチンまで歩く気力が出ない。頭が重い。熱でぼーっとするのに、寒気がする。甘く見過ぎたな、と悔いても体調は悪化するばかり。とりあえず横になりたい。  着替えることも諦め、すぐそばのベッドへ潜り込む。眠れば多少良くなると信じて目を閉じた。  遠くで何か鳴っている。それがインターホンだと気づき、ゆっくり目を開ける。熱はまだあるが、動けないほどではない。こんなときに誰だ? 宅配か? 変な勧誘だったら殴りたい。 「はーい」  と掠れた声で答えれば、エントランスを背にした岡野の姿が映る。え、と戸惑う間もなく「俺」と詐欺みたいな応答が返ってくる。いや、見えてるけど。普通名乗るだろ。 「なに? どした?」 「なにって、お前が看病しろって言ったんだろ」  言った。言ったけど。だってそのあと何も言わなかったじゃないか。それどころか一方的に退出したのはそっちだろ。 「とりあえず開けろよ。アイス溶けるから」  何が起きているのか。開錠を押し、画面が暗くなっても理解には至らない。あの会話だけで来るか? 会社から近いわけじゃないし……と思ったところで、壁の時計を見上げる。午後二時すぎ。もうとっくに昼休みは終わっている。わざわざ休んだのか? そこまでする? ざわざわと湧き立つ期待と、それを抑えようとする心。期待して違ったら、傷つくのは自分だ。  ピンポーン、と今度は玄関のインターホンが鳴る。ドアを開ければ、ビジネスカバンとスーパーの袋を持った岡野がいた。 「うわ、顔真っ赤じゃん。熱あるんだろ」  なんの躊躇いもなく、とても自然に伸ばされた手。外気温を纏った指は冷たく、頬に触れると気持ちいい。 「あったけー」 「ひとの顔で暖を取るなよ」 「いやいや、お前こそ。気持ちいいとか思ってんだろ」  図星をさされ、恥ずかしさを誤魔化すように振り払う。 「あー、もう、頭いてーんだよ」 「はいはい。もう薬飲んで寝な」 「お前が邪魔してるんだろ」  スリッパも出さず廊下を戻れば、岡野もついてくる。 「わざわざ来てやったのに」 「頼んでない」  そうですか、と岡野が袋から取り出した中身をダイニングテーブルに並べていく。スポーツドリンク、レトルトのおかゆ、ゼリー飲料、風邪薬……。グラスにミネラルウォーターを注いでいた俺は、ふたつ並んだカップに目を止めた。 「ハーゲンダッツ!」 「食べる?」  ふっと笑われ、思わず叫んだことを後悔する。が、ハーゲンの魅力には敵わない。 「……食べるに決まってる」  スプーンをふたつ取り出したところで「てか、お前の分もあるの?」と眉を寄せれば「当たり前だろ」とひとつを奪われる。 「味はお前から選ばせてやるよ」  向かい合って座り、カップを確かめればどちらも同じパッケージだった。 「両方ともバニラじゃん」 「好きだろ?」  ふっと笑われた、あと。視線が揺れたのは気のせいだろうか。 「好き、だけど」  たった二文字を口にしただけで、心臓が反応してしまう。アイスの話なのに。 「……俺も」  バニラ味が、だよな。そっと視線を向ければ、岡野の頬が赤い。え、風邪移った? この短時間で? 「食べないと溶けるぞ」 「あ、うん」  なんだろう。いつもと何かが違う。甘いのは口の中だけのはずなのに。外側も内側もむずむずする。でも、その正体を確かめるまで頭は働いてくれない。差し出された薬を飲み、促されるまま寝室へと向かう。 「ちゃんと着替えろよ」  岡野はドアのところで立ち止まり、部屋には入ってこない。なんでだろう、と疑問は浮かぶが噛み砕くところまではいかない。スウェットを手に取り、着替えようとしたところで岡野が出ていく。 「早く治せよな」  じゃないと言えないだろ、と聞こえたのは気のせいだったか。ドアの閉まる音が重なってよくわからなかった。答えは目を覚ましたときにわかるだろうか。
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