1人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
1
10月も半ばを過ぎたその日、茨城県郊外の住宅地を貫く路地で木下楓が見上げた夕焼けは、淡いデジャブに満ちていた。
紫っぽい赤味の薄暗い空。
小学生だった頃、通学路のこの路地を、楓はいつも俯いて歩いていた。
背中に夕日を背負い、日暮れが迫るにつれて伸びる影が何故か恐ろしく、目が離せなかったのを憶えている。
だから当時の記憶を辿ると、空を見上げていた顔は自然と下を向いてしまう。
見えてくるのは油が浮くアスファルトと、大人になった彼女が背伸びして購入したばかりの黒いパンプス。
狭い二車線の道路に歩道は無い。
人がギリギリ歩ける幅に白い線が塗られている。
コツコツと響くヒールの音が耳障りだが、あの頃は他にも嫌な足音があった。
いじめっ子の男子に小学校の校門から追い回され、すぐ後ろをついてこられた嫌なデジャブが疼き出す。
いじめられ癖って、一度見につくと生涯、後を引くものなんだろうか?
あぁ、嫌だ、嫌だ。
特に良い想い出も無いまま、無駄に年を重ねて大人になっちゃってさ、今も会社で嫌な上司にいびられるなんて。
そう、今日、実家のあるこの街へ戻ってきたのも、母に愚痴を聞いてもらいたい一心からなのだ。
でも家を出て三年が経つ間、母は父を失い、孤独な一人暮しを続けている。
「只今っ!」と玄関のドアを開けた瞬間、迎え入れた母の、少し隈がある落ちくぼんだ目と皺の増えた笑顔を見てしまえば、流石に弱音は吐けない。
一通り無駄話でお茶を濁すのが精一杯で、夕刻前に実家を出た。
とぼとぼと都会の安アパートへ戻る途中、気の重さからバス停をスルー。そのまま懐かしい通学路を辿ってみたのだが……
いまいち合わないパンプスのおかげで踵が痛い。ひとまず辺りを見回し、休める場所を探してみる。
お目当ては小さな公園だ。昔、いじめっ子に追いかけられる度、逃げ込んでいた場所。楓の心のオアシスと言っても良い。
確か、この辺りだったよね。
ブツブツ呟き、歩を進めると、間も無く通りに面した公園入口へ達する。
古びた造りは昔のままだが、様子の違う部分も目についた。中央のジャングルジムに黄色いテープが巻かれ、ポリエチレン製の安っぽい看板が突っ立っている。
書いてあるのは「使用禁止」の味気ない一文のみ。
楓は弛んだ黄色いテープへ触れ、前にテレビで見たニュースを思い出した。
あ~、そう言えば公園の安全基準変更で、古い遊具は使用禁止になったんだよね。
十年前、いつも独りで遊んだブランコが横殴りの風で揺れている。こちらも当然、使用禁止。
久しぶりに乗ってみようか?
そう思ってみたものの、黄色いテープをまたぐのは気が引ける。少し躊躇う内、「おいでよ」と子供の囁く声が耳元で聞こえた。
ハッと辺りを見回すが、いやいや、気のせいに違いない。
公園には今、楓の他、誰もいない。
冬も間近い火曜日、午後五時。多くの子供は塾通いしている時刻だ。
いい年して、私、何ビビッてんだか?
自嘲気味に笑い、テープをまたいだ楓はブランコへ腰を下ろす。鎖が軋むと同時にすぐ側で声がした。
「良いよね、この座った感じ?」
反射的に真横を見ると、隣のブランコに小学五年生くらいの男の子が座り、こちらへ笑いかけていた。
「うわっ!」
突然すぎる出現に楓の体は凍り付く。
対するその子はと言うと、やや斜に構え、楓をしばらく見据えた後にフンフン頷いて、
「へ~、やっぱり僕が見えてるんだね、お姉さん」
「見えてる? それ、どういう意味?」
フフッと笑う横顔に又、デジャブ。
この子、昔、私をいじめた子と似ているかもしれない。
いや、もっと嫌な奴にも似てるかな?
大手文具メーカーで何とか正社員の口を得た楓にとって、今年の春に移動した販売促進部は憧れの職場だ。
派手な広告、マーケッティングに関わり、社内でブイブイ言わすオフィス・ウーマンをどれほど夢見て来た事か?
でも、そこで遭遇したのは野々村と言う最悪の上司。
女は使えない! なんてアナクロな口ぶりで、やる事なす事文句をつけ、何かと揚げ足取りのネタを探している。
多分、四十過ぎて主任止まりの鬱屈をぶつけているのだろうが……
昨日、彼自身のケアレスミスをこちらへ押し付けられた挙句、いつもの調子でネチネチやられ、堪忍袋の緒が切れた。
「あぁ、誰が使えないって!? ねぇ、教えてあげましょうか、このオフィスで誰が一番ダメダメか」
初めての反論に目を白黒させている野々村へ、ビシッと人差し指を突き付け、
「ホ~ラ、皆、コッチを見てる。もう言うまでもないよね」
「な、なにが言いたいんだ、キミ」
「だから、底上げしたくても底が抜けてるアンタの落ち度、コッチへ押し付けてんじゃね~よ!」
と、まぁこんな調子で二割増しに怒鳴り返した挙句、入社以来未消化の有給休暇を「全部使わせて頂きます」と啖呵を切って飛び出した。
言わば逆噴射と言う奴だ。日頃おとなしい性分だけに、キレ出すと止まらない。
いつも必死でネコ被っている分だけ、やられた相手は驚き、焦り、結果として深く根に持ってしまう。
後々、ロクな事、無いのよね。
我慢した挙句にいつもコレなんだ、あたし。
子供の頃からお馴染みのワンパターン。わかっちゃいるけど止められないのが性分ってモンだろうけど……
最初のコメントを投稿しよう!