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高校の頃、好きな人がいた。
最初はただのクラスメートで、好きになったのにははっきりとした理由があった。
ある冬の日だったと思う。2階の教室の窓からは、寒々しい枝ぶりを北風にさらす樹々が見えた。窓際の席に座る青野秀敏は、ぼんやりとそれを眺めながら、苦手な数Ⅱの授業を聞き流していた。
授業もあと5分で終わるという頃に、斜め後ろに座る女子が「あっ、あっ、わあ!」と叫んだ。
「どしたー、高峰。うるさいぞ」
「あの、いえすみません、大丈夫です」
「何が大丈夫なんだ」
教師が言うと、教室内に小さな笑いが漏れた。そうして、再び授業に戻る。腰を折られた教師は、「というわけでー」と締めに入った。
「青野くん、青野くん」
その高峰が後ろからシャーペンで脇腹を突っついてきたので、青野は「ひっ」と情けない声を出した。
「見てよ、これ」
「な、なんだよ」
「500円玉」
彼女は嬉しそうな表情で、1枚のコインをつまんで見せる。
「机の奥から出て来たの」
「えっ、なんで?」
「私がずっと前に入れてて、そのまま忘れてたヤツ」
何で500円玉を直に机に入れてたんだ!?とは聞かず、「そうなんだ」と答えた。それ以外の答えが思いつかなかった。
「得したよ~。やったね」
「得したの? だってもともと自分のお金でしょ?」
「そうだよ。でも見つけたんだから得じゃん」
「いやいや、百歩譲ってプラマイゼロでしょ。むしろ見つけられなかったら損してたんだから、そのリスクのほうがあったわけで」
「もう! いいの、私が得したって思ってるんだからっ!」
急に大きな声で遮られ、ヤバ、怒らせたかなと思ったけど、彼女はやっぱりニコニコ笑っていた。
気づくと授業は終わっていて、立ち上がる者や雑談する者たちで、教室内がざわざわしている。二人の会話なんて誰も聞いていないだろう。それは分かっていたけど、何だかちょっと気恥ずかしくなって、青野は席を立った。
高峰も席を立って、「高めのパン買って来よ~」と言いながら去って行った。高めのパンって何だ?と思いながら、それを見送る。何か声をかけたかったけど、うまく言葉が見つからない。
何故だか青野は、このときのことを後々までよく覚えていて、彼女を意識し始めた最初のきっかけだったと、自己分析している。
だけれども、そんなことはヒミツだ。まかり間違って彼女にその気持ちが伝わったなら、「えっ青野くん私のことが好きなの!?」などと大きな声で聞き返されて、道行く人みんなに恋の行方を知られると思った。
この特別な一日のことは、胸の内側にしまって鍵をかける。
寒い冬の日の、小さな決意であった。
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