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さて、これが現実逃避であることは十分に分かっている。
今が憂鬱なだけだ。もともと、1月は好きな季節だったはずだ。お正月をめいっぱい満喫して、七草粥を食べたら、やがて始まる学校は、まあ面倒臭かったけど、友達と遊べるし、イベントも多い。肌が乾燥したって、今みたいに痛いほどガサガサになることなんてなかった。
だが社会人になると、憂鬱なことのほうが多くなった。
そもそも休みなんてものは、ただただ仕事の不安を増幅させるためだけの期間だ。あれをやらなきゃ、これもやらなきゃ、でもうまくいくだろうか、いかなかったらどうなるだろうか? 久々に職場に出向いて、新たなトラブルが起きたらどうしよう。自分のせいであっても、他人のせいであっても、言い訳なんてできないし、結果が出なければ意味がないし――。
「あぁ!」
がばっと布団から起き上がると、隣に寝ているはずの絵美はもういなかった。枕元のスマホで時間を見ると、10時を過ぎている。
のそのそと布団を這い出ると、リビングに行って妻の姿を見つけた。
「おはよう。早いね」
「何いってるの、早くないよ。宏央なんて6時前には起きて、友達と初日の出を見に出かけて、さっき戻ってきたところなんだから」
小学生と比べられてもなあ…。青野は小さく呟いた。
「さっさと顔洗ってきて」
「わかったよ」
そうして、洗面所に向かう。
ふと壁にかけられたカレンダーを見ると、もう2015年のものに変えられていた。今年は、5日の月曜日が仕事始めだ。
あと4日しかない。
とてつもなく、憂鬱だった。
昨日の大晦日は紅白を見ていても、年越しそばを食べていても、仕事のことが頭から離れなかった。
よりによって年の瀬の忙しい最中、人事課長はわざわざ別室に青野を呼び出して、「例の話、4月からになるよ」と言った。
「例の話って――」
「異動のこと。ほら、地域医療連携室への抜擢だよ!」
大袈裟に、課長は言ってみせた。何が抜擢だ、そんな言葉が嘘だってのは完全に見抜いているんだ。
「畑野係長は、何と?」
「非常に手放すのが惜しいと言ってたが、最後には折れてくれた」
見え透いた言葉の連続である。勤め先の安座富町中央病院で、青野は人事課の厚生係に籍を置いていた。直属の上司である畑野係長が仮にその人事に抵抗したとしても、それはマンパワーの問題であって、青野を必要としているわけではないことは、十分に分かっていた。
青野が地域医療連携室へ配置換えになっても、人事課に後補充は無し。それは最初から、まことしやかに囁かれていたことだった。畑野係長にとってはそこが最も重要な点であり、去るのが青野であるということは、さしたる問題ではない。
顔を洗って鏡を見ると、陰鬱な顔をした男が映っている。
ヒゲが濃いのはもともとだが、クマもひどく、指名手配犯どころか、ひとしきり逃げ回って疲れ果てた逃亡犯のようだ。
寝巻きのスウェットから、部屋着のスウェットに着替える。このスウェット交換の儀式は、青野の「そのままでいいじゃん」に対し、妻が「けじめをつけるの!」と言ったことで、逃れられない宿命となったものである。
儀式を終えると、青野はリビングに戻った。
食卓には、お節からお刺身、お雑煮まで綺麗に並べられている。お屠蘇代わりのノンアルの赤ワインは、ジュースに比べるとやや渋みがあって、数か月後に6年生になる息子に言わせると大人の味ということらしかった。
「明けましておめでとうございます」
青野が言って、二人がそれに続くと、ささやかな乾杯を経て、ようやく年が明けた。
妻の顔を見る。それから息子の顔。
憂鬱の原因は、職場でのことばかりではない。内々示を受けた日の夜、配置換えになることを絵美に話したとき、彼女は最初に「ふうん」と言った。
「ぴんと来ないよな、連携室って言われても」
「来ない。何と何を連携するの?」
「他の病院との顔つなぎ役ってところかな。今は地域の中で、病院やクリニック、それに介護施設なんかが役割分担をしていくことが重要なんだ」
青野は妻に説明するが、実は自分でもよく分かっていない。新しく上司になる竹脇係長からは、「病院の営業職みたいなもんだ」と言われたが、結局それも、ぴんと来なかった。
「それで、給料は上がるの?」
出た、金の話。
「上がらないよ、単なる配置換えだから」
「今より、忙しくなるの?」
「わからない、それも」
そう答えると妻はまた「ふうん」と言って、会話はそれっきり。少しくらい心配してくれればいいのにと、そのときの青野は思ったものだ。
今だって絵美は、夫に大した興味もないようで、キッチンと食卓を忙しなく行き来するばかりである。
仕方ない、いつものことだ。あきらめてお雑煮のお餅を口に咥えると、みゅんっと伸ばした。正面に座る宏央があははと笑ったので、青野も少し笑った。
良くも悪くも、年は明けたのである。
もう良い想い出だけに浸ることはしない。青野は追想を断ち切って、現実に戻ると決めた。
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