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II Terracotta
ある日、子供部屋で図鑑を読むエールコレに、魔の手が伸びた。
「もっと早くこうすれば良かったわ」
母の声だった。
エールコレの視界が急に暗くなる。背後から忍び寄られて目隠しをされたのだ。エールコレは読書に没頭していた自分を悔やんだ。
まだ片手で数えられる年齢だった頃にも同様の遊びを仕掛けられた。昔もよく驚かされたものだが、今回は明らかに違う。赤い両目をふさいだのは、柔らかくて温かい両手ではない。ごわごわとしていて、手垢の臭いが染み付いている。
恐怖を覚えたエールコレは図鑑から手を離した。
「返してよ! 私と彼の十一年間を返してぇ!」
うっかり落とした図鑑の音がかすむくらいの金切り声だ。
まともに動けなくなったエールコレを導いたのは、父だった。母と共に来ていたようだ。
つかんだ腕を引く力は強い。肌に爪が食い込んでくる感覚まで感じられるほどに、遠慮がなかった。
エールコレは本能的に危機感を覚えて暴れる。
ふっくらとした手のひらに無機質な物体が触れて、勢いのままに突き出す。
机の下からひび割れる音がした。机に置いてあったのは図鑑と時計だけだ。だから後者に違いない。
壊れた時計をまぶたの裏に浮かべていると、去年の両親を思い出した。エールコレは下唇をかむ。
時計は十歳の誕生日にもらった。
最後に見た時刻は襲撃の直前、午後五時だった。あの時計は永遠に時を止めてしまったのだろうか。
エールコレは勢い余って椅子から転げ落ちそうになる。その際、偶然にも男の急所を殴ったらしい。それでも振りほどくことができたのはほんの数秒だった。
「ストロンツォ」
冗談でも筆談で使うべきではない。
病で物言わぬ子供は、かつて親からそう教えられていた。悪口を放たれたことに、エールコレは体の芯が冷えていくのを感じた。
床に座り込んでいると、ごつごつとした手が縮れた髪の毛をわしづかみにした。エールコレの意思とは無関係に腰が上がる。エールコレは顔をしかめて父の腕をつかみ返した。
「虹彩はおろか髪色までテラコッタになるなんて、おぞましい」
年齢を重ねるうちに目や髪の色が自然と変化する。エールコレの場合、赤い目はそのままだったが、髪が金色からくすんだ黄みの赤色になった。
雛菊の国に生まれた者ならば取り立てて騒ぐほどの現象でもない。
問題視すべき事柄は、現象そのものよりも「時期」と「色」である。
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