負け犬に猿轡

1/9

6人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
 何度も見返した定期テストの解答用紙、右上部分。赤ペンではっきりと書かれた点数は、相変わらず平均点すれすれだった。61点というひどい成績なんて、親に見せられるわけがない。いつものようにため息をつかれて兄と比較されるだけだと、雅也(まさや)には分かっていた。  ドアの隙間からそっと覗くと、満面の笑みで母に褒められる兄の姿が目に入る。一瞬だけ兄と目が合った途端に、苛立たしげな表情で中指を立てられた。  正治(まさはる)は優秀で、雅也は不出来。金城家の共通認識は、正治の弟である雅也にも骨の髄まで染み付いていた。兄弟間の差は、幼い頃から嫌というほど実感させられてきているのだ。今さら覆りはしないし、この点数の違いもひっくり返らない。親からの評価は常に兄の5段くらい下。なんなら最下位だ。  分かっている。分かっている。世の摂理と同じくらいに、勝てないことなんて知り尽くしている。それでも──なにか1つでもいいから、正治に勝ちたかった。兄を屈服させたかった。  無理だと理解していても、なお。負けたくないという奇妙な闘争心が、ずっと心の中でうごめいている。  心中のどす黒い何かに突き動かされてもう十数年。61点しか取れなかった理科のテストを握りしめて悔しさに震えた日が、全ての始まりだったような気がする。けれど、スタート地点がどこであるかなんて関係ない。とにかく今は目の前を見よう。  雅也は決意を固め、再びまぶたを開いて眼前を直視した。  狭く入り組んだ路地裏にとって、夜は視界を塗りつぶす帳だ。だが、目が慣れれば最低限の情報は視認できる。まだ真夜中ではないせいだった。時刻は夜の9時だ。  汚い地面に、男がうつ伏せに倒れている。脳天からは血しぶきが飛び、花火のように鮮血を撒き散らしていた。高そうなスーツはしわだらけで、特に後頭部から首下にかけては鈍い赤色と鉄の匂いに染まっている。  初めて見た死体には、まだ慣れない。ぬめる血の意味を理解した途端、猛烈な吐き気がこみ上げてくる。 「おい、雅也・・・・・・」  隣に立つ年若い青年が話しかけてくるのと同時にかがみ込み、雅也は再び吐いた。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加