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 ノンアルなのにちょっと酔いがまわってきた頃、宏央が「パパ、仕事が変わるの?」と聞いてきた。  直接はまだ話していなかったから、絵美から聞いたのだろう。 「同じ病院だよ。席が変わるだけ」 「なんだ、要するに席替えかあ。また変わるのかと思ったよ」 「よく覚えてるな」  今の職場は、青野にとって二つ目だった。宏央がまだ小学校に入る前、一度転職を経験している。それまでは観光バスの総合職に就いていた。そこから病院の事務職というまったく異なる業種を、それも幼い子を抱えている中で、当時は相当な勇気と覚悟をもってその選択をしたつもりだった。 「ママから聞いたから知ってるだけ」  そう言いながら彼は、6つ目の餅に手を伸ばした。最初はお雑煮だったが、途中から磯辺焼きに転職している。青野も絵美も痩せ型だが、宏央は誰の目にも分かるほどぽっちゃり体型だ。  青野は何も言わず、ちら、と絵美を見た。 「あのとき、大変だったよな」 「私は別に。ヒデは大変そうだったね、新しい仕事」 「病院なんて場所は初めてだったからなあ。今も苦手だけど」  そう言って笑ったが、笑っているのは青野一人だけだ。宏央は集中して、お餅に七味を振りかけている。  絵美は立ち上がると、いくつかの食器を下げた。  あまり良い話題でなかったことは分かっている。あのとき、絵美とはちゃんと話して決めた。転職する場合としない場合とを比べて、待遇のこと、勤務地のこと、能力のこと、適性のこと、子どものこと、暮らしのこと、将来のこと―― 絵美の考えもちゃんと聞いた。  彼女とやり取りした言葉を、ひとつだって忘れたわけではない。  だけれども、今、振り返ってみても、結局のところ彼女が転職に賛成だったのか反対だったのか、明確に認識できていない。一番大事なところなのに、それをこそ聞きたくて、ちゃんと話し合ったつもりなのに。 「ほら宏央、それさっさと食べちゃいなさい」  小皿に残った紅白なますを指して、絵美は言った。 「これあんまり好きじゃない」 「身体に良いのよ、それに縁起物なんだから。もう6年生になるんでしょ」  そう言われ、渋々食べ始める。  この6年生という言葉も、青野にとって、また少しの憂鬱を秘めていた。宏央の中学受験の話題につながるからだ。  小学4年の半ば頃から、受験を視野に入れて準備を始めていた。主に絵美の意向だったが、宏央も「いいよ別に」といった具合で、意味を分かってるのか分かってないのか、まあいずれにせよ反対する理由もないかと、青野も何となく同意していた。  だがつい最近―― これも去年の末だったか、宏央は少し尻込みを始めた。彼の通う小学校が公立校の中でもひと際のんびりした風潮で、仲間も競争相手も少ないことが理由のひとつだが、それ以上に、彼自身の「もう勉強したくない」という明白な理由が隠れているようだった。 「あいつがやりたくないなら、無理に受験させなくてもいいかもしれないな」  青野のこの一言で、絵美が目に見えて不機嫌になった。普段は言葉を荒げることのない彼女が、冷たい目で「他人事だよね!」と小さく怒鳴ったのは、シンプルに怖かったので、よく覚えている。  そうしたことがいくつか重なった年末が、年を越したからってチャラになるわけではない。  何ともピリついた正月だ。  苛立ちは絵美だけではない。もちろん自分自身の中にも鬱屈した思いが満ちていて、面白くなかった。  ついさっき「懐かしい思い出にはもう浸らない」と決めたばかりだが、あっという間にその決心は崩壊した。  意識して、良いことを思い出そうとしてみる。高校を卒業して2年近く経った頃、青野は高峰と再会した。  あの頃の幸せに満ちた感覚を、今もありありと思い出せる。
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