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お互いに、まだ二十歳を迎えた頃だった。
こんなふうに良い想い出ばかりをつらつらと、そこに何の生産性もないことをよく分かっている。分かってはいるが、あの頃の時間が、共有した出来事のすべてが、自分にとっては宝石のようにキラキラ輝いていることも、事実だった。
その中でも、絶対に忘れられない「温度」の記憶がある。
付き合いだして2ヶ月ほど経った頃だ。まだ冬はまるで明けていなくて、芯から冷える、バレンタインの時期だったと思う。
青野の住むアパートの一室で、二人でソファに並んで座り、映画を観ていた。古いアイスランドの映画で、『春にして君を想う』という邦題だった。レンタルショップで高峰が手に取って、「何か良さそう」と言ったから借りて来たものだ。
二人が好んで観ていたハリウッド映画とは違って、静かに進行するストーリーだった。
「ゆーっくりした映画だね」
隣に座る高峰は、眠そうな目でそう言った。
「うん。それに寂しいな。年老いてまで、こんな思いをするなんて」
「ホントだね…。私たちは、この二人みたいになるのかな」
それは居場所をなくした老人の話だった。彼は施設で幼馴染の老女と再会し、逃避行の旅に出る。
付き合ってまだ2ヶ月で、年老いた自分たちの姿など想像もできない。だけどこの時の青野は、彼女と一緒ならどんな未来だって怖くないと、本気で思えた。
映画では田園的な風景が映し出され、やがてファンタジーのような幻想の世界へとつながっていく。
青野は、右に座る高峰の手を握った。予想より冷たかった。
映画は、エンドロールを迎える。
「よし! 青野くん、さあ立って!」
急に彼女は立ち上がり、青野の手を取った。なんだ急に、と思いながら後に続いて立ち上がる。
「言ってなかったけど、私には、ひとつの理想があるんだよ。付き合っている人との、理想の付き合い方」
「付き合い方?」
「運動する前の準備体操で、ペアストレッチってあるでしょ? そのひとつで、二人で背中と背中とくっつけて、手を組んで、交互にぐーっと伸ばしてくヤツがあるじゃん」
頭の中で、何となくイメージが湧いた。高峰は高校時代、バドミントン部に所属していたので、普段からやっていたのだろう。
「背中だと、ぴったりくっつくでしょ」
「そうなんだ、二人で支え合っていける関係っていいよね」
青野はそう答えた。答えとして間違っていないと思うが、彼女はあまりしっくり来ていないような表情だ。
「支え合うっていうか、伸ばし合うんだよ」
「伸ばし合う…って、お互いの良いところを、とかそういう意味?」
「もう! 何でそうなるの、さっきから背中の話をしてるんじゃん!」
急に大きな声でそう言われ、青野は焦った。これは比喩ではなく、ずっと背中の話だったのだ!
「やってみるのが早いよ、ほら後ろ向いて!」
言うが早いか、青野はくるりと後ろ向きにされた。彼女も後ろを向き、腕を組まされる。それからぐーっと、まずは彼女が深く沈みこんだ。
「イテテ…」
背中を伸ばすなんて久しぶりだった。
だけど、じんわりと、彼女の背中からニット越しに体温が伝わってくる。
「じゃあ、次は青野くん」
シーソーのように、今度は青野が沈み込んだ。体温に加えて、重みも感じた。
だけどその時に、自分はこれを、ずっと望んでいたんだと気づいたのだ。自分でも驚くほどシンプルに、その価値がそのままの形で流れ込んでくるようだ。この温度と重みを、何があっても大事にしなければいけない、と思った。
「ね、こういう関係」
ストレッチを終えると、高峰は少し息を切らせながら、笑って言った。最初は意味がよく分からなかったけど、理解できた気がする。
「確かにこれは、背中の話だ」
「さっきからそう言ってるじゃんっ」
今度は二人で、大笑いした。
この日のことを、青野は忘れたことがない。何の記念日でもないけれど、とても大切な一日だったと思っている。
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